『走れメロス』のメロスは実はおかしいのではないか? これは、そんな疑問を持った私の、冗談めいた真剣な問いかけである(適当)。
-正義と真実を貫く男、その名もメロス。彼の真の性格とは!?-
さて、ときたまこのブログで開催している、考察レポート風記事シリーズだが、今回は『走れメロス』についてである。
この記事をざっくりまとめると、
「『走れメロス』って名作扱いではあるものの、結構突っ込みどこない?!」
という感覚を記事にしてみた感じである。
まず断わっておくことがあるのだが、上記のサブタイトル「正義と真実うんぬん~」はあくまでも「興味を持ってもらうための前座的サブタイトル」なのであって、決してふざけたサブタイトルではない。ぜひぜひこの点を理解していただいた上でこのレポート風ブログ記事を読んでいただきたい。不快に思われる可能性を鑑みて、先に今この場で土下座をしておく。
それでは本題に入る。
『走れメロス』のテーマってなんじゃ
まず、『走れメロス』という作品は、今まで数多くの研究者たちの手によって幾度となく研究されてきた題材である。その理由としては、国語の教科書に載っていること、作品自体が優れていること、また場合によっては「あまりにも多く研究されているから」というのが理由である場合すらあったりと様々な理由が考えられる。
だが、やはり何よりも『走れメロス』が持つその強いテーマ性が、多くの研究者たちの好奇心をくすぐるのではないだろうか。
ではその『走れメロス』の持つ強いテーマとは何であろうか。
それは一般的には、「友情の絆の強さ」だとか、「正義の素晴らしさ」だとか、「真実の大事さ」だとか、そういったものだとされている。くすんだ心を持つ社会人・大学生どもからすれば直視できないくらい眩しいテーマばかりである。逆にいえば、それゆえ教科書にも乗り続けてきたのであろう。
ここでこの話を簡単におさらいしよう。
■↓『走れメロス』のかんた~んなあらすじ
メロスは友人のために苦難を乗り越え走り続け、友人もその間メロスを信じずっと待ち続け、そしてとうとうメロスは約束の時刻に間に合う。そこで実は自分が相手を一度だけ裏切ってしまっていたことを告白しあい、真の友情を達成する。その様子を見て邪智暴虐の王すら改心してしまう。
こんな感じである。
こんな感じのストーリーであることを考えれば、そこには確かに前述のような眩しすぎるテーマが否が応でも見てとれるわけであり、その正義だとか友情だとかを中高生にわかってもらいたく教科書にも載せているのであろう。
それってほんと?
だが、本当に『走れメロス』はそんなに眩しく、感動する話なのであろうか。この見方はかなり恣意的な見方ではないだろうか。
特にメロスである。
メロスは一般的には正義と真実を信じ、友情に厚い素晴らしい男であるとされている。そしてこの物語はそのために感動を得ている。「正義と真実を信じ、友情に重きを置く人間は最後には報われるんだな、どんな悪もそれを見れば改心するんだ!」といった風である。
しかし私はこれに対し疑問を抱く。
『走れメロス』をそう捉えるのは自由だし、別にそう思って素直に感動するのもとても良いことだとは思う。だが私は、いまいちこの物語に素直にそういった感想を持つことはできない。なぜならメロスという男の性格にところどころ疑問を持つからである。
ここが変だよメロス! シリーズ
では具体的にメロスのどこに疑問を持つのか、ここからはより具体的な話をしていこうと思う。
ここが変だよメロス! ①激怒する経緯がおかしい
まず、メロスが最初にとった行動を思い出してみて欲しい。メロスは激怒している。まあここはいいだろう。だが、メロスが激怒するまでの経緯を考えると、なんだか短絡的過ぎる気がしないだろうか。
なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。
路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈はずだが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。
しばらく歩いて老爺ろうやに逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「王様は、人を殺します。」
メロスは何も言おうとしない老爺の身体を両手でゆすぶって「王様は、人を殺します。」と言わせてそれで激怒しているのだ。
いくら街のようすがおかしいからといって、老人のからだをゆすぶって無理やり吐かせるのは、正義漢のやることなのか微妙なところである。メロスに肩を寄せるのであれば、「正義感が人一倍強いメロス」が街のただならぬ雰囲気を感じ取り、「老人の肩をぶんぶん揺さぶってでも吐かせねばならぬ」、と思ったので老人は仕方のない犠牲だった…と捉えることもできなくはない。
だが、かなりメロスに肩入れをしていないとそうは思えない。
そもそも、老人一人の口コミ情報だけで激怒して「生かして置けぬ」とまで言ってしまい、それだけでは飽き足らず「短剣を持ったまま王城に乗り込む」というのは少々単純すぎやしないか。
それほどまでに単純だからこそ、「熱血アニメ」的な感動が生まれ得るのだとも考えられなくはないが、それとこれとは少々話が違うような気もする。何といってもその後さっさと簡単に捉えられてしまう辺りが滑稽である。それに「熱血アニメ」ならばこういうときこそ熱血パワーで押し切って勝ってしまうに違いない。
メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏じゅんらの警吏に捕縛された。
この時点で本来ならメロスのキャラに「ん?」と思ってもおかしくないような気もするが、まだここは序盤。読者もここで気づかないのはおかしくない。
だが次である。次のシーンはもう色々とおかしい。
ここが変だよメロス! ②瞬速で約束を破る
「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、
「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」
このシーンである。
命乞いなど決してしない、と言ったその次のセリフでもう命乞いしている。
これでは前フリとボケである。
だがこのシーンでも授業をするときは何故か真面目な様子でみんな読んでいる、もしくは朗読を聞いている。
恐らく、『走れメロス』はあまりにも有名過ぎて、読む前からなんとなく「正義と友情の感動の物語だ」という印象がついていて、授業でもそんな感じで進んでいき、そのムードがあるから皆メロスにたいして疑問の目を持たないのではないだろうか。
だがここまでのシーンから考えると、メロスは下手するとただの単純馬鹿でしかないようにすら思える。先入観というのは強力な力を持つということをメロスは教えてくれたようだ。
極めつけは、友人を代わりに人質にすることを頼んだ後の、次のセリフである。
ここが変だよメロス! ③友人の殺害依頼をする
「(前略)―私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰ってこなかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ。そうして下さい。」
なんとメロスは、そんなことわざわざ言わなくてもいいのに「友人を絞め殺して下さい。たのむ。」などと勝手に言ってしまっているのだ!
好意的に取るならば、「自分が約束の時刻までに帰ってくるという自信の裏返し」とも取れるが、それもまた全くの無根拠な自身であり、友人からすれば本当に迷惑な話である。敢えて「絞め殺して下さい。」と頼むことにより、それよりも残酷な殺し方はされないで済むだろう、というメロスの高度な戦略では決してないであろうから、これは本当に友人としてはびっくりである。
しかしもっと驚くべきはそれではない。なんと友人はそれを受け容れるのである!
それどころか、
セリヌンティウスは無言で首肯(うなず)き、メロスをひしと抱きしめた。
とまである。
これは文句なしにすごいことである。
個人的にはメロスよりもむしろセリヌンティウスの方が圧倒的にすごい人物であるように思える。普通はどんな親友であってもこんなに素直には受け入れられないだろう。
それだけの信頼を得られるという点では、メロスは確かに嘘偽りのない男なのであろう。確かに老爺の一言を一切疑わず鵜呑みにし、そのまま王城に向かい捕まってしまうような男は人にも嘘を付かなそうである。
おまけコーナー:嘘を付かないのはメロスがすごいから?
上記の通り、確かにメロスは嘘を付かなそうである。
だが、それは「人は嘘を付くことがある」という概念を知らないでいる子供のように、自意識に対する自覚や、他人という存在の概念をいまいち把握していないということの表れなのではないだろうか。
それゆえメロスはところどころで冷静に考えると自己中心的でしかないような行動を取っているのではないか。
それが良くも悪くもメロスを盲信的なまでに正義と真実のもとに突き動かすのだろう。
というか、メロスが思う正義と真実であり、そこには他者からの視点はない。
だからすぐに王を「生かしては置けぬ。」と言って短剣を持って押し入ったり、捕まったら友人を人質にしたりするのだろう。ある面では確かにメロスは正義と真実を信じてやまぬ男であるのだろう。
まだまだあるぞ! ここが変だよメロス! ④だらしない
だがほかにもメロスには問題がある。実に基本的で単純なこと、そして習慣、しつけ的な問題点である。
メロスは王に解放された後、一睡もせずに村に戻り「結婚式を明日にしてくれ」と妹に頼み妹もそれを受け入れ、そのまま寝てしまうのだが、ここに大きな問題が潜んでいる。
メロスのもう一つの問題点とはそう、「寝過ぎ」なのである。(村に行った理由が妹の結婚式の道具の買い出しだったのに、勝手に激怒して捕まってしまっているのも問題ではあるのだが、それはここでは目をつぶっておく。)
初日は深夜から一睡もせずに村に戻ったという点から、村に着いてから寝て目が覚めたのがその日の夜だったというのも納得はいく。それに結婚式は翌日なのだから村に帰って来た当日はいくら寝ても問題はない。次の日に備えるという意味では、むしろいいことかも知れない。
しかし、ここでもやはりメロスはやらかす。結婚式を翌日に行うために、メロスは婿の牧人と夜明けまで議論を交わすという、これまた自分のことしか考えていない(友人のため、というのも相手は知ったことではないのでほとんど自分のためみたいなものである)はた迷惑なことをするわけである。
だがとにかく、そんなこんなもあって結婚式はメロスが帰った日の翌日の昼間に行うことになる。それならば村に戻るまでにかかった時間を考えれば、結婚式が終わってからすぐ城に向かえば余裕を持って約束の時間に間に合うだろう。
だが。だがメロスは完全にやらかしてしまう。
祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。
メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。
ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。
そしてその結果がこれである。
眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。
やらかした。メロスはやらかした。かの邪智暴虐の王の思うがままになってしまう。メロスはこのミスのせいでこの後いろいろと苦労することになるのだが、自業自得でしかない。
山賊も別に王が差し向けたとは限らないし、メロスは勝手に寝過ごしかけてそれでギリギリになってしまい、その途中で開き直って諦めかけたり、今度はそれを水の流れる音をきっかけに偶然乗り越えたりするのだ。
そして義務感に駆られて走り出し、自業自得であるのにギリギリの時間の中、「苦難を乗り越え頑張って走って来た的な空気」で王城に着くのである。セリヌンティウスにも寝過ごしたことは特に言っていない。なんたるお調子者。
一方のセリヌンティウスは三日間、72時間もの間縛られていたわけだが、ただ一度ちらりとしかメロスのことを疑わなかったという。
やはり彼は完全に人格者である。彼の方が本当の意味で真実を信じているのではないかとすら思う。
親友にするならセリヌンティウスに限る。
テーマは独りよがりを恥じろ?
メロスは途中、彼曰く「悪い夢」を見るのだが、その部分ではもうほんとに完全に駄目な奴になっている。確かに極度に疲れた状態では人間そうなるし、それを乗り越えて感動となっているが、そもそもメロスがちょっとひと眠りしようとして翌朝まで寝ちゃわなければそんなに疲れることもなかったのである。そう考えるとやはり素直にメロスをすごい人物とは評価しにくい。
『走れメロス』の最後のシーンは「裸のメロスに少女がマントを渡す」、という和むオチで終わるわけだが、それももしかしたら
「メロスの独りよがりな正義感は恥ずかしいものなんですよ、見せびらかして感動を呼んでいる場合ではありません、隠しなさい。」
というような意味が暗にあったのではないか、と疑ってしまう。
その手の深読みはいくらでもできるし、すればするほど信憑性は薄まり深読みしている人間の独りよがりになってしまうものなのでやめるが、やはり色々と突っ込みどころはある。
まとめ:メロスの正義と行動力
ここまでメロスの性格の問題について述べてきた。
メロスはある面では正義と真実を信じる友情に厚い男ではあるが、それは自分の視点からしか考えない正義と真実に則ったものであり、その意味でメロスは自己中心的である。また、非常に単純で短絡的な思考をしがちである。ただその分、良くも悪くもその行動力には目を見張るものがある。
そしてもう一つの問題としては睡眠時間が長すぎることがあげられる。こちらは性格とは直接とは結びつかないが、この問題がなければメロスは苦難にぶち当たる必要がなかったのだ。
だが逆に言うと、『走れメロス』はメロスの寝すぎるという特性のもとに成り立った物語であると言える。メロスが寝てしまったがために、村に戻る際には一行で済んだ行程が、城に行く際には何ページにまでも渡るはめになってしまっているのだ。
メロスの周辺人物は素晴らしい。それは何故か
また、メロス自身には色々と問題があるとは思うが、メロスの周りの人物はかなりの人格者であるように思う。
セリヌンティウスに関しては言うまでもなく、妹も「結婚式を明日にしてくれ」という頼みを聞き入れ、メロスの言うことを素直に聞く子である。メロスの生き方はかなり勝手であるとはいえ、一つの決まった筋が通っているために、周りからしたら信頼を置きやすいのかもしれない。
ここまで書いてきて、メロスは色々と問題はあるが、ある程度彼の性格を知った人間であるならば信頼を置きやすい人間であるということが分かった。
これで『走れメロス』に対して、何か少しでも新しい読み方を提案できたら、こんなに良いことはないと思う。
では私は走ってメロンでも食うことにしよう。