三文 享楽

こんばんは、三文享楽【三文】

2018年6月22日

どうも、三文享楽です。

いったん終わり記事です。

 

いったん,終わり記事

え?なにが?

そもそもお前は誰かって?

このホームページに定期的にアクセスしていただいている方には認知していただいているかもしれませんが、このサイトのゲストライターとして2年程度記事を投稿させていただいていた者です。

 

ええ、このサイトで小説の投稿をはじめ、食べ物やその他書きたい記事を投稿させてもらっていました。

ご覧になってくださっていた方いらしたら、どうもありがとうございます。

 

 

この度、わけあってゲストライターから離れることとなりました。

定期的に記事を更新していて何も言わずにいなくなるのも申し訳ないのと、管理人に「いなくなるなら、そういう記事を書いてくれ」と言われたので、今回の記事を書かせていただきます。


中身がない

といって、今回の記事、これ以外に中身は特に何もありません。

 

なぜならば、私が中身のない人間だからです。

 

よくありますよね。中身のない人間が中身のない話をして面白くないことって。

中身のない人間が中身のない様いかに語るかということになれば、それはそれで「中身のないことをムダに語り続ける」という中身になって一つのテーマになることもありますが、本当に中身のない人間がさも中身ありそうに、しかも特筆できそうな面白い表現も使わず、頓智の効いた言い回しもせずに拙い語彙で語っているのは、あまり面白くありません。

 

ということで、今回は一つの中身以外を入れない記事となりました。

 

 

ちなみに、冒頭で、「いったん離れる」などという言い回しをして、「あれ?いったんということは戻ってくるの?」と思われるようにしてあるのは、これは私が未練がましい人間であることの証明に他なりません。

 

人間不安に苛まれ私のような中途半端な人間こそ、このように少しの可能性だけ残そうとするものです。しかし、そういう人間こそ言葉の端に垣間見える言質を取られ、後々発言の意図を問い詰められ糾弾されることもあるのだから怖いものです。さっきのは言葉の綾であって、私にはそんな気は毛頭ありませんよ。といえば、どうにかなる場合とどうにもならない場合もあります。結果的に、冒頭のあの文言はどうでもいい言い回しということになったわけです。

 

 

結果的に中身のない話をしました。しかしまあ、こういう言い回しをムダに書きなぐるというのはやはり文書好きには楽しいものですね。冒頭部分は記事を長引かせるためだけの布石だったのかということを書き出せばまだまだ話は続くわけですし、文章というのは終わりのない世界を創り出せます。これは何十篇もの創作の旅に出かけたことのある文筆家にしか分からない特権ですよね。白紙のノートにペンを入れ出したところから、一つの宇宙を手に入れたような感覚になる創作家だけの楽しみ方です。偉そうに創作家ぶるなと思われるかもしれませんが、私とて三文小説を私の好き放題に書いて自家消費し、享楽していた三文文士だったわけです。

 

 

おっと、長くなるといけません。

今回は私がゲストライターを離れるということだけを掲載する記事だったわけであって、それだけの中身とする記事なわけです。

 

いやあ、いやいや、どうもありがとうございます。