どうも、このブログを運営してる人です。人にはやる気というものがありますね。
最初に言うと、この記事は熱い感じで長々と書いてますが、容赦なくみじかくまとめると、「やりたいことがあったらすぐやった方がいいよ」とか、「やりたいことがたくさんあるよ」ということをただ話すだけの記事です。最近は本音系の記事を増やしてるとこなのです。わはは。
少しだけ厳しめの描写もありますが、その内意見が変わる日も来るかもしれません。
…さて。
この記事を書いているこのブログ。
このブログだって「ブログをやりたい」というやる気がなければやっていません。
かつてドラクエとスマブラを合わせたようなゲームを作ったのも(公開はしてませんが)そういうゲームを「作りたい」というやる気があったからです。
家族と旅行中に急に思い立って、その日のうちからノートに技名やら操作方法を書き始めました。それで、家に帰った日から「ゲームを作る方法」を当時持ってた立方体のようなiMacで検索しまくり、ついに「HSP」という比較的簡単なプログラミング言語を見つけ出します。
で、次はひたすら「HSP 講座」とかで調べまくって、それでプログラミングを覚えていき、ついには結構面白いゲームにすることができました。自分と友達で楽しむ程度ですが。
2Dの格闘アクションだったので、途中でドット絵を覚える必要も出てきたので、「ドット絵 コツ」と調べたりもしましたし、その前にはそもそも「ドット絵 ソフト」とかで検索してソフトを探しました。
Mac対応のフリーソフトを探すのが大変で大変で、次に買い替える際は私はWindowsにしてしまいました。
やりたいなあ→やる
ほかにも作曲やら映画やらをやってきました。
作曲だけは中学時代にしたいと思いついてから徐々にしていった感もありますが、映画は撮りたいと思ったらすぐに友人と集まってわけのわからんものを撮りました。
慣れていくにつれてしっかり考えてから撮るようになったので、今は撮りたいと思ってすぐ撮るわけではないですが、「撮りたいなあ」などと呑気にずっと言ってるだけだったら今でもなーんも撮ってないと思います。
実際、友達で「映画撮りたいなあ。でもおれのは人が多くないと撮れないんだよね」などと呑気に言ってるやつがいました。5年経ってもそいつはなにも撮ってませんでした。
私は「ただ撮りたいから」に過ぎないのでえらいわけでもないですが、人が少なくても壮大でドラマチックに撮れる工夫を考えてやってきました。できはアンバランスかも知れませんが、『抜本-BAPPON-』は出演人数から考えるとだいぶ壮大です。今撮っているものも現実の制約を逆手に取ろうと試行錯誤してやっているものです。
ほかにも。繊細な話を撮ったり、即興でアホくさいムービーを撮ったり、人数が少ないと不満に思うことはあってもとにかく突き進んできました。それもこれも「映画を撮りたい」と思っていたからですね。
かつては「映画はあんま見ないし撮るのは一生無理だな」と思ってたのが、まだまだ課題は多いものの色々撮れてるのはやってきたからに他ならないと思います。
なんもしないと
そして、「やりたい」と思ってもそれで終わってなんもしなければ、ずっとそこから進むことはないと思います。
普段は正論のきれいごとを言うようなキャラではないんですが、「努力するのが偉いの?」とか言ってなんもしないで居直ってるようでは、なんもしないしこれからも成長しない、”何も起こらない置物”でしかないわけです。
本人の人生なので私には何の関係もないんですが、とりあえず私はそういう人には興味がないまではいかないものの、尊敬の気持ちが沸きません。まあ”徹底的にやる気がないを突き通す人”とかは、友達としては面白いのである種の尊敬はすることもありますね。
徹底的にやりたいことをやり尽くした結果「自分には才能がない」「その道の頂点に近いレベルに行った」なんていうパターンであればその後なんもしないというのもわかりますが、始めもせずに文句だけ言ってやらないのは創作人にはなり得ないですよね。インチキアーティストかごまかし表現者になるのも厳しいのではないでしょうかね。
やらないで特別な存在になるなんてのは普通は到底不可能で、やりまくってやっとちょっとした存在になる…程度が普通です。
個人的な話ですが、私は才能にポテンシャルがあって、なおかつやりたいと思ったことをすぐやって、そしてやり続けることができる人を「すごいな」と思います。(適当にやってるのにすぐすごいことができてしまう人も「すごいな」と思いますけどね。)
そして、私自身は冒頭のとおり、基本的には「やりたい」と思ったらすぐやる人です。それはただ早くやりたくて我慢できないからなんですが、とりあえずすぐやります。下ネタじゃないよ。
やりたいことの取捨選択
ちなみに私はハマると5年くらいは飽きないです。まあ、5年って短いともいえるんですが、時間が有限なので、次のやりたいことが現れたときに仕方なく取捨選択でやるのをやめる感じです。
たとえば中学時代から大学途中までずっとやってたドラクエ×スマブラゲームの開発に関しては、大学に入ってからは徐々にフェードアウトしました。プログラミングが絡むとバグ修正だけで一週間つぶれたりするので、サークルにも部活にも入ってた私はそこまで引きこもれませんでした。
ただ、その代わりにRPGツクールを始めました。プログラミングからツクールというとスキルダウンにも思えますが、HSPでRPG作ろうとして「こりゃ効率悪い」と思った経緯があります。
で、今度は大学時代ずっとRPGツクールでけっこういい感じのゲームをずっと作ってたんですが、働き始めてからは「これは時間が足りなすぎる」ということでツクールはやめました。
その代わりに、映画を始めました。映画を始めたのは、「平日早く終われ」とだけ思って過ごす社会人一年目に飽き飽きしたことも大きな理由でしたが、とりあえず撮りたいから今でも撮ってます。
そして、途中からはブログを始めて、今は映画とブログの二本立てがメインなわけです。映画は編集が終わったら音楽をつけるので、その時期は作曲とブログの二本立てになる感じです。
ここにツクールを入れ込むのはさすがに時間が足りないのでそれは休憩中と。
ブログもいろいろ
で、ブログと映画の二本立てといいましたが、ブログにもいろいろやることはあるわけです。
記事を書くのはもちろんですが、デザインを変えたり、ときに音楽素材配布を始めてそのためにまたプログラミング的なカスタマイズをしたり、SNSをしたり、細かいSEOテクニックを施したり、機能を増やしたり減らしたり…
どれもこれも思いついたらバンバンやっていってます。映画の編集を優先しないといけないからブログを休んだり、お役立ち記事を書きすぎたから意見系の記事に変えるとか、グルメ記事ばっか書いてるから作曲の記事を書いたりとか、そういう意味での休憩はありますが、基本的には言い訳などする暇もなくつっぱしって「山ほどあるやること」をやってる感じです。
ときに業務的な作業もありますが、それも未来への投資的な整備だったりするので、ある意味やりたいことに向かってやってることの一つです。
楽しい自己責任
会社で何かやりたいと思うと、「予算・理由・効果の試算・プレゼン・上司の説得」だとか色々と下らん話がくっついてくると思います。ですが、自分が始めて自分が運営しているブログなら、何をやるのもほぼ自由です。一人よがりすぎることをすると読む人が消えますし、法律とか人道的な常識うんぬんでやっちゃいけないことはあると思いますが、それくらいですよね。
その代わり、アクセスがなければ意味がないという、すごく単純明快でわかりやすい実力の世界です。「やる気がないからやらない」のは勝手ですが、そうなればただ「読まれない」という結果になって返って来るだけなので、「自分がやるしかない」わけです。誰もやってくれるわけじゃないですから。
すべて自己責任で、しかもブログなんてのはかなりのローリスクですから、やりたいことがある人はかなり楽しくやれると思います。起業をする人はそれなりにリスクを考えてやるでしょうが、別にブログでそこまで考えなくても、やりながら考えればどうにかなることも多いです。
やりたいことがない人が続けるには厳しいとは思います。やりたいことも書きたいこともなく、将来的目標(ブログで有名になるとか、稼ぐとか、ブログを通して作品を発表するとか)もない人はやる意味がないですからね。
山積みのやりたいこと
常にやり続けることがたくさんある(やりたいことに付随する色々な作業も含めて)ので、休憩をしてる暇もほとんどありません。
なぜなら「やりたいなあ」とか呑気に思ってやらなければ、何も進まないからですね。思ったらやればいいですよね。もしくはやるための方法を調べ始めればいいですね。そうしないと一生「やりたいなあ」と思ってるだけで終わるわけですから。
ほかにやりたいことがあって、そのために別の「やりたいなあ」を「やりたいなあ」のままにしておくのはありですが、そうじゃないならもうその人は一生「やりたいなあ」と言ってるだけの人だと今の私は思います。
寝たいから、遊びたいから、テレビ見たいから、マンガ読みたいから「やりたいなあ」と思うことをやらないこともあるでしょう。でも、ちょっとはやれるんじゃないか?と私は思うし、そうした方がいいと思います。
人は楽な方に流れるので、たとえば「作曲してみたいけどまあ、明日でいいや」と思い始めたら、「一生作曲しない人」になる可能性はうなぎのぼりなんじゃないかなと。だって、”作曲をしなくても困らない”から。だから自分次第で無限に期限を延ばせますよね。
まあ、延ばす時点でさほどやる気がないとも言えます。ほんとにやりたいことはやらないと気が済まない感じになるので、むしろやらないことが苦痛…そこまでいかなくても我慢になるんじゃないかと思います。
「なかなかやらない」、「やり始めない」というのは、”やりたい気持ち” < ”やらない楽さ”ということです。本当に超やりたかったら”やること=楽”にもなり得ます。
まだまだ「やりたいなあ」は「やる」
私は今のところ、創作系でやりたいこと、成し遂げたいことがまだまだあるので、休憩もろくにせずに走り続ける予定です。その内私もやる気がなくなる日は来ると思いますが、まだそれは来ません。
ブログも映画の編集も作曲も、ときに作業に思えてめんどいので”我慢してやってる”ときも実際ありますが、すべてやることを禁止されたらその方が圧倒的に苦痛になると思います。
そして、やらなくなればやりたいことが追い付かなくなって、自分の理想に自分が置いてかれてしまうとも思います。
だから、私はあまり休みません。今は。(徹夜で頭回らんとか、休んでプラスになりそうなときは休みます。)
ブログ記事を一つ書き終わっても終わりではなく、まだ時間があるなら未来のアクセスのためにもう一本書こう! と思ってしまいますし、映画の撮影が終わって安心してもすぐに編集をし始めますし、「さて、やるべきことは終わったから休むぞ」ということはありません。
私がやってないときは”やる気がないとき”です。
映画の撮影が先日一度ドタキャンになったのですが、そこからしばらくはやる気が出ず、編集もほとんど進めなくなりましたからね。あれは”やりたかったけどくだらなくなってやる気なくなった”状態でした。その後結局撮影できたので、今はやる気も復活しましたけど。この記事終わったら編集始めます。
やってりゃいいのか?
ただ、「やってりゃえらい」というわけでもありません。効率悪いことを時間かけてやって「おれはやってるぞ~」などといって残業をしまくるのが「頑張っててえらい!」と評価されがちな国柄ですが、それはあんま意味がないですから。ないよね。給料稼げるけど、代わりに時間を削ってるからね。
まだまだやりたいことがあるので、私はやり続けます。
「やりたいなあ」と思ったらもうその瞬間からそれに向けて脳内でも実際の行動でも動き始めるので、「やりたいなあ」と思ってる状況は私はほぼありません。「やりたいなあ」と思ったら次の瞬間には「既にやり始めてる」段階にシフトしているわけです。
…なんてことをドヤ顔で書いても仕方ないのですが、これって普通なことかなと思います。楽しみにしてたゲーム(据え置き機)を買ったら家に帰るまでは「ゲームやりたい!」と思って仕方がないのと同じです。
やりたいこと
てなわけで、私は現在、
- ブログのアクセスをもっと増やす(2017/7現在月間13PVまできました)
- 意見・本音系の記事を増やす(この記事もそう)
- ドラクエ系のメインどこな検索ワードでの記事を網羅する
- 音楽素材目当てでのアクセスをもっと増やす
- そして、最終的には素材としてではなく、音楽自体が目当ての人を増やす
- グルメ記事を大量に拡充して、グルメ通レベルになる
- 今撮ってる映画を完成させる
- それを拡散させる
- 時間を自由に使えるようになったらツクールも再開する
- 絵も描く
- たまに意味不明な小説とも記事ともエッセイともいえないものを書く
少なくともこれらを「やりたい」と思ってます。他にも細かく言うと、インスタで〇〇を試したい、とか、ツイッターのフォロワー増やしたいとかあります。
それぞれちょくちょくやってます。有限の時間内で、うまく同時進行・順番でやっています。
テレビを見すぎてしまう日もあったり、帰りが遅くなったりするときも当然ありますが、そんなときも短い記事を書いたり、ちょっとブログのデザインを調整したりとかは大抵してます。
逆に、何日も1週間もブログも映画も作曲も何もしないのは、もしそれぞれを「やりたい」と思ってる、もしくはそう言ったことがあるなら、「やらない意味がわからない」です。
まあ、とは言っても、実際には仕事がキツイとか、家庭環境がやばいとかで、本当にやりたいことをすぐにできない人もいると思います。でも、そういう人も頭の中では「こうしてみたい」とかいろいろなプランを考えるのではないでしょうか。
そして、いざやりたいことができる状況になったらすぐにやり始めることと思います。やりたいというのは、それくらいのやる気がある状態の人が言って初めて意味がある言葉でしょう。
あふれるやる気に受ける刺激と、ふとした瞬間の孤独
私はこのように創作系のやる気があふれまくってるので(昔からだけど、ブログを始めてからはそれを発信する場があるので増長されてる)、やる気に対して厳しくなってます。
もとからさほどやる気に期待してない人に対しては何とも思いませんが、「やる気がある」ていでいる人や、創作人を語る人には徹底的に求めてしまいます。やらない意味がわからないからです。そして、やらない人を今の私は軽蔑します。
同じくらいのめりこんでやる気に満ちてる人も世の中にはたくさんいるとは思いますが、深い関わりがある人はそんなにいません。
沢村東次監督の映画「よろずや探偵談」に音楽を提供し、打ち上げに参加させていただいたときは、全員が創作のやる気に満ちていて”生のエネルギー”を感じました。0から1以上を生むパワーですね。…が、しょっちゅう会えるわけではありません。
なので、時に「おれだけこんな頑張ってアホなのでは?」と孤独になるときもあります。
ゲストライター三文享楽も一般的に考えればかなりやる気がありますが、私からみれば生ぬるいです。その他私の自主映画に参加してくれる人は演技がうまかったとしても、そもそもは特にやる気がない人ばかりです。(三文享楽は演技へのやる気はかなりのもの)
その他、フリーライターの後輩や、アーティストを目指して脱サラした大学の同僚なんかもいるのですが、どうにも自分だけアホみてえだなあ、と思ってしまうことがあるんですよね。
「やりたいなあ」と思う暇もなく突っ走ってやり続けるのが創作者の目指すべき道…というか自然とそうなると(今の私は)思いますが、それをやる唯一の代償は「ふとした瞬間に虚しくなる」ことですね。
でも、そういうときに「世に溢れるやってない人」に合わせる意味は一つもないんですよね。だから、私は続けます。
”やりたいことをやること”を。
そして、みなさんも「やりたいなあ」と思うことがあったら、今すぐにやり始めるか、その準備をし始めることをお勧めします。そうしたら、いつしか「やりたいなあ」が「実際にやってる」に変わります。
今の私の場合は創作に関してしかそこまでのやる気はありませんが、部活でも仕事でも恋愛でも、やりたいことはすぐやることを勧めます。そして、そうしないといてもたってもいられないようになれば、自然と成長するはずです。
成長とかくだらね、と言うならまあ平坦に生きて平坦に死ぬのも一つの道ですが、どうせならやってみた方がいいと思います。厭世的な人間性を醸して天才を気取ってる間に多くの凡人に抜かれてくことこそくだらない。
…本当はこういう本音系のことは映画やら小説やらゲームやら音楽やら、なにがしかの作品で語るのが回転オトエフミとしてあるべき姿ですが、それは時間かかりすぎてスパンが追い付かないので本音をバーッと語ってみました。
特に需要を意識してない記事ですが、誰かの参考になればそれでいいです。読まれなければほかの記事をまた書くしね。
ひとこと
さて、これだけ長々とまとまりなく「やりたいなあ」について書きました。
私がやりたいとだけ言っててまだやってないことがあったら、それは「たいしてやりたくないこと」の可能性が高いです。
ブログを読んでくださってる方は、私のブログのいろんなところに「〇〇したい」というワードを見つけては「あ、もうやってる」「やってねえじゃん、息絶えろ」とか思ったりして遊んでください。
ああ、早くブログ書き終えてトイレ行きたいなあ。
ありがとうございました。