老婆がもしも日焼け止めクリームだったら - フリーBGM&自主映画ブログ|"もみじば"のMOMIZizm

不毛な記事

老婆がもしも日焼け止めクリームだったら

2015年8月3日

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こんにちは。回転桂馬(@kaiten_keima)です。
超自由執筆カテゴリーでは超自由になにかを書く方針です。

…では早速本題に入るが、世の中には様々なものが存在しているものである。
その中にはもちろん「老婆」も含まれることは明白だ。

世の中には数多くの老婆が存在なさっていることはご存知の通りだ。だが、それは皆、かつては老婆ではなかったのもまた明白な事実。
全ての老婆はかつては若い娘であり、あかちゃんであり、更に辿れば元々はこの世に存在していなかったものである。

そんな不思議な老婆だが、まずは本題に入る前に、老婆に関するエピソードを三つほどご紹介しようと思う。


 

世の中の老婆

その1

私は今朝、千葉県の方へと向かった。電車でだ。

よろしい、皆が考えるとおり、電車には老若男女が闊歩している。各々好き勝手に闊歩し、そして座っているものだ。それが電車なのだから仕方ない。

なにが言いたいか。老若男女がいれば、当然その中には年老いた女性である「老婆」もいるというわけだ。

私は今朝、電車の中で老婆を見かけた。その老婆はシルバーシートに座っていた。
そして、隣にいる8歳くらいの孫と会話をしていた。
「今日は暑いわねえ」

「うきゃーーー!!」

「暑いから気をつけなさいよ」

「うぬひゃーーー!!」

「熱中症なんかには気をつけて、日焼け止めもちゃんと塗るのよ」

「やだーーー!!!」

 

なかなかに躾の悪い孫であった。
補足しておくが、叫んでいるほうが老婆ではない、孫である。

このような孫だと老婆も大変なものである。

だが、孫も最後には仕方なく日焼け止めクリームを体に塗りこんでいた。
よい孫である。

 

その2

太陽がギンギンに照らしつけるようなある日のことだ。
私は汗を滴らせながら歩道橋を歩いていた。

なんたる暑さ。だが、寒いよりはよいではないか。そう、なにせ私は寒いのが苦手なのだから。

そう思いながら猛暑の中、私は一歩一歩、歩道橋を踏みしめていたのである。

そもそも私が歩道橋を歩いている理由は、下にある横断歩道が私が渡ろうとする直前に赤になってしまったため、それならば仕方ないと、ここでいつ青になるともわからぬ信号を待ちぼうけするくらいならいっそのこと歩道橋を渡ろう。
そう思った経緯からである。

すると、歩道橋も半ばに差し掛かった辺りで、おぞましい音が私の耳に聞こえてきた。

 

トゥーールトゥールルール トゥールールルーー

 

青になった。

なんたる失態。

これならば下で信号を待っていた方がよかったではないか! そう思い、怒りを込めて下を見ると、そこにはゆっくりと歩く老婆の姿があった。

…まあいい。私はまだ若者。横断歩道は高齢者の方に譲ったつもりでいよう。そうすればまるでいいことをしたような気になれる。

そう思い、私は歩道橋をまた一歩一歩踏みしめて行ったのである。

 

その3

先日私は父方の祖母の家にお邪魔した。
お邪魔といっても別に本当に邪魔をしたわけではない。日本人的な謙遜表現とでも言うべきか。ただ家に赴き、会話をしてきただけである。邪魔どころか本来はよいことではないかと思うくらいだ。

とにかく、そこで私は祖母とともに、楽しい会話をし、夜には二人で美味しいお寿司を食べ、帰宅した。

非常に有意義な日であった。

 

 

老婆がもしも日焼け止めクリームだったら

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三つの場面での老婆の話をしたところで話を戻そう。
皆さん、冒頭で私が語ったことを覚えておいでだろうか。

全ての老婆はかつては若い娘であり、あかちゃんであり、更に辿れば元々はこの世に存在していなかったものである。

私は冒頭でこのように語った。そしてこれは真実である。
いま現に世の中にたくさんいる老婆が、かつては皆等しく存在していなかった。そう考えると世の中はおかしいものである。
世の中はなんでもあり、ということだ。

かつで存在しなかったものがいつのまに老婆になるくらいであるならば、老婆が日焼け止めクリームだったところでなんのおかしいこともあるまい。
こう考えるのが至極妥当である。

老婆がかつて存在しなかった、などということが現実に許されるのであれば、老婆が日焼け止めクリームである方がまだ常識的だ。
無が有になる方がおおごとであろう。

 

ではここまで読者の皆様に合意を得られたところで、最後に、老婆が日焼け止めクリームだった場合、世の中はどうなるのかを語ろうと思う。

 

世の中の老婆

その1

私は今朝、千葉県の方へと向かった。電車でだ。

よろしい、皆が考えるとおり、電車には老若男女が闊歩している。各々好き勝手に闊歩し、そして座っているものだ。それが電車なのだから仕方ない。

なにが言いたいか。老若男女がいれば、当然その中には年老いた女性である「日焼け止めクリーム」もいるというわけだ。

私は今朝、電車の中で日焼け止めクリームを見かけた。その日焼け止めクリームはシルバーシートに座っていた。
そして、隣にいる8歳くらいの孫と会話をしていた。
「今日は暑いわねえ」

「うきゃーーー!!」

「暑いから気をつけなさいよ」

「うぬひゃーーー!!」

「熱中症なんかには気をつけて、日焼け止めもちゃんと塗るのよ」

「やだーーー!!!」

なかなかに躾の悪い孫であった。
補足しておくが、叫んでいるほうが日焼け止めクリームではない、孫である。

このような孫だと日焼け止めクリームも大変なものである。

だが、孫も最後には仕方なく日焼け止めクリームを体に塗りこんでいた。
よい孫である。

 

その2

太陽がギンギンに照らしつけるようなある日のことだ。
私は汗を滴らせながら歩道橋を歩いていた。

なんたる暑さ。だが、寒いよりはよいではないか。そう、なにせ私は寒いのが苦手なのだから。

そう思いながら猛暑の中、私は一歩一歩、歩道橋を踏みしめていたのである。

そもそも私が歩道橋を歩いている理由は、下にある横断歩道が私が渡ろうとする直前に赤になってしまったため、それならば仕方ないと、ここでいつ青になるともわからぬ信号を待ちぼうけするくらいならいっそのこと歩道橋を渡ろう。
そう思った経緯からである。

すると、歩道橋も半ばに差し掛かった辺りで、おぞましい音が私の耳に聞こえてきた。

トゥーールトゥールルール トゥールールルーー

青になった。

なんたる失態。

これならば下で信号を待っていた方がよかったではないか! そう思い、怒りを込めて下を見ると、そこには日焼け止めクリームがあった。

…暑いし日焼け止めクリーム欲しいな。降りたら拾おう。

そう思い、私は歩道橋をまた一歩一歩踏みしめて行ったのである。

 

その3

先日私は父方の日焼け止めクリームの家にお邪魔した。
お邪魔といっても別に本当に邪魔をしたわけではない。日本人的な謙遜表現とでも言うべきか。ただ家に赴き、会話をしてきただけである。邪魔どころか本来はよいことではないかと思うくらいだ。

とにかく、そこで私は日焼け止めクリームとともに、楽しい会話をし、夜には日焼け止めクリームと美味しいお寿司を食べ、帰宅した。

非常に無駄な日であった。

 

あとがき

私が実践して見せたように、やはり老婆が日焼け止めクリームだったとしても、世の中はそれはそれとして進んでいくものである。

結末は変わることもあれば変わらないこともある。

世の不思議さが学べたことだろう。

 

さて、日焼け止めクリームは暑さ対策になるものであるが、暑さといえば熱中症である。
そうなればもはやこの記事を読まない手はないだろう。

絶対にやめておけ。これをすれば熱中症になる!逆対策法。

皆がこれを読み、そして日焼け止めクリームを持ち歩き暑さ対策を万全にした上で、老婆を気遣って生きていってくれればいいのに。
と、そのように祈りながら私は今日も眠りに就くのであった。