こんにちは。音楽もつくっちゃう系の自主映画監督、もみじばと申します。自主映画監督による映画レビューシリーズです。
↓今まで撮ってきた自主映画たち
さて、先日、『君の名は。』で大ヒットという言葉では収まらないほどのヒットを飛ばした新海誠監督の最新作『天気の子』を見てきました。
新海誠監督は「賛否両論で価値観がぶつかる映画にする」的なことを言っていたようですが、実際そんな感じになっているようです。
私も確かにそうだな、と思ったので、感想・レビューをいろいろと書いていきます。ネタバレはあります。
自主映画監督による『天気の子』レビュー
まず、私はこの記事執筆時点で『君の名は。』しか新海誠監督の映画は見ていません。いわゆる“にわか”です。
それを踏まえて読んでもらえればと思います。
『天気の子』予告篇の印象
最初に予告を見たとき(映画館だった気がします)は、空から光が落ちる美しいカット、音楽がRADWIMPSだという点、主人公のキャラ・造形から『君の名は。』感がすごいな…と思っていました。
ただ、テレビなどでも何度か予告を見る内に、『君の名は。』ほど王道的ではない感じがするな…と思うようになりました。
また、天空の城ラピュタばりに少女が空に浮くカットを見ると、なんとなく「今回は新海誠がやりたいことをやっているのでは」という予感が強まっていきました。
(あまり新海作品に詳しくはないのですが、『君の名は。』では川村元気プロデューサーが新海誠をかなり強めにコントロールしていたと思っているので。)
で、そんな気持ちで映画館に行き、観てきました。
ちなみにあらすじは以下のような感じです。
あらすじ
離島から、雨が降り続ける東京に家出してきた男子高校生(森嶋帆高)と、祈るだけで晴れにできる力を持つ少女(天野陽菜)が出会い、その力を通じていろいろなことが起きるボーイミーツガール×セカイ系。
こんなまとめ方だと怒る人もいるでしょうが、あくまであらすじなので作品の良さは映画を実際に観て感じてください。
公式サイトでは
天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄される少年と少女が自らの生き方を『選択』するストーリー
とされています。
いずれにせよ、絵の美しさをはじめとした、あらすじでは伝えられない部分によさがたくさんあります。
風景描写の美しさは変わらず
ストーリーに触れる前に、新海誠監督の誰もが認めるであろう強さについて書きます。
新海誠の昔からの強みである、風景描写、景色の美しさは本作でも健在です。むしろレベルアップしてるかも知れません。
今回はとにかく東京が舞台なので美しい自然はあまり出てきませんが、都会の緻密な描写はすごく、そして雨から晴れになるシーンは格別美しいです。
この美しさゆえに、多少のストーリーの弱さは飲み込んで納得させられてしまう部分もあります。
自分が映画をつくるときに、美しい風景や映像ありきでつくったことはないのですが、こういった方向にもチャレンジ出来たら幅が広がるなと思いましたね。
神話のような力がある美しい風景描写
『君の名は。』では細かい矛盾をRADWIMPSの「前前前世」をはじめとしたスピード感ある音楽で吹き飛ばし、勢いで進めて観客を納得させていた節がありましたが、今回はアニメーションの美しさが吹き飛ばしていたと思います。
「陽菜が祈り、雨に覆われていた東京がみるみるうちに晴れに変わっていく」というカットが何回も出てくるのですが、何度見てもどれも美しいです。
神話のようなもので、細かいことは吹き飛ばす力があります。
通常の映画であれば、こんなシーンはエンディングかクライマックスで一回あるくらいでしょうが、『天気の子』の設定だと何回も見せられるのでいいなと思いました。
『天気の子』は、雨で鬱々とした壮大な景色(=破滅のセカイ)を少女がひとりで美しい晴れ間に変える=(セカイを救う)というカットが何回も見れるお得な作品です。
エンディングを何回も見てる気持ちですね。
美しき、こともなき世を美しく
また、本作は美しい自然や景色を美しく描いているのではなく、別に本物は美しくもないような場所(歌舞伎町やら池袋北口やら)を美しく描いているのが特徴的です。
日常に潜む美を浮き彫りにしているというべきか、美化するのがうまいということなのかわかりませんが、都会の妖艶さを感じられます。
この辺のビジュアルの力に引き込まれる人は、この本を買うと幸せになれます。美しいです。
徹底的に描かれる都会。あるある満載。
これも風景描写に近いですが、今回は『君の名は。』以上に実在の企業や商品が大量にリアルな形で登場しました。
CMにもなっているカップヌードルをはじめとして、からあげクン、バーニラバニラの車、マクドナルド…
これらは登場人物や世界観をリアルに感じさせる小道具として機能します。若干ずるい技でもありますが、変にパロディして出すより本物出した方が潔いですね。
これも、ストーリーやキャラが多少弱かったとしても、簡単にリアルさ、実在感を出せる方法なので、緻密で美しい風景描写ができる新海誠にとって非常に相性のいい武器だと思います。
実際、今回は舞台の多くが歌舞伎町なのですが、そこの資本主義臭さを出すのにも非常に効果的だったと思います。
新宿や池袋の風景も非常にリアルで、もはや都会のあるあるを見ている気にすらなりました。東京に来たことがない人は少しこの部分では置いてけぼりになるのでしょうか、どうでしょうか。どうでしょう?
徹底的に描かれない人物背景
ここからストーリー・脚本の話に入っていきます。
徹底的に描きこまれた風景描写と相反するように、この映画では徹底的に描かれないものがあります。
それは、登場人物の背景です。
それって一番重要じゃん! という人もいると思います。ですが、ここは意図的に排除しているようでした。
たとえば、主人公の男子高校生帆高は、はるか遠くと思われるどこかの島から東京に家出してきています。その規模の家出であれば、当然かなりの理由があるはずです。そして、その理由こそが帆高が映画を通して成長するキーであり、行動の動機となるのがセオリーです。
なのに、それが一切描かれません。
主人公を特別な存在にしないため?
正確には、「島が嫌だった」「曇り空の先の逃げていく光を追いかけて東京に来た」などの曖昧な理由は語られます。ですが、それだけです。
それだけでもなんとなく「島という閉鎖環境での日常に退屈した」とか冒頭で顔に絆創膏が貼られまくっているところから「親から暴力を受けていた」とかなにか“思春期によくある理由”があったんだろう、というのは想像できます。
逆に言うと、家での理由は「思春期だからそういうのあるよね」で終わらせてよし、という判断が新海誠の中であったということになります。この映画で語りたいのはそこじゃないんだと。
また、深読みするのであれば「理由はどんなであれその個別の事情は関係なく、家出したいくらいの衝動を持った少年であれば誰だって帆高になり得るんだ」というようなメッセージが逆に込められているのかも知れません。
やっぱり神話的な抽象っぷり
また、「曇り空の先の逃げていく光を追いかけて東京に来た」という部分は、論理的にはかなり抽象的で超弱いですが、逆にそのシーンの映像はやっぱり美しく、どこか説得力が生じています。「なんだかわからない思春期の鬱屈とした感情を、理屈のない美しい自然が揺さぶる」という雰囲気があります。
これまた神話的な強引なストーリーの持っていき方ですが、私はこの辺は「これはこれでありだな」と思いました。
ここが気になる人は、この映画は楽しめない可能性が高いです。
私は映画は緻密な脚本のみで語られるというわけでもなく、特にアニメであれば映像や音楽で乗り切ってしまうのも取捨選択のひとつとしてアリではある…と思います。
ただ、主人公の行動の動機が不明だと普通は深い感情移入がしづらくなったり、すべての行動の説得力が薄れたりするので、結構大胆な判断だとは思いました。
『天気の子』は家出の理由よりも、家出後の帆高の行動で帆高の性格や動機となるエネルギー源らしきものを描いていたのと、絵が超綺麗なのでそれで成り立っていたように思います。
オタクの妄想感も健在
過去作品でも言われていて、監督本人も認めているようですが、新海誠作品はどこかオタクの妄想感が漂っていると思います。
私はにわかなのですが、それでも『君の名は。』『天気の子』過去作品の予告などを見ていても感じます。ツイッターでは童貞臭いと言われてるのをよく見ます。
『天気の子』が凄いのは、深夜のラブホでヒロインの裸の中にセカイの秘密があるのを知るということだよな。美少女がセカイであり、セカイが美少女である、これ以上童貞臭い世界観があるだろうか?おれたちの大好きな、童貞の気持ち悪い妄想話を創る新海誠が帰ってきた!祝え、童貞王の帰還である。
— マクガイヤー@次回ニコ生8/29(月) (@AngusMacgyer) July 23, 2019
https://twitter.com/pungency_lover/status/1152603369069957123
一見わかりづらいですが、たぶん上の二人は新海誠監督のファンです。
元々新海誠は、登場人物の背景を描かず、少年少女の恋愛が世界を救う系のオタク的セカイ系なストーリーを得意としていたっぽいことが伝わります。
『君の名は。』ではそこが少し薄れたものの、また『天気の子』では復活…どころかエンジン全開になっているようなんですね。
私が見た感じだとそこまで強烈には感じませんでしたが、『君の名は。』でもあった「おっぱ〇ネタ」が3回出てきたほか、陽菜のところどころの表情やら雰囲気含めてなんか童貞感はありました。
これらはあまりプラスに働いてはいないと思いましたが、まああっても別にいいかとは思いました。
オタクの妄想臭さがよさ
また、どちらかというと、そういったわかりやすい描写よりも、ツイッターにもある通り、
「少女がセカイを救うカギで、少女の身体自体がセカイの秘密で、それがラブホで裸を見るシーンにわかる」
といった根本的な構造に童貞臭さやオタクの中二病妄想感が出ていると思います(私は設定自体は、全然嫌いじゃないです)。
ちなみに後からわかることですが、この時点でこの少女は16歳なりたて…ロリ的な要素まで絡んできます。
そもそもその臭さは、ラーメン次郎にいって「ニンニクくせえ!」と怒るのが愚かなのと同様に、肯定的に受け取るべきところなのかなと感じました。セカイ系な時点で基本的に臭いので、後はその世界観でどこまでやりきるか、みたいなところがあります。
そういった点で、中二病に振り切りまくった『コードギアス』を私は好きでした。深夜アニメはコードギアスくらいしか見たことないので他の作品と比較はできないのですが、あれは振り切り度マックスだったのでそこを批判するのは無意味と思いました。中二病世界観を緻密で大胆な脚本構成、伏線が支えていましたね。
自主映画感も
また、これだけのメジャー作品になっても、やっぱりどこか自主制作映画的な雰囲気を感じる部分もあります。
恐らく、ポエム的なセリフのモノローグが多いせいだと思います。
冒頭からラストまで、けっこうポエムモノローグが登場します。
私は自主映画処女作ではモノローグこそなかったものの、登場人物に独り言を言わせがちだったなあ…などと思い出してしまいました。
しかしそのオタク臭さを消す、社会的要素も
今回、オタク臭さが全開と言われていますが、「汚れた大人の世界」も同様に感じられます。というか、対談記事などを見ると、本来はその雰囲気こそ前面に出したかった雰囲気だと思われます。
最初の方で述べた歌舞伎町の異様なまでのリアルな描写に始まり、アニメ映画ではそうそう舞台にされないラブホ(これも池袋の緻密な描写と共に、緻密に描かれる)がクライマックスに出てくるなどで、現実味のないオタクの妄想したセカイ系という感じではなくなっています。
逆に、そのオタクくささと妙な現実的舞台の掛け合わせをエロゲーのようだ、と言っている人も結構いるので、新海監督の思惑がうまくいったのかはわかりませんが…。
とりあえず、この辺りは新しい試みだったと思います。
ほかにも、セカイ系ですっ飛ばされているとよく批判している「社会」に関しても『天気の子』では意識的に触れられています。記号的な感じもしますが、とりあえず登場はしてきます。
たとえば…
- 歌舞伎町という舞台
- お金がなくて風俗バイトに手を出そうとする少女
- 拳銃という小道具
- 自分で信じてるわけでもないオカルト記事を仕事にする大人
- 子供を助けるふりして安月給で働かせ、搾取する大人
- 拳銃使用を取り締まろうとする警察
- 手錠という小道具
こういったもので、ある程度、社会も描かれます。
あまりリアルな描き方ではなかったですが、嘘くさいセカイじゃなくするのに一役買っていると思います。ただ、開き直って警察はなくしても面白かったかなとも思います。
大人な雰囲気を出すのに成功したかは微妙なところだと思います。ただ、『君の名は。』の次回作でラブホを美しく描いてクライマックスに持ってきたのはすごくチャレンジングでよかったと思います。
青春感満載でした。ジュブナイル。
新海誠の青春には犯罪がつきもの?
尾崎豊もバイクを盗んで走り出してるわけですし、大抵の物語は法律の範疇に収まらないのでことさら取り上げるべきことではないかも知れません。
ただ、『君の名は。』で爆破を起こしたのに続き、本作では拳銃をぶっ放したり(空に向かってですが)、警察から逃げ出したりと明らかな犯罪を犯し、それが青春的に描かれています。
中途半端に警察を出したからこういうシーンが生まれているわけですが、なんか素直に主人公頑張れ! という気持ちになりづらかった部分はありました。警察視点から見ると、なにも悪いことしてない感が強いんですよね…。
「公権力から追われても自分の純粋な恋に一直線な主人公」という構図をつくりたかったんでしょうが、「家出してて捜索願いで捕まったけどそこから逃げる」というのでもよかったのではと思いました。
カーチェイスシーンもあった
警察に追われる流れで、コナン的なカーチェイスシーンもありました。
これは新海誠があまり得意じゃないスピーディーなアクション系のアニメ―ションに挑戦したという形なのかな、と思いました。過去の新海誠作品に詳しくないので、ここは深く語らずでおきます。
拳銃必要か?
すでに何度か話題にしてしまっていますが、拳銃が必要だったのかが私にはわかりません。
主人公は、歌舞伎町で偶然拾った拳銃をお守りとして持ち続けるのですが、まずそこが結構謎です。そんなやついるか? と。これを納得できるだけの背景があればいいのですが、前述の通り、主人公の背景や家出の理由は語られません。
なので、拳銃を持ち歩いてしまうヤバイやつ、という印象になってしまいます。
「この拳銃がマクガフィン(話を進める動機となる小道具)として機能していてよかった!」という記事も見ましたが、私はあまり機能していなかったように思います。
思春期の少年が拳銃を持てば当然そこには緊張感が走りますし、撃つべきか撃たないべきかの葛藤も描けるので、ドラマ性は生まれます。
ただ、それ、話の本筋に関係なくないか? という気が私はしてしまいました。
これまた、「公権力に少年が銃を向けてでも少女に会いたい」というのを示すために使われただけで、薄い使い方に感じました。
これを中途半端にやるなら、少年が拳銃を偶然拾った話をテーマに映画を一本描く方がいいような気がしました。テーマはあくまで、天気を晴れにできる少女と出会ってなんやかんやなわけなので。
猫も必要なくないか?
同様に、銃を拾うあたりで猫も拾います。
ですが、この猫も映画中でたいした意味を持ちません。
主人公は猫を拾った。須賀は主人公を拾った。
という二重構造に意味があったのだとは思いますが、なんかもうちょっと掘った方がよかったのではと思いました。
一応スパイスとして入れてみた…的な感じがしてしまいました。ひねくれすぎかな。
スガシカオの歌との関連性
…ちなみに、大人な世界観にするためにスガシカオの歌にインスパイアを受けているようで、拳銃なんかは「夜明け前」という歌詞を再現したものなのかも知れません。
新海誠がスガシカオとの対談で意外な発言!『君の名は。』の次は"日暮里のラブホテル"が舞台のDQN映画?
「天気の子」、挿入歌はRADWIMPSだけど、ベースの世界観はスガシカオの歌詞がモチーフになってたりするんじゃないだろうか。
新海誠とスガシカオの対談も作品制作中にあったらしいし、登場人物には「須賀」の名前もあるし。。
『夜明け前』https://t.co/JGWhu0BkJD
『奇跡』https://t.co/UkNJFswfdW— たけくら (@tachesan) July 21, 2019
猫もその系統なのかも?
でも、個人的にはなにかの歌が元になっていたとしても、登場させるならもっと本筋に意味ある形にしてほしいな、という気持ちは変わりません。
早くも小説版が出ており、そちらで色々と補填がある可能性もあるので、気になる方は読んでみるとスッキリするかも知れません。
オタク臭さがまるでなかった“凪君”
…と、ここまで少し批判的に書いてしまいました。
逆に効果的だったのが「凪君」でした。
彼は小学生ながらモテモテの男子で、主人公の童貞っぽさとは打って変わって、大人な男を演じてくれます。これを見ると、作中の童貞臭い描写はわざとやってるのかな? と思わされます。
彼は今までの作品にはいなかったタイプなのでは? と思いましたが、新海誠ファンの方、どうでしょうか。
年下ながら「センパイ」の風格があった彼は、いいキャラだったと思います。
令和のセカイ系を示したラスト
さて、いろいろ書いてきましたが、細かい突込みはあっても、映像美でけっこう乗り切れますし、童貞臭いと言われているセカイ系的な設定も割り切ればむしろ感動のファンタジーとして受け入れられます。
家出の背景なんかは意図的に描かれていないものの、人物描写も丁寧で、正直、随所でちょこちょこ感動できます。
ただ、感動的なクライマックスが2回に分かれるような構成だったことと、単純なハッピーエンドではないので大きなカタルシス→感動ドカーンというのはなかったです。
しかし、それこそが私としてはこの作品の面白さであるとも思いました。
どういうことかというと…
ありそうでなかったセカイ系の結末
「少年が愛する少女の自己犠牲によりセカイは救われる」というのがセカイ系です(本作におけるセカイは東京だけですが)。まあセカイ系の定義はいろいろなんですが、そういうことにさせてください。
で、通常は
- 少年が少女を助けるが、なんらかの別の仕組みなどによりセカイも救われる
- 少女が自己犠牲となりセカイが救われ、少女は伝説的な存在になる
のどちらかになると思います。
ですが、本作は、
少年が少女を助けたので、セカイは救われなかった
というラストを迎えます。
これがよかったです。
帆高が陽菜を感動的に助けた後、スクリーンが真っ暗になり、これまた少しポエムモノローグ的な感じで「それから東京で雨が止む日は一日もなかった」とかいって3年くらいが一気に経過します。二人は東京と離島に引き離されます。
え、そういうパターン!? と一瞬驚きました笑。
救われたか救われなかったか
ただ、便宜上救われなかった、と書きましたが、救われなかったのかどうかの判断を観客にゆだねているラストになっていました。
「セカイは元々狂っていて、狂ったところでどうにかなってそれが日常になっていく」というのを私は感じました。
ラストシーン、水没しかける東京で水上バスが運行しており、人々は普通に街を行き交っていました。
そうはいっても罪悪感を覚えている少年少女。その二人が3年を経て再び会うそのカットは、かなり感情を動かすものがありました。
丘の上で、もう晴れさせる力のない陽菜が、それでもただ空に向かって晴れることを祈っている。
きっとこんな祈る日々を3年間続けてきたのだろう、と思うと感情が動きます。
ラストのセリフ
そして二人が出会い、抱き合った後、最後に帆高から発せられるセリフが
「きっと、大丈夫だよ」
でした。
…これがちょっと弱かったと思います。
『君の名は。』が「君の名は?」で終わったのに比べて、世界が破滅したとも捉えられるこの状況で、ぽっと出のセリフである「大丈夫だよ」と言われてもなんだかしっくりきません。大丈夫なのか? という気持ちになります。それが狙いなのかも知れないですけどね!
そして、そのセリフでもうエンディング入るので、ここはモヤっとしてしまいました。
でも、少女を自分の気持ちだけで助けたことによる代償をしっかりと描いたのは面白かったですし、「自分が犠牲を払うことでしか誰かを助けられない状況になったら、必ず自己犠牲払わなくちゃいけないの?」という問題提起もまたよかったです。
もっと練ったらもっと面白くなるのでは…なんて思うような部分もあったのですが、全体として見てよかった作品でした。
おまけ
私が好きなカットは、帆高が陽菜の誕生日プレゼントにあげた指輪が、空から落ちてくるカットですね。
身体がほとんど水と化した陽菜の指から指輪がするりと落ちる部分も好きですし、深夜のラブホで誕生日プレゼントに指輪をあげるシーンもよいです。純粋な青春が不純の象徴と捉えられそうな場所で行われるのがいいです。
あと、雨が降り続ける東京のリアルさ、そして本物の雨以上に暗い気持ちになる雨の描写もよかったです。
まとめ
またまたかなり長く書いてしまいました。
コンパクトにまとめようと思ったのですが、モヤっとする作品なこともあって書きたいことがあふれてしまいましたね。
もっと詳しく考察したい人はパンフレットを買うと、制作側のスタンスも見えてきて面白いと思います。
なんにせよ、こういった映画をいろいろ見ることは、自主映画の制作にもつながるというものです。
これからも映画を観たり撮ったりできたらいいなと思う次第です。
『天気の子』の曲も聴き返したいなと思ったり、『君の名は。』を見返そうかなと思ったりしながら記事を終わります。