神聖かまってちゃんが現代社会で人気を得た理由【ロックンロールは鳴り止まないっ】 - フリーBGM&自主映画ブログ|"もみじば"のMOMIZizm

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神聖かまってちゃんが現代社会で人気を得た理由【ロックンロールは鳴り止まないっ】

世の中には様々なバンドがいる。今もいて、過去にも存在していたし、これからも現れるだろう。

さて、ネット上で反響を呼び、賛否両論ながらもどんどんその活動範囲を広げているバンド、神聖かまってちゃん。この記事ではそのバンドについての考察をしていく。

具体的にはなぜこのバンドは人気が出たのか、という点に焦点をあてて考察していきたいと思う。

 

若干今更感があるかも知れないが、実はこれはかつて大学の頃に書いたレポートが元になっているのである。当時の源氏物語の8000字のレポートを源氏物語を1文字も読まずに書く、というような舐めたことをやっていたのだが、神聖かまってちゃんはちゃんと代表曲は聞いたので、安心してほしい。

ああ懐かしい。

 

では本題へ。


神聖かまってちゃん人気の理由を分析

一般的に言って、あるバンドが人気になる場合、その理由は基本的にはそのバンドの作る音楽がよいからである。ジャニーズやAKB48などのアイドル要素のあるバンドはまた別だが、基本は簡単に言えばそれが理由となっているはずである。

だが、神聖かまってちゃんは一般的に人気のあるほかのメジャーバンドとはその人気の出方が大分違ったものになっているように思える。もちろん彼らの曲それ自体も人気の大きな理由ではあるだろうが、それ以外の部分もかなりのウェイトを占めているように見えるのだ。

 

それ以外の部分

〝それ以外の部分〟のまず一つ目は、彼らの活動形態である。

神聖かまってちゃん 活動形態、ニコニコ生放送

彼らはCDを出して自分たちの音楽を世に広めるのではなく、ネットという媒体を利用した。彼らはYOUTUBEやニコニコ動画などに音楽を投稿することで、全世界に向けて自分らの音楽を発信したのである。

もちろん、ネットがこれほどまでに普及した現代においては、そのこと自体はさほど真新しい手法でもない。だが、神聖かまってちゃんの活動における特筆すべき点は、ニコニコ動画の生放送を利用した点にある。

神聖かまってちゃんのボーカル「の子」は、たった一人でノートパソコンを片手に掲げ、街のど真ん中で傍目には歌とも独り言ともつかないことを大声でわめく、という〝路上ライブ〟をおこない、その様子をネットで生放送する、という音楽活動を度々行っているのだ。ギターもピアノも何もなしに、ただラップ調で

「俺はホットケーキが好きだ!」

を連呼する歌を披露し、周りがどん引きみたいな様子を全国に配信しているのだ。

しかも、の子はその活動の最中に警官に「なに騒いでんの」などと言われ捕まるなどもしていて、その様子までも自ら生放送していたのである。

こんなことをしていれば反響を呼ばないわけはないだろう。

激しい活動が信者とアンチを産み、話題を呼ぶ

これ自体が直接人気に結びつくとは言い難いが、これだけ突飛なことをすればそれだけでネット上に信者が現れるであろうことは予想できる(もちろん、いわゆるアンチも大量に出るだろうが)。

これはどん引きされるところや、捕まるところまで含めて戦略といってもいいのではないかと思う。

普通に歌のうまい人がギター片手におしゃれなフォークソングを歌って、周りがキャーキャー拍手して終わる、みたいなのをニコニコ動画で生放送したところで大した話題性はない。自己顕示欲の強いリア充乙とかなんとか言われて終わりであろう。

とんでもない理解できないことをする表現手法というのは、いつの時代もたいていアンチと信者が大量に生まれるものであるのだ。

また、「俺はホットケーキが好きだ」を連呼するのも、ある種現代のシュール向きな風潮や、意味ないことを繰り返し言うことによるある種の緊迫感、どうでもいいことを言うことによって生まれる逆に意味深っぽい雰囲気などがあり、批評家気取りの人などには案外高評価になったりもするのではないかと思う。

少なくとも私はなんかいいかもな、と思ってしまった感がある。なにせ、私はこんな意味不明な記事をストレス発散で書いたりするくらいなのだ。

あと、こんなのも。

 

とにかく、彼らが話題を呼び人気が出た理由の一つとして、奇行を生放送で配信というのが挙げられるのは間違いないことであろう。その奇行が彼らの衝撃的な音楽の裏付け的にもなっていると考えられる。

単なる奇行で終わりではなく、音楽にリアリティーが増すのである。

 

リアルなバックボーン

次の〝それ以外の部分〟として挙げられるのは、彼らのリアルなバックボーンである。なかなか真面目そうだろう。

神聖かまってちゃんのボーカル「の子」を始めとして、メンバー皆、自殺願望があったり、いじめられていたり、引きこもっていたりと、そういう経歴がある。それがまた激しい攻撃的な歌詞にリアリティーを出しているのである。

↑普段の生活がうまくいっているような人間

普段の生活、人生がうまくいっているような人間が「死にたい」だとか「社会への反抗」だとかを書いても薄っぺらく感じられ、聞いている側も茶番のような、むしろ軽く馬鹿にされているような感覚すら抱きかねない。

↑普段の生活がうまくいっているような人間が「死にたい」と語った顔

だが逆に、神聖かまってちゃんのようなバンドがそういう歌を歌えばそれは強く心に響き、そしてそのバンドにとって大きな武器となるだろう。神聖かまってちゃんというバンドはこの二つの要素によって大きく話題になり、人気が出たのだと私は考える。

 

曲の力×リアリティー

だがしかし、これらだけではこれ程話題にもならなかっただろう。彼らの曲の力が土台にあった上で、これらの要素が乗っかり話題、人気を得たのだ。

彼らの曲を聞くと、なにか現代社会に対するリアリティーのある切実な叫びを感じる。

もちろんこれはかなり個人的な感想なので、この場に書くには相応しくないかも知れない。だが多くの人にそう感じさせたからこそ、こうして人気が出たのであろう。なので、そう感じさせる理由はなんなのかを考えようと思う。

 

 

「ロックンロールは鳴り止まないっ」分析

ここでは彼らの代表曲「ロックンロールは鳴り止まないっ」について書く。代表曲から彼らの曲が持つリアリティーさを解剖してみたいと思う。

解剖などというと調子に乗り切った評論家気取りのようだが、調子に乗ろうと乗らまいと私がやることは変わらない。「ロックンロールは鳴り止まないっ」について書くのである。

各パートごとの特徴

ボーカルの歌い方

さて。まずはボーカルの歌い方である。

の子の歌い方は特徴的で、かなり気だるく、若干かすれた声で、音程もそんなに気にしないような様子で聞き取りにくく歌う。決して特別歌唱力が優れている訳ではない。だが、その歌い方はあらゆるものへの反抗心を表すには十分過ぎるほどの表現方法である。

割れるようなドラム

それに割れるようなドラムの音が重なる。わかりやすい「破壊」の象徴である。

変わらぬ芯を持つピアノ

そして特徴的なのは、イントロから流れるピアノの美しいアルペジオがずっと背後で鳴っていることである。

各要素の掛け合わせ

美しい調和のとれたアルペジオを破壊するかのようなドラム、そしてその中でかすれた声で気だるく、音楽の命とも言える音程すらもあまり気にせずに歌う。これは反抗心を表すにはこれ以上はない、というくらい最適な構成ではないだろうかと思う。

ちなみにこう書くと非常に暗い曲に感じるだろうが、実際にはなかなかポップで明るい曲調なのである。

絶妙な構成

明るい曲調での子が前述のような感じで歌うと何か深みが生まれるのである。

しかもサビにくると一気に気だるさは消え、切実に心の底から叫ぶような歌い方に変わる。サビ以外は抑圧されたストレスがにじみ出るような感じで歌い、サビでは全てを爆発させるかのように叫ぶ。

狙ってか知らずかはわからないが、まさにリアリティーのある構成である。

その間中ずっと変わらず繰り返されるピアノのアルペジオが真に伝えたいもののようにぶれずに流れていて、曲を芯から支えている。それでいて演出染みていない。

ただ、この曲は特別社会に反抗した曲と言うわけでもない。ただ、メッセージ性はかなり強く、「俺が言おうとしてることが社会に伝わらなくてもそれでもいい、俺は言い続ける!」みたいな精神がある種の反抗心として見える。

 

 

まとめ

このような曲の構成が彼らの経歴とマッチし、曲に深みが増し、多くの支持を得るに至ったのであろう。

神聖かまってちゃんの前述のような表現方法は抑圧社会である現代においてかなり優れた手法であるように思える。それが彼らの人気を大きく支えたのであろう。

現代社会にあった曲作り、現代社会にあった普及活動、現代社会特有の問題を実際に抱えていたメンバー、これらの要素が組合わさったこと、が彼らがここまで話題を呼び、人気を得た理由なのである。

改めて今

ちなみに、いま改めて聞いてみると、「ロックンロールは鳴り止まないっ」は銀杏ボーイズに通ずるものを若干感じた。

押し殺した感情の爆発か、まっすぐな感情を隠れた場所で素直に爆発させる的な繊細かつ重要な差はあるような気はしたものの、サウンドの切実さ、破壊的かつ美しさを求める感じは少しシンパシーを感じた。

パンクだからといえばそれまでだが、個人的には面白い発見だった。

ベストにも「ロックンロールは鳴り止まないっ」は入っているので、一気に聞いてみるのも良いのかな、などと思った。

椎名林檎についても語ったことがある。これまた大学のレポート系。

こういう考察みたいな記事を増やしていくのもありだな、などと思いつつ、この記事は締めさせていただく。こうして記事は書き止むのであった。