オルテガ・パパス・アーウィン…ドラクエ主人公の父親まとめ【偉大なる半裸】 - フリーBGM&自主映画ブログ|"もみじば"のMOMIZizm

ゲーム ドラクエ

オルテガ・パパス・アーウィン…ドラクエ主人公の父親まとめ【偉大なる半裸】

2017年10月28日

どうも、ドラクエがきっかけで作曲を始めるようなドラクエ好きです。

 

…さて、ドラクエの父親といえばパパスが真っ先に浮かぶ人も多いと思うが、意外とドラクエシリーズには様々な父親が登場する。

半裸やパンツ一丁であるケースもあるが、凛とした王族衣装の父親もいる。それらを両立する存在(パパス)もいる。

ちなみに以前、そのパパスの「ぬわー」についてのみの記事を書いたが、今回はドラクエに登場するすべての父親をまとめることにした。

 

いったい世界を救った主人公たちの父親はどんな存在が多いのか? ときに勇者の父であり、ときに血縁がなかったりと様々な父親を楽しんでほしい。ネタバレもあるので注意。

 


ドラクエに出てくる全父親まとめ

歴代のドラクエをさかのぼってみると、大抵父親がちゃんと存在していて、ちょいちょいストーリーでかなり重要な役を担っている。

まあ、肉親なので重要になるのは当然と言えばそうか。ただ、逆に一切触れられない作品もある。

では、紹介していこうと思う。

 

ドラクエ1/なし

預言者の預言通り、どこからともなく現れたのがドラクエ1の主人公であり、ロトの勇者。なので、父親は不明。父親とか母親が存在するのかも不明なくらいの謎な存在。ドラクエ3の上の世界から降り立ってきたと考えることもできる。

ドラクエ11で複雑になったロトの系譜(※ドラクエ11のネタバレあり)

ちなみに1の勇者は、「ロトのしるし」によってロトの勇者と認められるだけの、ぽっと出の存在なので、誰の子孫だということは実はゆるい解釈が可能になっていた。

つまり、ドラクエ3の勇者の血を引いているとは限らない、といえることになる。ドラクエ11発売までは当然ドラクエ3の勇者の子孫だと皆思っていたが、ドラクエ11発売でそれは揺らいだ。ドラクエ11のエンディングにはドラクエ1、ドラクエ3との少々複雑なつながりが示唆されているのである。

ドラクエ11の主人公が初代ロトというのは決定的だが、エンディングでセニカが過去に戻ったことで、ローシュが初代ロトになった世界が存在する可能性があるのだ。

※勘違いされがちだが、ドラクエ3の勇者は初代ロトではなく、代々伝わるまことの勇者の証「ロトの称号」を久しぶりに授かった勇者である。

つまり、ドラクエ1の主人公はドラクエ11の勇者か、もしくはドラクエ11に出てくるローシュの血を引いている二つの可能性がある。また、11のエンディングの演出の関係で、人によってはドラクエ11の勇者の子孫がドラクエ1の勇者で、ローシュの子孫がドラクエ3の勇者だという人もいる。(私はそう解釈はしていない)

つまり、ドラクエ1の勇者は父親が不明などころか、そもそも先祖の系譜すらちょっとあいまいな、謎の存在なのだ。

 

ドラクエ2/ローレシア王

ゲーム中にはっきりと存在するが、あまりストーリーに影響のない存在。ムーンブルクがハーゴンに滅ぼされたことを聞き、勇者(主人公)に「倒してこい」的な適当な丸投げをしていい気になるアホである。

というのは冗談で、信頼した上で試練を与えているということだと思う。

ちなみに正確には、

「王子〇〇よ、話は聞いたな?
そなたもまた勇者ロトの血を引きし者。
その力を試されるときが来たのだ!
悲しんでいる時間はない…
旅立つ覚悟ができたなら、わしについて参れっ」

と言われる。

ローレシア王自身もロトの勇者だろうと突っ込みたくなるが、よく考えるとローレシア王女がロトの血を引いているという可能性もある。

とにかく、オープニングとエンディングでだけ出てくる存在で、ストーリーに影響しているといえばいるものの、あっさりし過ぎていてローレシア王を父親として感情移入したプレーヤーはほぼいないのではないかと思う。

堂々たる父性を見せている、とは言える。

 

ドラクエ3/オルテガ(ポカパマズ)

ドラクエで初めて印象的かつ、ストーリー的にも重要場面に出てくる父親。オルテガ。

FC版ではグラフィックが足りず、カンダタのような見た目のやばい父親になっている。半裸マスクブリーフ。

リメイク版では容量が足りているので、ちゃんと服を着て、半裸ではなくなった。ブリーフもトランクスになった。いや、半ズボンになった。武器が斧なのは変わらず。

また、面白いことに、なぜかオルテガのことを「ポカパマズ」と呼ぶ村がある。ふざけた名前だが、そこでは彼はすごく慕われていた様子が見て取れる。

主人公はポカパマズに似ている様子。

しかし、FC版では父親は半裸マスクブリーフ。似ているのかは謎。もしくは、最初はまともな格好をしていたが、火山から落ちたり荒れる海を泳いで渡ったりしているうちに半裸マスクブリーフになったのかも知れない。

また、初めて死ぬ父親。ドラクエシリーズ二回目の父親登場にして早くも死亡。

FC版ではグラフィックが邪魔をするが、感動的なシチュエーションと、切ないセリフを放ってこときれる。頼もしい父性を存分に発揮する父親である。

しかしこれを超える最強の父親が後にドラクエに現れることになる。

 

ドラクエ4/きこり

ドラクエ4では父親はゲーム中で死ぬ描写はない。

…が、ゲーム開始時点ですでに死んでいる。(ちなみに育ての親はゲーム中で死ぬ。)天空人と恋をしたきこりがドラクエ4主人公の父親なのだが、ゲーム開始時点ですでに雷に打たれて死んでいる。

この雷はマスタードラゴンが天罰として下したもの…と捉えられる描写がゲーム内にある。ギガデインだろうか。

「禁をおかして地に下りた彼女をマスタードラゴンはどんなに時がたとうとも お許しにならないだろう。今にマスタードラゴンは もっとも残酷なやり方で彼女のしあわせをうばうことだろう。悲劇がおこる前に地に下りた彼女を私はなんとしても連れ戻すつもりだ。それでどんなに憎まれようとも……。」

出典:天空人と人間は夫婦になれぬのが定め

ちなみに、主人公の父親の父親と思われるきこりがこちら。

口調が荒いながら、宿として泊めてくれたり、白の場所を教えてくれたりとツンデレな存在。マリベル以前からドラクエにはツンデレがいたのである。

近くには主人公の父親の墓と思われるものもある。

ゲーム上のストーリーにがっつり絡む父親ではないが、物語全体に深みと悲しみを与え、勇者の使命感をより強めている、重要な柱になっている。

母親は

また、

出典:避雷針

天空城に行くと、主人公の母親と思われる人物がいる。

「しかし天空人と人間は夫婦になれぬのが定め」 
「木こりの若者は雷に撃たれ 娘は悲しみにうちひしがれたまま連れ戻されたのでした。 
「しかし娘はどんなときでも地上に残してきた子供のことを忘れたことはありません。

出典:天空人と人間は夫婦になれぬのが定め

悲しい話である。

天空人と人間が交わったことで勇者の血が覚醒した、というようなことなのだろう。きっと。

 

ドラクエ4/NPC(育ての親)

ドラクエでは珍しくはないことだが、育ての親が違う。

山奥の村で勇者をひっそりと育て、かくまい、成長させていたが、ついにデスピサロに存在がバレ、育ての親は殺されてしまう。

というか、シンシア含め、主人公以外は皆殺しにされてしまう。以降のドラクエでは皆殺しにされたと思いきや生きていたパターンが多い(ドラクエ5、ドラクエ11)が、ここではリアルに皆殺しなのでハード。

「強く 正しく 生きるのだぞ。

たとえ なにが起こってもな……。

という上記写真のセリフは、ドラクエ5の

「坊や どんなにツライことがあっても 負けちゃダメだよ。」

に通ずるものがある。

ドラクエ4の主人公は実の父親はとうに死に、実の母親は天空にいるものの禁じられた恋により生まれた子供なので親らしいことをしてくれることはできず、育ての両親は殺害されるという、実は5を超えるかも知れないハードな境遇である。

 

ドラクエ5/パパス

こちらはドラクエ5パパスの「ぬわーーっっ!!」がリメイク版でしれっと激しくなってた件を徹底考察の記事や、歴代ドラクエ11までを最大熱量で名作ランキング付け!でもかなり語ったが、再度語る。

ちょうど自分が子供の頃にやったドラクエが5だったということもあるかも知れないが、とにかくドラクエ5主人公の父親であるパパス。彼はすごい。片乳首を露出しているのがたまにネタにされるが、そこも含めてかっこいいのではないだろうか。

身近で、そして遠い憧れ

オルテガ(ポカパマズ)は遠い存在の憧れの父、的な存在だったが、パパスはその強さ、凄さ、たくましさを身近なところで体現してくれる。それが積み重なり、「自分はこうなれるのだろうか?」という、遠い憧れの存在的な部分も出てくるという父親である。

自分から「私はすごいのだ」というようなことは当然一切言わないが、ゲーム上の立ち振る舞い、町の人々からの評判でそう思わされる。演出過多にはなっていないのがドラクエらしいよさ。

上記会話では、意外とケンカっぱやいのかも知れない一面が知れる。ただ、乱暴者というよりは、正義感が強く、少し口下手だからケンカしてたのではないかな、となんとなく思わされる(ケンカの後に仲直りしてがっはっは!と肩を組んで笑ってそうなキャラ)。

戦闘での頼もしさ

OP後、最初の戦闘は主人公が父親に黙って勝手にフィールドに飛び出したところで、一人でスライムに囲まれるというシチュエーションになっている。

たかがスライム相手でも幼い主人公は苦戦するのだが…

出典:SFC版ドラゴンクエストⅤ プレイ動画part1(幼少期) 主人公誕生

そこにさっそうと助けに現れるのがパパス。そして、驚異のHPと二回攻撃により、はやくも「強い父親」という印象がプレイヤーに焼き付けられる。

更に、

出典:SFC版ドラゴンクエストⅤ プレイ動画part1(幼少期) 主人公誕生

戦闘後にはホイミでHPを全回復してくれる。これを毎戦闘ごとにしてくれる。これにより、簡単に「優しい父親」という印象がプレイヤーに繰り返し印象付けられるのである。実にシンプルで素晴らしい演出!

その後、「ぬわーーっっ!!」という名言を残して死んでしまうのだが、そのシーンはプレイヤー全員に強く強く印象付く。パパスを殺したゲマはドラクエ史上でも一二を争う憎い悪役といえる。

全ドラクエの中でも、かなり印象深いキャラがパパスという父親だと私は思う。キャラというか、人間的に見える。リメイク版PS2では歩行スピードが速くなっていて、余韻がなくなったのが残念ではあったが、人間的な深みが感じられる、それがパパス。

更にその後、主人公自身が父親になるというのだから、ドラクエ5における父親というのは特別な存在である。自分がパパスと同じレベルになってもHPは遠く及ばず、二回攻撃ができるわけでもないという部分もまたいい。

 

ドラクエ6/レイドック王(現実の世界)

※ネタバレ多め

3よりもイベントには深く絡み、序盤のストーリーではかなりがっつりストーリーにも絡む存在。だが、その割にはオルテガやパパスほどの印象はない。

レイドック王は複雑

ただ、夢の世界にもレイドック王がいてそっちは父親じゃなかったり若返ってテンション高かったり、レイドック王だと思ったらシェーラだったり、実はムドーの正体だったりと超驚きな展開もあり、父親としての印象はともかくとして、イベント上での印象は非常に強い。

まず、父親感が少し薄いことの理由としては、名前が知られていないことが一つあるだろう。「レイドック」という名前ではあるのだが、基本的に「王様」という感じで呼ばれるので、父親というよりも王様という印象が強い。

また、父親だということが最初から明らかなわけではないというのもある。父親うんぬんよりも、ムドー関連イベントの重要人物という印象が大きいのである。父と子という関係が見える会話やイベントはあまりなく、全体的に「勇敢な王様」という雰囲気。

ただ、夢の世界で羽目を外してバニーをはべらしたりしている点がギャグに走っており、パパスやオルテガの威厳には及ばなくなっている。11の祖父、ロウも途中からだんだんお調子者スケベキャラになっているため、堀井雄二はそうしたくなる癖があるのかも知れない…。

妻シェーラ(主人公の母親)もすごい

レイドック王もムドーに対してなかなかに勇敢ではあったが、シェーラの方が実はすごいように思う。

レイドック現実世界で眠りの王女となってまでも、夢の世界で”眠らずのレイドック王”となり、ムドーとなったレイドック王を助けるためにムドーに対抗すべく動いていた…という、複雑すぎることをしていたのである。ドラクエで母親が戦うケースは珍しい。

自分で書いていてよくわからなくなってきたが、ドラクエ6は改めて少し難しいドラクエだなと思った。そこが魅力でもある。

 

ドラクエ7/ボルカノ(育ての親)

気立てがよく、そして気性が荒い、"The 海の男"然とした父親。それがボルカノ。「心優しき父親は頼もしき海の男」とあるが、まさにそういう父親である。パパス程度に半裸。

この父親が今までのドラクエの父親と違うのは、頼もしいけど「戦わないし特別な能力も血筋もない」ところである。海に出て海という大自然と闘いはするが、世界を守るために勇者の剣を見つけたり、そもそも勇者の血を引いていたり、王族だったりしないのだ。

また、天空人と結ばれて勇者を産んじゃったりもしない。ドラクエ7の主人公は勇者ではないので。職業ではなれるが、それはストーリー的に意味のある勇者ではない。また、仮にドラクエ7の主人公が勇者であったとしても、ボルカノは勇者の力も血筋も持たない。

なぜなら…

お腹の中を移動する超人

ドラクエ7の主人公はシャークアイの血を引いており、世界を救うために産まれる前のお腹にいる時点で、急遽時代を超えてちがう女性(マーレ)のお腹に移動したという、とんでも設定だからである。ボルカノはなんにもしてないのである。

自分の血を引いていない子が妻から産まれ、それを育てた。不思議な状況なのである。

そんなボルカノは世界を救いに戦いに出たり旅に出たりはしないが、イベント(特に序盤)ではかなり深めに絡むため、父親感はなかなかにある。そして、ドラクエ7の序盤のイベントの繊細さはドラクエの中でも群を抜くため、5とはまた違う何気ない日常にいる父親感はけっこうなもの。

石版も拾うので世界を救うのにも一役買っているし、スケベキャラでもないし、死にもしないので、色々とバランスのいい父親。基本、ドラクエの父親の描き方はうまい気がする。

 

ドラクエ7/シャークアイ(本来の親)

出典:DQ7 ろぐ7

左の主人公の格好が気になってしまうが、右がシャークアイである。左がシャークアイではないのでご安心を。主人公の真の父親…と言っていいかはわからないが、血のつながっている父親が、上記写真の右側の人物である。

ただ、諸事情により、生まれた時代は異なり、シャークアイの妻から生まれたわけでもない(別に不倫ではない)。水の精霊の力により、腹を移されたのだ。どうだ、すごいだろ。がはは。

ちなみにドラクエの父親は半裸のおっさんが多いのだが(ドラクエwikiにもそう書いてある)、彼はかなり立派な格好である。王様ではなく立派な姿な父親は彼だけなのではないだろうか。

水の精霊

出典:DQ7 ろぐ7

水の精霊の力を受け継いでおり、その力が主人公にも受け継がれている。紋章がアザになっているとうう点では、ドラクエ11主人公と同じである。

”時代を超えた遥か過去に生きる父親”と対面した主人公の気持ちがどうであったかは、計り知れないものがある。が、最初の写真を見ると何も考えていなそうでもある。

更に、その父親が現代に来る展開もあり、その際は船の上から戦闘に加勢してくれる。5を除くと、父親の戦闘参加は二回目といえる。少し間接的だが。

魔王と戦った父親

彼は魔物と戦い続け、最後は魔王に氷漬けにされたという意味で、魔王と戦ったと言える存在である。

2の父親は特に誰とも戦わず、3は大魔王ゾーマの根城まで行くも命途絶え、4は天罰で死に、5は魔物とは果敢に戦ったものの魔王と戦うことはかなわずに死に、6は魔王ムドーとは戦ったものの真の親玉である大魔王デスタムーアとは戦っていない。

8も裏ボスのダンジョンにたどり着いてはいるが魔王と戦ったりは一切しておらず、9・10はそもそも父親がいない。11になるとアーウィンがウルノーガと戦っているが、最後までプレイすると、それを超える脅威はニズゼルファなため、ラスボスである魔王と戦った父親は唯一シャークアイのみと言えそうだ。

まあ、これも遠くから氷漬けにされただけなのかも知れないが…。そもそも直接的な関りを持った時点でも彼だけだと言える。

 

ドラクエ8/エルトリオ

紙芝居のみに登場する存在。一人で裏ダンジョンを突破した超人。ちなみに、サザンビーク王のクラビウスの兄でもある。

登場が少ない割には凄さが伝わる父親だが、トーポがおじいちゃんだったことに驚き過ぎてそちらに印象を持ってかれる節はある。

今までの、いかつい半裸系ファッションの父親たちと比べると吟遊詩人のような格好である。まともな服を着ている場合は基本的に王様だったこれまでの父親たちと比べると、異質な例だと言えよう。

クリア後にいろいろわかる

8では「主人公は戦闘中、呪いを受け付けない」という、RPGならではの伏線があるのだが、その理由はエンディング後に明かされる。というのも、この父親の存在が判明するのが裏ダンジョンで、その父親が実は龍神族と結婚しており、自分にはその血が流れているから…というのがわかるのも裏ダンジョンである。つまりエンディング後、クリア後である。

そして、龍神族と人の間の子ということで、人間界に追放され、主人公は記憶を封じる呪いを施されるのだが、その呪いがほかの呪いをはじいていた…という伏線の回収になっている。これはなかなかに大胆で面白いと思う。

このように、父親の登場とともにいろいろなびっくり設定が明らかになるので、父親自体よりもそれにまつわるいろいろなことに印象が持ってかれる節がある。

あまり戦闘能力が高くなさそうな見た目で裏ダンジョンを踏破し、そして龍神族の娘と結婚しているという、一見設定がおかしいと思えてしまいそうな部分が、逆にこの父親の神秘性を増すのに一役買っている。

なんとなく主人公に似た顔

ゲーム中の描写では性格はよくわからないが、主人公に似た、やさしさと勇気を兼ね備えてそうな見た目ではある。こういうキャラ描くの大変そう。(実際、鳥山明氏はいろんなところで「ドラクエの主人公を描くのは非常に大変」という旨を言っている)

意外とドラクエ主人公の父親と子供はイラスト上は似ていないことがほとんどなので、これは地味に珍しいケース。

5のパパスと主人公はまったく似てないし、3なんかファミコン版は特にまったく違う(ゲーム内の村人のセリフでは似てることになってるが)。7は血がつながっていないボルカノは当然似ておらず、かといってシャークアイに似ているわけでもない。11も似てない。不思議なものである。

 

ドラクエ9/なし

主人公が天使だからか、親という存在自体出てこない。ドラクエ1以来の出生不明の存在である。

ドラクエ1のロトの勇者はどこからともなく現れたとされるが、もしかしたら9だけでなく1の主人公も天使なのでは…とは私は全然思わないが、ネット上にもそう思ってる人は見かけたことがない。

ちなみに、しいて言うならグランゼニスが父親だ(グランゼニスが天使を創造したから)、と書いているサイトはあった。しかし、その理論で行くとグランゼニスを父親とする存在がこの世界にあまりにも多すぎるので、本当にしいて言っているだけだろう。

 

ドラクエ10/不明

10年前に死んだ設定だが、正体はまだ出てきていない。

”5000年前の王国の子どもと同名”という設定があるらしいが、私がプレイしたバージョン1ではそれは出てきていなかったのでよくわからない。

そもそも私は10をクリアはしたし、面白かったものの、親が10年前に死んだという設定はどうにも覚えていない。ちなみに私はウェディにした。行方不明の兄弟がいる的な話は覚えている。

 

ドラクエ11/アーウィン

最新作、ドラクエ11にも父親は登場する。そして、なかなかに重要な役として出てくる。存在感もあり、大枠のストーリーにも絡み、イベントでの描写も繊細。さすがドラクエの集大成といったところ。

また、父親が王様というのもドラクエの王道で、集大成感がある。父が王族系なのは2、5、6、8と非常に多い。オルテガのようなネタ要素もなく、6のようなスケベキャラもなく、7のボルカノよりも魔物と戦い、8のエルトリオよりもストーリー・イベントに絡んできて、5とはまた違う凝り方をして語られる父親である。

強いて言うなら、7のシャークアイの路線を強化したような感じだろうか。

バクーモスのイベントが良い

パパスの場合は主人公の子供時代がゲーム中にあるので特別に父親感が強いが、11も主人公が生まれるときに戻るようなイベントがあり、凝っている。特に、バクーモスのイベントは歴代ドラクエのイベントの中でもいいイベントだと思う。

父親が死ぬのはドラクエでは定番だが、5のように直接的に感情に訴える演出とはまた違う、「きっとこういう思いだっただろう」と想像させるような演出になっている。(アーウィンは、死してなお、十年以上も悪夢を見せられ続けている)

また、一回だけ一緒に戦闘できる機会があるが、これは5以来の父親との直接共闘となる。(一応、7のシャークアイは海賊船上で大砲をぶっ放してくれる)

勇者という存在

勇者という存在を改めて定義しようと問いかけているのがドラクエ11なだけあり、勇者を産んだアーウィンの、勇者への想い・考えは存分に語られている。それが、勇者である主人公へのプレイヤーの没入度を高めているのは間違いない。没入度アップ。

大人になった子供をわかるアーウィン

成仏する寸前に主人公と対面するシーンがあるのだが、大きくなった主人公を見て、すぐに自分の子供だとわかってくれる。

パパスでさえ、自分の子供が未来から来ても気づかなかったので、これは凄いことである。ドラえもんに出てくるのび太のおばあちゃんくらい凄い。アーウィンはおばあちゃんだ。

とにもかくにも勇敢で、アーウィンはアーウィンで勇者といえるような気高き騎士であった。

…ちなみに、ドラクエ11については下記記事にいろいろ書いている。

 

 

まとめ

こうしてみると、ドラクエ主人公の父親は勇者でもないのに凄いタイプの人物も多く、むしろその方が勇者よりもすごいのではと思わされる感じもある。

逆に、勇者かも知れないのに大したことをしないのはドラクエ2の父親のみともいえる。まあ、主人公がいない間、国を守ったとは言えるか。

すべてのドラクエ主人公の父親を振り返ってみると、やっぱりパパスが名前的にもインパクト的にも人間味的にも素晴らしいな、という感想を抱く。アーウィンもレイドックもよいのだが、パパスはやはり凄い。

だからなんなんだと言われると困る記事なのだが、わざわざこの記事にたどり着いた方なら共感したり反論したくなったりしながら楽しめたのではないだろうか。そして、ゲームで表現される親と子の絆は小説のそれや、映画のそれとは確実に違う演出方法が見て取れることと思う。

その辺りを感じて、この記事が第二のドラクエを誰かがつくりだしてくれるきっかけに…なったら面白いなあ。ではまた。

 

↓ドラクエの父親である堀井雄二氏の言い回しは独特

↓ぬわーーっっ!!

↓ドラクエという子供の誕生は幾度となく延期してきた(近年はあまり延期しないが)