『リアル自宅警備員』制作記 自主制作映画

納期がない自主映画は徹底的にこだわるべきか否か

2018年10月6日

落雷と共に生まれたアンパンマンのような感じで生まれた管理人で~す。

でーす。

今回は自主映画の納期とこだわりについてです。

私の経験を踏まえて軽く語りたいと思います。語られたくない人は硬い芋でも食べててください。

では。

…あ、ちなみにこの記事は監督である私自身が動画を編集し、さらに音楽も自分でつくっているので、そういう視点で語ってます。監督は自分だけど編集は別の人、という方はまた違うと思います。


納期のない作品への無限のこだわり

さて、以前の記事でそろそろ作曲を後3分の1終わらせたら、今作ってる映画が完成する…

とかほざいていたのはだれかと思えば私。

 

そこからなぜだかもう一カ月以上が経過…

どうなってんねん?

と少数の私の映画ファンの方は思っていることでしょう。

 

なんということか、私は作曲を進める直前は

「とにかく完成を目指して、まだまだこだわりたいところはあるけど後回しだ」

 

と突っ走っていました。

理由はというと、「作曲をさっさと始めないと永遠に終わらん!(1時間近い量の曲をつくるので、かなり気持ち的にも重い)」 と思ったのと、9月ころから環境が変わって作業時間が減るだろうと予想していたので、そこまでに完成させたかったからですね。

なんと作曲が終わった今、そのときにこだわれなかった動画編集部分をこだわり始めてしまっているのです!!

 

元々やる予定だったものも作曲前の段階ではいったん諦めていたりもしたのですが、やっぱり欲が出てしまいました。

 

こだわりはよいことか

さて、商業映画だとどうにもこうにも納期・締め切りが決まっているもので、それゆえこだわろうとなんだろうとそこには間に合わせなくてはなりません(延期という手もありますが)。

 

一方、ただ趣味でやっていて、誰に望まれてるわけでも、それによってどこかの企業が利益を得るわけでもない自主制作映画の場合、こだわろうと思えばこだわり放題です。

通常、それはよいことに感じると思います。私も、作品への愛も映画への知識も才能もセンスもないけれど企業の肩書のおかげで偉そうに上から目線で赤字を入れてきそうなスポンサーやら事務所のなに者かによって、愛すべき自分の作品がどうでもいいものにされれば腹が立つことでしょう。

納期によって様々なことをあきらめなくてはいけないのは非常に悲しいことでしょう。

 

ただ。

 

なんの納期もなく、つくらなくてもだれも困りはしない自主映画(出演者やスタッフはむかつくでしょうが、そもそも自主映画の場合頼んで出てもらってるだけで映画自体に興味がない人も多い)の場合、永遠に制作を続けられます。

しかし…それをやるとですね。一つ問題があります。

わかりますね。

 

永遠に完成しません。

 

こだわりか、完成か

私はそれに陥りそうになることが多いです。

処女作『抜本-BAPPON-』も10分~15分の尺で終わるつもりで始めたのが、気付いたら1時間半の映画になってしまい(途中から開き直りましたが)、二年間も編集していました。

たしかにクオリティは当初と比べてかなり上がりましたが(前半は粗いですが)、時間を費やし過ぎたような気はします。

自分しか気にしないようなカット1コマの差、誰も気づかないようなミスの修正、わずかな音量調整などなど、やって悪いことはないですが、長く編集していると自分の時間がなくなり、そして周りも年を取り、場合によってはその作品のことを出演者すら忘れます。

自主映画だと出演者にとって自主映画への出演なんてのは、ある休日のほんのちょっとしたイベントにしかすぎません。まじで忘れられてしまいます。もちろん、完成時に再度伝えれば思い出すでしょうが。

 

そして、完成までに時間をかけすぎるとさすがにどんなに情熱があっても疲れてきます。わたしなんかは普通にサラリーマンやりながら編集してるので、睡眠時間が減ります。

まあ、平日が仕事だけで終わらないので楽しいんですが、二年間とかやってると疲れます。ちなみに、一つの作品を二年間と、いろんな作品を数カ月ずつだと疲れが全然違います。後者の方が気分が楽です。

 

完成は絶対にさせるべき

こだわるのはいいけれど、完成しなければ意味はなく、こだわってる間に似たテーマの映画が世に出てきたり、時にはデータが消えたりすればおしまいなわけです。

かなり昔に、「とにかく映画を完成させる方法」をまとめたことがありましたが、完成するのと完成一歩手前というのは大違いなわけです。

 

どうでもいい作品を世にはなっても意味ない、というのはもちろんですが、素晴らしい大作になる予定の未完成作品になっても意味がないわけです。

 

つまり

つまり何が言いたいかといえば、

 

「自分の中で締め切りを作る」

 

これが大事、ということですね。まあ、普通のことですね。

締め切りに間に合わせるためには、毎日何時間くらい作業したらいいか、とかもある程度わかるわけです。

締め切りがないと、たまにあんまり作業せずにドラクエライバルズばっかりやってしまう日もあるわけです(私)。

 

私は作曲直前にはめちゃ締め切りを意識していたので、短時間ですごく集中したり、土日の予定を減らしたりと計画的に動いていました。

しかし、もう環境が変わってしまって締め切りオーバーしてしまったので、また色々とこだわりはじめてしまっているわけです。

それによって、本当なら完成してたはずのものがまだ完成させられていないのです…。

 

 

ただ、本当に締め切りで無理やり終わらせていたら、細かいミスはそのままだったし、作品の肝となる部分も少し手を加えられたので、完成度も変わっていたことでしょう。

どちらがいいかは非常に微妙なのですが、締め切りオーバーしても次の締め切りをまた設定して、常に「なるべく早く完成させる」ようにするのがよいと思います。

 

まとめ

たいして中身のないことを長く語ってしまった気がしますが、こだわればこだわるほどいいかというとそうでもない場合もあるので、第三者に見てもらったりもしながら、常に”完成”を意識するのは忘れてはいけないと思います。

監督が編集をしない時は編集する人を監督が追いかけまくるのかどうなのかよくわかりませんが、どんな場合もこだわりと締め切りのバランスは重要です。