陽、溜まりしとき、透き通る海の結晶が黄金の龍と交わり、至極の幸せを生み出すであろう。それは、千本の無駄な木を育みし土地に現れる。
これは、紀元前から伝わると私が言い張っている神話の一文です。
この神話が指すものは一体何なのか? 「千本の無駄な木を育みし土地」とは一体どこのことなのか? 私は長年疑問を持っていました。
…そんな折りに私が出会った”ある店”について、ここではお話しましょう。それは偶然であり、必然でした。
※この記事では、小説みたいな空気で食レポが進んでいくという、少し斬新な形で話が進行していきます。
麺やひだまり 千駄木にて
一体あの神話はなんなのか…皆目見当がつかない。
そんなことを思いながら、私は千駄木を歩いていた。そこで、”あるもの”が私を突き動かした。
「ああ、腹が減った」
神話への飽くなき探求心、それはそれとして、人間というもの…いや、生物には尽きることのない欲望がある。それは生理的衝動でもあり、そして生きている証でもある。そう、食欲だ。
つまるところ私の中ではこの瞬間、神話に空腹が勝ったのである。空腹の勝利だ。
お腹をすかせた私が、「”千本の無駄な木を育みし土地”がどこだろうと、そんなことはどうだっていい! 今の私には食糧が必要だ」…などと、崇高な考えを脳内で披露しながら千駄木を歩いていると、あるお店が視界に入った。
「麺やひだまり」
- 03-3821-5211
- 東京都文京区千駄木3-43-9
- 千駄木駅から376m
- AM11:30~PM22:30
- 定休日無し
情報源は「麺やひだまり|食べログ」だ。
ラーメン屋だ。
飢えていた私は、そのラーメン屋に入ることをすぐさま決意した。そして、実際のところ、決意しただけではなく、決意するや否や、お店に入っていった。それはもはや、生理的反応に近かった。
塩ラーメン
その店は、塩ラーメンを売りとしたお店だった。
「海の結晶」などというわけのわからない神話のことはよそに、私はその塩ラーメンが食べたくて仕方がなくなっていた。空腹は強い。そんな状態の私が取った行動は一つ。塩ラーメンを注文したのだ。
しばし待つ。
千駄木の「麺やひだまり」で塩ラーメンを待っている間、私は再び神話に想いを寄せた。
陽、溜まりしとき、透き通る海の結晶が黄金の龍と交わり、至極の幸せを生み出すであろう。それは、千本の無駄な木を育みし土地に現れる。
一体これはどういうことなのか? ヒントが少なすぎる。まるで暗号のようだ。
やはり、私にはこんな神話の謎を解くなどという、だいそれた事は到底できるはずがなかったのだ。私にできるのは、千駄木の「麺やひだまり」で塩ラーメンを食べることだけだ。
そう思い、頭を垂れた矢先にその声は聞こえてきた。
「どうぞ」
その瞬間、塩ラーメンが私の脳を奪った。
和風塩らーめん 720円(税込)
なんて上品で美しいラーメンなのだろう。食べる前から気品が感じられるではないか。具の乗せ方も工夫が感じられ、絶妙なバランスで構成されている。
私が食べることで、このバランスが崩されてしまう。
そんな一抹の不安を感じもしたが、空腹は強いので私はバクバクと食べ進めた。
スープ
さっぱり、あっさりした透き通るスープには、見た目では分からぬ魚介の出汁が閉じ込められている。海の風味を感じるその味の奥には、塩に支えられた確かな深みが感じられた。
あっさりは味が薄いということではない。
私はそれを教えられたような気がして、頭がガーンと鐘を突かれたような気分になった。が、空腹はそれよりも強いものなので無視して食べ続けた。
麺
更に驚くべきは、そのスープがチャーシューや味付き卵はもちろんのこと、麺ともばっちり合っていることだ。
当たり前のことかも知れないが、麺とスープの出会いこそがラーメンにおいて最も重要。やはりこれは当たり前のようでいて当たり前ではないことなのである。が、それが当たり前のようにマッチしているので、それがまた当たり前ではないのである。つまり、当たり前である。
そんな当たり前の塩ラーメンに浮かぶ麺は、透き通ったスープと合わさり、黄金に輝く龍のようにすら見えた。まるで、海の結晶と黄金の龍が出会ったかのようなラーメンではないか!
そう思った時、私は至極のうまみを感じのである。…これが、幸せというものか。
気付くと私は完食していた。
飽くなき欲求と、幸せ
「まだ食べたい」
その思いが、私に「もう少し量が多ければ」との不満を頭によぎらせたが、「透き通る海の結晶が黄金の龍と交わり、至極の幸せを生み出したような塩ラーメンは、量が少ないくらいが貴重でよいのだ」と考え直した。私は悪魔に勝利したのである。
塩ラーメンを食べ、至極の幸せまでも味わいすっかり満足した私は、神話のことなどすっかりどうでもよくなっていた。
陽、溜まりしとき、透き通る海の結晶が黄金の龍と交わり、至極の幸せを生み出すであろう。それは、千本の無駄な木を育みし土地に現れる。
とは、一体何なのだろうか? その謎は解けないままだったが、それで良いのだ。
私はただ、おいしい塩ラーメンを食べることができた。それだけで十分ではないか。
そう自分を言い聞かせ、私は千駄木の塩ラーメン屋「麺やひだまり」を去るのであった。なにかのすぐ近くまで迫ったような、真実が目と鼻の先まで来ていたような、そんな感覚をわずかに覚えたまま…。
ーおわりー
あとがき
以上、小説かエッセイのような雰囲気を無駄にまとわせた食レポでした。差別化ということにしといてください。
ちなみに、この「麺やひだまり」は石神さんのサインがあるような、人気店かつ名店です。
↑全く見えないですが、写真の中に石神さんのサインがあります。
ラーメンの玉子は黄色いことが多いですが、ここのは玉子も塩で味付けしているのか、純白でした。塩へのこだわりが色々なところから垣間見えます。チャーシューは硬めですが、個人的にはあっさりの中のパンチ的役割として、ちょうどよかったです。
実際、美味しい塩ラーメンだったのですが、個人的には神楽坂にある「田中屋」の方が、更に好きでした。あのラーメン屋は感動しました。
なんにせよ、塩ラーメンは見た目が綺麗なのもよいですよね。
こってりばかりではなく、あっさり、さっぱりも追及していきたい。そう思わせられました。
よければ、普通のラーメン食レポ記事もどうぞ。普通です。