三文 享楽 小説・エッセイ等

無料小説 長編2『笑い島』16【三文】

2016年9月29日

三文享楽です。

ユートピアの世界に笑いってあるのでしょうか。

本当の理想郷に笑いは存在するのでしょうか。

それは絶望の中で生まれた皮肉めいた笑いよりも面白いものでしょうか。

それは絶望の中で生まれたほのぼのとした笑いよりも安らかなものでしょうか。

無感情の中でにやけてる呆然とした笑いも笑いですよね。

幸福の時に生まれる笑いと絶望の時に生まれる笑いってどちらも笑いですよね。

はあ。


『笑い島』16

5の続き

気付くと、午後の仕事をみんながおえて、気付くと食事の準備が始まり、気付くと、順番決めて、トップバッターを任され、気付くと、食事前に席へ着き、いつ食べ始めるかをわくわくする感覚もなく、ここ舞台袖でアンとリートメンとのMCを聞いていた。

作業服ではなく、朝のアントリートメントの姿に戻っている。

「いえい、やってまいりました。今宵の宴、ファーフォーフー。私、MCアントリートメントが笑いと涙の世界にみんなを誘うとしましょうか」

あわあわあわあわあわあわ。

ここにいると聞こえてくる野次が緊張を催す材料以外の何物でもないように思えてくる。舞台を眺めている観客全員が恐ろしい、ああわ。ていうか、ネタが決まってないってどういうことやねんな。

にやついていた自分の顔が急激に強張っていくのが分かる。口の中が固まりつつ水分がどこかへ消え、腰の中心が下へ沈んでいくような感覚に陥る。人前へ立つ時僕は確かいつもこうなっていた。心配の種が出てきてそれを考えつめて最悪のパターンまで逃げ方を練りこなさないとそれだけでまた緊張からいたたまれないようになっていく。

ばぶうが僕の腹を軽くつつく。

「なに、緊張してるんじゃないよね? できるだけ僕らはキャラ的にものったら話していく感じで自然体に近づけていきたいから緊張せず普通の、いや普通以上に普通で行くようなスタンスで話していけば平気よ」

「う、うううん」

はらわたの中心にあった鉄の塊が一個消滅したような気がした。

自然、何かしら濃度の高いに違いないような呼気が抜けていく。

「ええ。では、まず私から。ええ、そうですね、なぞかけをやっていきたいと思います。ええ、と。今日のこの舞台とかけまして回転ずし店と解きまあす」

語尾が強まったのが分かった。気が少しは楽になったとはいえ外部からの音は聞こえども内容が頭へ入って来ない。

その心は?

観客席側からほぼ全員分の声が聞こえてくる。

「ええ、どちらも旬のネタが流れてきます」

歓声。歓声歓声拍手歓声で、拍手が一度来るとこれまた全員分はあるのではないかという量の拍手が聞こえてきた。

「いやいや、受けましたねえ、いやあ。まあネタなんつったら私は赤いのにマッグロ、このハマチハウマッチ、イクラいくらあ? 何かが好きなんですけどね」

おおーお、あっ、ああーあ

歓声が忽ちどよめきの合唱にかわる。

「これは、ちょっと面白くなかったかな。は、まあいいや。はい、ということで、今日も総勢四十九名の芸人が名乗りを上げています。まずはトップバッター。いきなり大丈夫なんでしょうかね。会場の温まり具合とかもあるとは思うのですが、まあ、私が暖めきったから平気でしょう。ふはは。この歳にしてこの舞台初登場、この男が遂にベール脱ぐ。血液検査とばぶう。で、海のもずくず(うみのもずくず)」

拍手と共に、ばぶうが走り出す。その反動で僕の足も動いた。

「はい、どおも」

「どおも」

「海のもずくずです。よろしくお願いします」

「MCさんの紹介でありましたけど、いきなりトップバッターということでね」

「本当、にね」

「なんなんすか、嬉しそうに言ってたけどあの人が指差して、トップに立たせたんですからねえ。おまけに少しスベリ気味だったし」

やめろおお~。

どこからともなく悲鳴のような声が聞こえる。アントリートメントか。

「いやいやいやそれにしても突然ですが」

「はいはい」

「老後の趣味というものを見つけてしまいまして」

「早いなあ。老後って言っても君まだ若いけどね」

会話、会話。そう考えると言葉が出てくる。

「でも趣味とかがないとさ、退職した後にいきなり手に入れた自由に押し潰されるなんていうことがよくあるじゃない。あっちじゃさ」

「まあ。なんで日本本島の方の状況を知っているのかは分からないけど、まあいいよ。趣味があるっていうのはいいことですから。どういうことなの」

「ちょっとね、なんていうか、こう配りたいなっていう」

「え。ええっ?」

どういうことやねん

いや、ダメだ。慌てては駄目だ、会話に近づけるように口にして。

「ど、どういうことやねん」

「だから、こうなんていうのかな、配ったときに喜びを感じられるし、気持ちいいんだ」

「それで配るということを趣味にするの?」

「そう」

「んん。まあ、世の中色々あるから理解者もいるとは思うんだけど」

ある程度合わせてくるだけでいいとは言っていたが、それにしても僕の初舞台から結構なぶっとんだ設定である。少なくともかつて見たことのないような設定である。

「今まで配ってきて一番きつかったのは各家庭にたんぽぽの綿毛を配ることでしたね」

「え、うそでしょ。あれって配るもんじゃないじゃない。変なあの綿毛みたいのがさ」

「だからね、いわゆるサクラよ」

「どっちだよ」

今、気付いたが僕がツッコムと笑いが起きているのだ。

観客の顔を一人一人見てみると動悸の上昇を覚えたので一点に視点を集める。

「だからね、サクラよ。花の桜じゃなくてね、タンポポが全く咲いてくれなきゃ困るからさ、たんぽぽさんにさ、あっ、あっちも咲いてるなら今年も咲いてみようかなって思ってもらいたいじゃない」

「お前、言ってること無茶苦茶だよ。それにそんな咲かないことあっても困らないし」

「いや、考えてみてよ。タンポポのない代々木公園、噴水の近くにタンポポのない代々木公園、あの日あの木の下にタンポポが咲いていなかった代々木公園」

「うるさいなあ。一体、代々木公園になんの思い出があるんだよ、てかなんで代々木公園知ってんだよ」

てか、代々木公園って代々木公園でしょ。い、いやいや

「そりゃ、この島でよその場所と言ったらまずは代々木公園でしょ?」

「知らないよ、そうなの?」

「日本の公園は全部代々木公園でもいいんだから」

「いや、ホント、代々木公園に何かあったの?」

「な、何もないよお、ぐへへ」

「ぜってい、何かあるじゃねえかよ」

「まあ、そんなことだけどさ、要は配りたいのよ。考えてみてよ。歳とって老後にさ、趣味としておじいさんがさ、すみませんって言いながらタンポポの綿毛配ってんだぜ」

「んん。いや、どう考えてもちょっとボケが入ったようにしか思えねえよ」

そっから先、記憶が飛んだ。

 

6

初めて舞台に立ってからも何度か場数を踏んだ。

まだ、板についてきたとも言い難いのだが、人前で芸をすることに慣れてきた。同時に何回と舞台に立っても緊張はするのだということを知った。それを知ったというだけでも大きな進歩といえる。人前に立つことで緊張しなくなることは決して訪れないだろう。もし、緊張しないということであればそれは観客に対して失礼にあたる。いくら緊張してないという者でもそれは緊張しないための特別な対策を立てているには違いない。そんなことに気付いたなどと言えばこの島の人間はそういったことなんかは考えなくてもいいと言ってくれそうだが誰もがそういった理性を知らぬふりして心の奥に隠しもっていることは一緒に生活していくうえで分かってくるものである。

漫才だけでなくコントをした。歌唱も経験した。ラップは練習だけしてみた。

お笑いと歌うことが似ているとも思えなかったが一通りやってみることによって相関して能力が上がっていっているような気がする。人前で自分を作り、芸をするという根源的なものに気付かされていくような心持ちである。勿論、お笑いを極めることで歌を極められるなんてことはないが、少なくともある程度までの演技力に関しては両者相関して力が吊り上っていっているような気がする。しかも、コントや漫才の中で歌を取り入れるということもできた。今ではラップバトルというものにまで興味が湧いてきている。

だが、歌やラップを得意とするものも誰もが結局はお笑い力に持っていこうとしている気がする。場で通用するくらいの声を張るから人前で何かをする基礎力が上がっていくし、コントで歌を披露することもある。また、言葉選びに慎重になり、感覚的に日々の良い言葉の味覚を楽しむようになっているようなのだ。

普段から自分なりの面白さを見つけて、日常生活から楽しもうとしているものほどやはり髄に笑いの精神が沁みてきている感覚がある。舞台で漫才やコントをすることによってどういった間をとってツッコムといいかだとかどのように自然な様相を呈してボケるといいだとか人間の刺激感情につながる何かを考えられるようになってきたのだ。いや、具体的に分かったとまでは言い難い。間でとる笑いしかり、話術しかり、話は出来上がっていくということに気付いたというのが我ながら感動できることなのだ。

書道は出来上がった字を見ることも当然でありながら空白の部分を見て感じるというのをかつて聞いたことがある。紙一枚を作品としてどれだけ空白との折衷をつけたかが芸術なのだ。日本庭園にしろ、無の部分を日本では楽しむ傾向があるのかもしれない。

そこに気付いた時、なんだか世界が変わったような気がした。

全く世界というものが違って見えた。

時折、波を立たせてない部分でいかに楽しむかを考えるようになると、午前や午後の仕事とも思えない仕事が全て楽であった。怠惰ができて、適当でいいから楽なのではない。こなす以外の裏にも目が良き精神的に肉体的にも楽であり、そうしていることが楽しいのである。やらされているとは感じられずに自然にできるのだ。

今日はばぶうと午前は一緒だった。毎日、舞台で芸を見て、少しずつ新しい人とも話すことが増えていき、島の人間、九十九か百二人とはほぼ全員と面識もできたのである。だから、いつ誰とどんな仕事をすることになろうとも不安なことは何一つなかった。誰と仕事に着こうともその不安については一切何も考える必要すらなくなったのだ。

だが、ばぶうと一緒なのはやはり安心する。

一緒になるだけならば午前でいえば三分の一の確率だからそう珍しい事ではないのだが。

いや、そうはいっても単純な三分の一の確率でもない気もする。一度漁業として海上にも船によって出たのだが、やはり気分がすぐれないのである。波に呑まれる記憶が蘇ってきてしまう。どうしても朝の仕事決めで農業や畜産業を選びたくなる。MCによってはどんどんと決めていってしまうのだが、僕が漁業に行きたくないような素振りでいると深追いはしてこなかった。いつまでも漁業を拒否していたら村の掟であるらしさを求めるなに背反することになるのだが、抵抗力がつくにはまだ時間を要すのであった。

僕が仕事に出て、初日と同じように着替えて、小屋からばぶうと出ることになる。今日は主に草取りと作物の虫を除去するくらいであった。

すぐ脇を木更津和尚が駆け抜けていく。

「若いなあ」

「僕らも若い部類ではあるけどね」

木更津和尚が向こうの方で転ぶ。

そういえば、

ずっと気になっていたことをこの際に聞こう。

「この島ってさ、学校というところはないの?」

「学校ねえ」

「だって、木更津和尚にしろ、あそこにいる妹西空日の出にしろ、この島の子供はみんな誰もが昼間からどっかその辺で働いているような気がするんだ。あの歳で本来この昼間の時間帯だったならば義務教育を受けてなければだと思うんだよね」

草が密集している辺りではばぶうは立ち止まると、腰を下ろした。

「まあ、結論を言うと、学校はないよね。みんな学校には行かないさ」

僕もその隣に胡座をかいて、座るとばぶうと同じく密生していた草を抜き始める。

「誰もがさ学校というところに行ったこともないし、見たこともないというのが事実さ。机に向かう勉強というものがない。皆して同じような生活リズムで動き、日が暮れる頃には宴で楽しもうとする。それを七十年、八十年と過ごすのさ。昔からこの島ではそうだった」

「でも、ばぶうは学校というものを知っている。それに」

意識が耗弱していたのは確かだが、忘れもしないあの海で、僕は聞かれたのだ。

「大学が楽しいかと僕に聞いたじゃないか」

「まあ、そうだね」

ばぶうは引っこ抜いた草の主根と側根を仰々しく僕に見せつけてくる。

「ここでは全て教育は人から人に直接行われていくのだよ。生活の中で、知恵を身につけていく。だから、皆ある程度の年齢になったら、学校には行かずにもう働き始めるんだ。働くっていっても前にも言ったように義務じゃない活動だってくらいでこんな感じで午前と午後の仕事をみんなでやるというくらいだけどさ。生活していく中で色々学んでいくんだ。だから基本的にこの島の住人は同じ生活リズムで過ごしているわけ。生活リズムが違うのは、五歳になるまでの子供と母親、あるいはその家族だよ」

この島へ来て五歳になるまでの子供も何人かは見ている。そう、食事の時に母親に抱かれた赤ん坊を二人は目撃していた。

「今現在、五歳以下の島民は六人いる。全員、午前の農業漁業畜産業で働いてはいないさ。まあ、午後になれば裁縫などの仕事をする家でじゃれていたりするけどね。一歳までは母乳がどうしても必要だから、母と暮らさなくちゃならない。だからそれまでは母親も一緒になって家に籠って自分の赤ん坊を看ていることになる。これだって性差とか色々考えることもあるけど授乳期間くらいもうこれでいいじゃんって感じかな。そんで、それ以降。一歳を過ぎて以降は必ずその赤ん坊の家族の誰かが一日、子供と一緒に付き添って過ごさなきゃいけないってなってるんだ。やっぱり五歳くらいまでは誰かが責任をもって行動を管理しないとだからね。まあね、ただ。ただ、例外だってあるさ。島のことを一切知らないのが赤ん坊だとしてね。その赤ん坊が二十一歳の男だったならば、大一発見者の十八歳が世話をしていいことになっているんだ。これは盲点になりがちだからこの島択一テストなんていったら絶対狙われるとこよね」

二十一歳の赤ん坊ときたか。これはどうやってツッコメばいいのか、いや

「それって僕かいな」

「そして、五歳を過ぎればみんな午前の労働、午後の労働をするようになる。まあ、家族離れだよね。実際に家族を離れて仕事について、その場、その場で働いている大人の誰もが働き方を教えてあげるんだ。子供はこの村全員の物、宝さ。親であっても親でなくてもみんな同じように愛しんで同じように接するさ。この島の子供よ。島の未来を担うカギを大事することはこの島全員に平等さ」

相変わらず、ばぶうの脇には抜かれた草が僕より多く溜まっていく。僕の脇には途中で千切れた草の上半身ばかりが積まれるだけである。草取りは根元から行涌ければいけないとやはり小学校の頃の生活で習ったような気がする。ところで、

さっきの裏を返せば一歳を過ぎれば子供は母親から話されるということなのか。

「でも、母親は一歳を過ぎても自分の子供とももう少しいたいみたいのもあるんじゃない?」

「まあ、腹を痛めた子だし、もっと一緒にいて面倒を看ていたい云々とはなるよ。けど。そこは村の掟、深く考え込むなだよね。違うかもしれないけどさ。ここにはいろいろ考えられるわけよ。だって母親が自分の子供と一緒に居たいことなんかは誰もが知っているもん。でも逆にさ。それは父だって兄だって姉だってそうかもしれないさ。父や兄は自分が男だったばかりに子供と日中長くいられないと思ってしまうかもしれないっしょ? 女の人がさ、女に生まれたからには子育ての義務があるなんて言う一方では男の人が男に生まれたせいでも子供とはどうしても母親以上の距離を縮められないなんてこともあるっしょ。それにさ、よいしょ」

ばぶうが僕の方へ体を向けつつ、新たな草の場所を求めて僕から見る右にずれる。上半身だけで小さな芽まで取りきっていない僕もとりあえずそれに続いて、右にずれた。

「子供を手にできた人はいいよ。でも世の中には子供がいなくたって本心では子供を欲しいと思っている人はいるかもしれない。何かしらの理由で子供がいないなんてこともあるじゃないか。だから駄目なんだ。平等に誰もが子供の成長に触れるべきなのさ。一歳までは母乳がなければだから仕方ないけど乳離れしたならばみんなが育てていくんだ。子供の家族はこの島全体。みんなが家族となるのさ」

「いや、でも」

考えを声によって出そうと声からと戸が漏れたら分かりやすくも自然と手が止まった。

話している分量の割合は九対一なのに、取った草の食が一対九とはどういうことだ。

「僕は今さ、ばぶうの家に住ませてもらってるけどさ。成長すれば誰彼かまわず皆家族みたいなことだけど、春雨さんも尻丸さんもばぶうの本当の家族なんでしょ」

「そうなちゃうよね。誰が何歳まで面倒見るかの制度を亡くしたとはいえ結局家族でいるじゃんって思うかもしれないよ。ただ、どこの文化においても家族間での子作りは血が濃くなってしまうから駄目だなんてタブー化されているよ。この島にもそういうのは一応、伝ってきているさ。だからまあ血のつながりを最低限は忘れないようにするため寝るときは血のつながった家族でってことだよね、うちの家ではさ、尻丸父さんの両親がたまたま早死にしてしまったから御老人がいないんだよ。春雨さんの方は健在だけど姉だから僕からいうおばさんの方に住んでいるのかな。でも、血液関係なんかあんまり覚えてないんだよ。気にしたところでっていうのがあるからね。分からなくなったところで年齢がお爺ちゃんお婆ちゃんまで離れた人と結婚するなんてことはまあないじゃない。従兄弟や再従兄弟での結婚なんてなってくれば、別に全然血が濃いなんてこともなくなるんだし」

従兄弟も結婚大丈夫なんて言うのも気になったがこのばぶうという男は自分の両親をさん付けで呼んでいるのかということに驚いた。

そういえばこの島で父や母などと言う言葉を聞いたことがない。概念は残っているようだが、皆が皆、血が繋がっていようといまいと同じように接してるのだ。仲が良くもあってよそよそしくもある。

考えてみれば九十九人か百二人しかいない島なのだから全家族関係を把握して誰が誰の親、兄弟、親戚でなどと分かって居てもよさそうなものだが、他の家族関係などほぼわからない。一人一人の家族関係を思い浮かべるより、舞台での芸風の方がより鮮明に思い出せる。

「まあ、色々な考え方もあるけどさ。あとは深く考え込まないのがいいよ。視点を変えてある重要なテーマについて深く考えようっていうのは、結局のところ堂々巡りが多いからね。村の掟通り従って生きていればそれで楽しいさ。見方変えれば他の世界ってのもあるかもしれないからね。だから、そうなってくると芸人島ってのもいいものだよ」

ただ掟に従うだけというのも違和感はあったのだが、それはそれでいいのかもしれない。掟を変えて常に不平等をなくして以降、変なところを変えていこうというのが当然の理であった気もする。この深く考えてはならない世界もいいものだ。事実、誰もが笑いながらここでは生きているのだ。

世界としては止まっているのかもしれない。

笑いの発展はあっても工業的、商業的手法の発達ということは、ほぼなくなってきた。

だが、誰もが一日一日を楽しんでいる気がした。

僕は性格的に反抗的であっても反逆的ではないし助けてもらった身分ということもあって郷に入っては郷に従えということもあり、村の掟にケチも付けていない。しかし、

この島の子供はこういった掟というものに反抗しないのか?

おそらくしないのであろう。

小さいころから自由に、自由に育っている。

従うことといえば村の掟くらいだ。それも抽象論に近い。態々、反発心を以て村を変えることなんて考えもしないのだろう。現に否定はしていないはずであるしもっとも面白いコメディアンになろうという目標もあるのだ。

それに下手に学校で他思想の受け入れをしない。だから無駄に利口にもならないのであろう。小さい世界かもしれないがこれはこれで成り立っているのだ。

今のところ教えてもらった村の掟は四つ

一、笑って生きよう

一、らしさを求めるな

一、あせるな、おこるな、ねたむな、おちるな

一、深く考え込むな

「ねえ、ばぶう」

……いない。

見ると右に一回座った分の空間があり、更にその隣へ草を抜くばぶうがいた。

慌てて僕も追いつく。

「村の掟ってさ。一体どれだけあるの? 色々と教えて欲しくなってくるはずさ」

「んん」

草を取る手が止まって目が合った。すぐに手は草へ戻ったが顔はあらぬ方を向いている。

「おいおい全部分かっていくさ」

顔は最初に語っていた時の地面と僕の間に戻り、視線は止まる。

「いっぺんに暗記だなんてしない方がいいよ。生活をしていてなんかあったらその都度知っていくべきだと思うんだ」

ばぶうは立ち上がり、さらに右へ進むが僕の部分があまりにまばらに見えたため、そこに留まり斜めの位置から話を聞くこととする。

「昔から今へ、昔から今へって、ゆっくりしきたりが続いていくっていうのが少なくとも平和なんだろうね。誰もが生徒となって教育者となって教えていきつつ、人間っていうものは出来上がっていくものだと思うからね。教師なんていう職業があったら村の掟のらしさを求めるなに違反しちゃうじゃない。そこに絶対的な信頼関係ってのが生まれちゃったらさ、当然そことそこ以外にとの摩擦だって起きちゃうからさ。そうなると劣等感、優越感、ねたみ、ひがみ、うらみが出て来て、人間関係なんていう煩わしく仰々しいものが出てきちゃうよ。社会的な関係こそが人間だなんていうけれど、諸刃の剣みたいなところはあるよね。ネットワークを作ることが信頼を生む分、更に阻害を生むんだ。教えるということだって追及したところで何もありはしないんだ。本義なんかありゃしない。完璧じゃない人間が教えるのだから、答なんてありはしない。物事を知っているか知らないかに上下関係なんかないさ。経験があるから無いものに上方を伝えるだけさ。嘘も本当も言い聞かせてさえしまえば教えられたものには真実となってしまうからね」

 

(続く)

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