考察

通勤時の行列を見て「蟻みたい」→じゃあどうすりゃいいの

2017年5月22日

てくてく。

 

 

あ、どうも、蟻です。、実は蟻なんです。

 

てなわけで、今日は日本の通勤時のエスカレーターとか改札とか諸々の行列に対する批判に対して思うことを書きます。最近は意見系の記事多めです。

関連音楽素材を1年以上配布してきた結果と、工夫してきたこと

関連ツイッターの怪しい自動DMの特徴をまとめてみた。どっかにフォーマットでもあるの?

というのもね、現在、今までに書いたグルメ記事をほとんどグルメ専用のページに移行中で、調べもの系の記事を書くのが労力的にきついからなのです。

…が、そんな話はどうでもよく、本題へ行きますか。「日本人は通勤時に黙々と行列を成して歩いていて蟻みたい」ってちょいちょい言われる気がするけど、じゃあどうすりゃいいの? という話。


蟻みたいって具体的に何のこと?

まず、「蟻みたい」という言葉にもいくつかの意味が込められていると思います。

 

1、行列なところ

2、全員が無感情・無意志・機械的に歩いてるように見えるところ

3、みみっちい、小さいとかなんか漠然とした批判

 

だいたいこんなところじゃないでしょうか。スーツが黒くて蟻を連想する…なんてのもあり得るかなとか思いましたが、入れませんでした。

で、2とか3はまあいいとして、1的な意味だけで「蟻みたい」とか言ってる人はいないですかね? そういう人は「じゃあどうすんの」という視点が抜けていやしないでしょうか。

…と、思うことがあるわけです。

まあ別にそんなわざわざ記事に書くほどのことでもないんですがね。ツイッターとかでたまにこういうツイートを見かけて、なんか核心を突いたみたいなポジションを取ってるのを見るとむかつくし、書くネタも思いつかないので書いてます。

そもそも「核心突いたわ。しかも140字以内でうまくまとめたわ」みたいな雰囲気のあるツイッターの空気感が嫌いだってのもありますが、とにかく私はこの「蟻」発言にもの申すわけです。少し。

 

行列について

話を戻します。

日本人の、通勤時のぎゅうぎゅう詰め的な行列を見て安直に「蟻だ」とか、「無視だ」とか、「ベルトコンベアのようである」とか言ったとしましょう。

じゃあ。

だれも行列を作らず、我先に走り出して競争のようにエスカレーターの順番を抜かし合い、他人を押しのけて改札をくぐり抜ければいいんですかね?

もしくは、たまに無駄に方向転換したりして、みんなが同じ方向を向いて一列を歩かず、混沌とした混雑を生み出せば満足でしょうか?

列を成すことってそんな批判対象になることだろうか、というのがまず謎です。もしくは、とりあえず「蟻っぽい」と思いついたから言ってるだけでなんの批判的視点もないんですかね。どうでしょう、その辺。

蟻みたいだとただ思うだけなら私も思ったことはありますけど、それって思いつきでしかなく、核心ついた批判のようなていで言うにはもう一歩考えてないとダメな気がします。

 

無感情・無意志・機械的に見える

これですね。ここまで考えた上で「蟻みたい」とか言うなら、まあ批判として意味を成すかな、とは思います。でもこれも「じゃあどうすんの」とは思いますが。

厚切りジェイソンもそんなようなことツイッターで言ってた気はしますが、当然このくらいは踏み込んでたはずです。彼のことなので、もっともっと深い意味があったかも知れません。

「蟻は本能的に甘いものやら目印をたどって行列作ってるだけで、さほど何も考えていない」という認識が正しいかはおいておいて、まあ、このような意味で「何も考えずにただ黙々と会社に行くという義務のためだけに行列を成して淡々と歩く日本人ども」みたいな批判で「蟻みたい」と言ってるんでしょう。

これなら少しは納得できます。ただ、行列は日本の都心の込み具合を考えれば仕方ない…というか、みんなが社会の秩序を守った結果できる現象なので悪いとまでは思いません。そして、行列は作らざるを得ない気がします。

じゃあ。

それぞれがニコニコしながら行列を成して歩いていればいいのか、それとも怒ったり泣いたり笑ったりしながら行列を成せばいいのか、深いことを考えてる感じをぷんぷん匂わせて行列を成せばいいのか。

…なんていう話にならないでしょうか。

活き活きとした顔の行列ならいいんですかね? それはそれで「能面のような笑顔を張り付けた、現状に疑問を持つことを忘れた洗脳集団のようだ」とか言われるんじゃないですかね。

 

みみっちい、小さいとかなんとか

この辺はあまり自信のない予想なので割愛します。

でも、なんか「蟻」ってワードを使うとそういう雰囲気も出て、批判っぽくなりますよね。

 

ピンと来ない批判

というわけで、「蟻みたい」とかいう批判は、ただ行列を批判してるならよく意味が分からなしい、かといって無意志・機械的という批判も、じゃあどうすればいいの? と考えると特に答えがない気がする。

なので、これくらいしか考えずに「通勤時の行列は蟻みたいだ」「日本人の行列は蟻のようだ。我は人間だ」というような批判をしている人は、結局大したこと考えずに思い付きの批判をしてるだけなんじゃないかな、と思います。

※ただまあ、私はツイッターでいかにもなことを言って満足してるタイプの人が好きじゃないからこういう記事で長々と反論してるだけで、リアル世界で友人が「蟻みたいだよね」とか言ってたりする分には「まあパッと見そうだよね」くらいに思って終わります。

 

で、「蟻みたい」発言が真に意味を成す批判となるときは、「通勤時の行列を解消するすべを各会社や組織が長年考えもしてこなかったことも含めての批判」の場合や、「日本人はただただ毎日機械的に行列を成して前に倣えのように会社に行くだけで、脳みそを使っていない。雇われて何も考えずに人生を浪費しているのはおかしい」みたいな意味合いの場合かなあ、と思います。

微妙な差ですかね? なんか「蟻みたい」っていう批判、あんまりピンと来ないんですよね。似てるのはわかりますけど。見た目だけで言ってるんだったら、太ってる人に豚というのと同レベルの批判ですよね。

あとは、「日本人は皆死んだ魚のような目をしてなおかつ蟻のように行列を成して会社に行くだけで、人生を終える。異常だ。日本人全体の考え方を変える必要がある」というような批判の場合も、じゃあニコニコしてりゃあいいのかよ、となるので、あまり的確な批判とは私は思いません。海外の方は行列でもみんな楽しそうにしたり独り言を言いまくったりしてるんですかね?

 

解決法

なので、「蟻みたい」という批判への解決策は、「日本の仕組みを変える」「日本人全員の会社や仕事に対する平均的な思考を変える」とかになるわけですが、もっといい解決法がありますよね。

周りの他人と楽しく会話する…という究極の解決法が。

毎日行列で楽しく会話しながら通勤していれば、「蟻みたいだ」とかいう批判も生まれないでしょう。蟻は会話しないですし、楽しそうなコミュニケーションというのは無意志・機械的の逆ベクトルです。

 

でも、そういう、周りとしゃべれ的な意味で批判してる人っていなそうですよね。

以上、「蟻みたい」と一言で言うけど、どこまで考えて言ってんのかなあ、という私の思いでした。

 

 

ひとこと

書くことないから長々と書きましたが、「蟻みたい」と今までに言ったり書いたりしたことがある人でも気を悪くしないで大丈夫です!

よっぽドヤ顔で核心突いたみたいな風に言っていなければ、こんなに色々反論するつもりはないので笑。そして、私が全体的に勘違いしていたらそれは今度は私が批判を受ける番になりますね。コメントとかでなんか来てもスルーすることもありますけど。

とにかく、安っぽい批判でやってやったぜみたいな雰囲気を出しちゃうのは、小説・映画・RPGなんかでもやると作品の質が落ちると思うので気を付けないとだめだと思います。はい、このブログは創作系の話題がメインのブログなのでね、一応。そんな話をしました。

では、そんな感じで。

ーおわりー

 

 

PS.後ほど思いましたが、海外ではけっこう素で明るい顔してゆるく通勤してるもんなのかも知れませんね。でも新宿並に混んでたらその人たちも蟻になるほかないような気はします。どうなんでしょね。