椎名林檎の曲作りを分析してみた。特徴とその魅力はこうだった! - フリーBGM&自主映画ブログ|"もみじば"のMOMIZizm

作曲・音楽制作 考察

椎名林檎の曲作りを分析してみた。特徴とその魅力はこうだった!

2015年6月4日

椎名林檎 アイキャッチ

椎名林檎はすごい。

曲によってガラッと雰囲気が変わるばかりでなく、ジャケットの写真を見ても、彼女のキャラクターは変幻自在だ。そして、曲調もどこか二面性があり、そこここにパロディー的な意識を感じる部分がある。

何回か聞くとハマってしまう椎名林檎だが、その世界観はどうできているのか? 椎名林檎の特徴、そしてその魅力について分析してみた。


 

【椎名林檎論】 彼女の特徴・魅力に迫る! &曲作りの謎を分析!

この記事では総合的に見た際の椎名林檎について書いているが、主に下記について書いている。

  1. 曲調の特徴
  2. 歌い方
  3. 歌詞

である。

そして、最後にはそれらから、椎名林檎がどのようにして曲作りをしているのかを分析・推測する。

それではまず1番だが、彼女の曲は少し聞けいただけでもわかるくらいの特徴がある。いや、この言い回しはあまり的確ではないだろう。私の文章力のなさを呪いたいものだが、その前に自分なりに的確な表現を探してみたい。

独特な曲調 ~入り乱れるジャンルと、根本に流れる歌謡曲の雰囲気~

まず、彼女の曲には、近年のJ-POPにはない独特さがぷんぷんと漂っている。もちろん、だからと言って「洋楽そっくり」だとか、「完全なジャズでした」とか、「子供のための童謡だよ!」とか「演歌なんです」…とかそういうオチではない。

だが、逆に言うとそのどれもの要素があるのである。椎名林檎の曲には色々な要素が入り混じっている。

歌謡曲的な臭さが漂いつつもロックのように叫び、その裏ではジャズ調のコードが響いている。ときに童謡のように歌い、かと思えばパンクのように無心になり、どこかでクラシックのような古典を思わせる。

音楽のルーツ

彼女の曲のルーツは至る所にある。あらゆるジャンルを組み込み、歌うのだ。しかもその歌詞は非常に文学的だ。ほかのアーティストにはないくらい文学的である。

それは難解でわかりにくい、という形で表れることもあれば、非常に単純な言葉選びで滲み出てくることもある。

 

ここまで描写してきて改めて思うが、彼女がかなり興味深いアーティストなのはやはり間違いない。

だいぶ長くなってしまったが、要は最初にも言った通り、彼女の曲は少し聞いただけでも、色々なジャンルが混ざったようなその独特な、そして強烈な印象が耳を支配するのである。ここからはその印象がどこから生まれるのかを、もっと詳しく分析的に書いていく。

 

ジャンルが入り乱れたようなその印象はどこから来るのか?

椎名林檎の記事の画像だ

まず歌謡曲のようなイメージ。それはどこから来ているのか。

その印象はメロディー、リズム、それに加えて音色から来ているものだろう。メロディーは曲にもよるがかなり歌謡曲ど真ん中な場合も多い。下記にそれぞれの分析を記す。

 

変幻自在のメロディー

上で、メロディーは曲かなり歌謡曲ど真ん中なことが多い、と書いた。

だが、そう思えてもサビで細々しいメロディーの装飾を入れて敢えて現代風にしていたり、途中で演歌的な暗さがパッと晴れて一時的にポップな感じになり、そのままロックのように突き進んだりもする。しかし、それらの根本には歌謡曲の雰囲気が流れている。

場面によってそれが突如姿を変えたり、至る所に様々な要素が散りばめられていたりするから様々な印象を受けるのだろう。特に、歌謡曲調とジャズの融合的なところは多い。

パロディー的、記号的、そして自意識的な歌謡曲リズム

次にリズムに関してだが、ところどころわざとらしいくらい歌謡曲的なリズムが取られているのがわかる。しかし、「わざとらしい」という表現からもわかるかも知れないが、ジャズ風のリズムの中に歌謡曲風のリズムを紛れさせていたり、異物的な扱いで局所的に歌謡曲的リズムが取られているだけだったりする。なので、単なる古い歌謡曲リズムの歌では終わらず、「独特な曲調の歌」に仕上がっているのである。

要所で歌謡曲的になっている、というか
「ここを押さえれば歌謡曲調になる」
というピンポイントと言うか、最低限の箇所をわかった上で、お決まり的な用い方をしているように思える。

逆に曲によっては歌謡曲調のリズムが主で、要所がロックだったりジャズだったりというのもある。もしくは、どちらとも取れるリズムの伴奏をとる場合もある。「歌舞伎町の女王」なんかはそれらの節がある。

どこか古びた印象の音色

最後に音色だが、これはもう完全に印象の問題である。

ギターの音もほかのポップなアーティストの曲の音とはだいぶ違い、くぐもって聞こえるし、ロックのようにギャンギャン鳴っているというわけでもない。古びたアコースティックな音色が曲を支配しているように思う。レコーディングの問題もあるのかも知れない。

ただ、アコースティックな響きがピアノの音色なんかをジャズっぽく響かせていたりもしていて侮れない。ここでもやはり多様性が見えるのだ。

さらに、そのセピア色に包まれたような音色の空間を、パンクばりのドラムがずっとバックで鳴っているような曲も多く面白い。

演歌とジャズの融合した一種謎めいた夢見心地的な趣もある空間を「嘘だ」と言わんばかりにぶち壊し続けるドラムは、現実と仮の虚構の対比…というか、虚構の世界から現実に呼び戻そうとしているような、

「そこは現実ではないんだ」

というのを自分が忘れないようにするために執拗に自分に言い聞かせているような、そんな感じがする。

夢だよ~

これらが椎名林檎の曲が歌謡曲の印象を持つ理由である。
というか根本としては彼女の曲は歌謡曲なのだろうと思うので、彼女の作る曲がその印象を持つのは当たり前とも言える。

 

歌詞の特徴 ー歌詞に頻出する地名は…ー

次に歌詞である。彼女の曲には、歌詞がかなり歌謡曲的である曲も多いのである。

彼女の曲には地名が頻繁に登場するが、それは演歌などの特徴とも共通するものである。

津軽海峡、天城越え、昴…

どれも地名がタイトルであり、その内容もその場所ありきのものとなっている。

これは演歌が基本的に地方(故郷)への郷愁を歌うものであるというところから来ている。都会と地方があって初めて演歌は成り立つとすら言えるかも知れない。逆に、最近のJ-POPの特徴の一つとして、風景描写が少ないことが挙げられるのだが、これは日本が平準化し、故郷という概念が希薄化したことを表わしている。J-POPは大抵、都会の歌なのだ。

頻出する都会の地名

ここで面白いことに、椎名林檎の歌詞に出る地名は地方がメインではない。九十九里などの地方(といっても東京からは比較的近場だが)の地名も出るが、それ以上に池袋、目黒、丸の内だとか歌舞伎町だとか都会の地名が多く登場する。

「地方にあるはずの故郷」を失った現代の都会の日本人が、郷愁とはかけ離れた「ゴスゴスして狭っ苦しく、汚い都会」によって、逆に反語的にその喪失を浮き彫りにされ、皮肉にも都会に郷愁を感じてしまう様子を表わしているのかも知れない。

地名の用い方までも背反性を持ったような使い方をしているのだからすごい。

背反性?

背反性と言えば、確かに彼女の曲の根本は歌謡曲のようだが、ジャズもかなり大きい要素になっているように思う。ジャズと歌謡曲なんて言ったらそれこそ全然違う、相反するものの組み合わせと言われても仕方ないだろう。

故郷を歌う、臭い郷愁のある情熱的な歌である歌謡曲(演歌)と、洒落たバーで流れる哀愁漂う、大人びた響きのジャズ。

 

…いや待て、この二つには実は共通点があるのではないか?

歌謡曲とジャズの隠れた共通点

歌謡曲は郷愁漂う情熱的な歌、ジャズは大人びたコードの上を、静かな中にも情熱を秘めた、哀愁漂うメロディーが流れる。

もちろん上記した二つの印象はかなり紋切り型的ではあるが、二つの根本的な特徴としてはかなり似通ったものがあるのは間違いではないだろう。ただその表現の仕方がストレートか、抑えているかという違いである。

椎名林檎は、この共通点をうまく利用し、歌謡曲のようだけどジャズみたいな、またはその逆の印象を曲に与えているのである。

ただ、もっと単純に、歌謡曲的なメロディーをジャズのように複雑なコードの上で歌ったり、歌謡曲的なコード進行だがコードが9thとか11thとかの複雑なコードだったりという、
わかりやすい手法でその印象を作っている場合もある。

わざと歌謡曲とジャズを混ぜているのか、自然にそうなっているのかわからない曲もあるが、意図的に混ぜている曲は多いように思える。曲の途中で突然ジャズ調になったりする曲があることからも、椎名林檎がかなり意図的に曲調を操作していることがわかるからである。

 

多様な歌い方

カラオケワンカラアイキャッチ

ここまでは曲や歌詞の話だったが、歌い方についても触れたいと思う。というか触れるどころではすまないだろう。 彼女は歌い方にもかなりの特徴があり、それによって曲調すら変えている節がある。なので、触れるどころか深く掘り下げたいと思う。

椎名林檎は歌い方にもまた多様性がある。

歌謡曲のような抑揚の付け方だがどこか気だるく、現代的なこすれた感じがある。また、サビなどの要所では泣いているような、悲痛とまではいかないがそれの少し手前のような声で歌うこともある。

限界を知っておいてわざとそれを超えるかのようにメロディーがどんどん高くなっていき、それにつれ徐々に…もしくはある一定を超えた途端に前述のような声になり、かと思えば次の瞬間には澄ました声で「そんなことは日常でしかない」とでも言うかのような、すました声に戻っていることもしばしばである。

また、これは主に冒頭か終わりに多いのだが、すごく素朴な童謡のような歌い方をすることもある。気だるい感じはそのときでも出ているのだが、趣が違っている。

さらに、歌詞の重さ、暗さ、高度な社会風刺からかパンクのように聞こえることも多々ある。アルバム「絶頂集」に於いては特にその節が強い。先に述べたドラムの使い方などもパンクに聞こえる理由の一つである。

 

まとめ

ここまでの分析から、椎名林檎の曲の作り方がわかってきたように思う。椎名林檎の風刺の仕方はこうではないだろうか。

まず、歌をあえて「○○っぽく」作る。そして、この時点で作品の完成度は一定以上のクオリティがある。次に、そのある程度完成しているものをあえて自らぶっ壊したり、まったく違う雰囲気のものをっ向からぶつけたりする

そうして、結果的にその曲を全体として見たときに自己批判的になるのである。

 

このように、椎名林檎の曲つくりは複雑な形を取る場合が多いのではないだろうか。

彼女は、メロディー・和音・リズムを用いて音楽理論的観点から、歌詞を用いて文学的・社会的観点から、歌い方を用いて表現方法の観点から…これら全ての観点から見ても、全てを意図的に、そして巧みに使いこなして多様なジャンル感を表現しているのである。

それは、現代のアイデンテイティとは何か、現代におけるオリジナリティとは何なのか? そのような叫びにも似た曲作りの手法なのかも知れない。


 

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