混然と降り注ぐ魂を今も毎日食べています。
で、魂だと思ったらそれは拠点だったわけです。
拠点を食べすぎた私はもうすぐこう言い放つでしょう。
「普通」
タスマニアの大地に恵まれて育った唯一の花である桐谷京香は今日もこんな日常を目の当たりにし、かつて自分が望んだ世界がこれであったのかを何度も自らに問い、自らの脳に問い、そして自らの心にとい、自らの魂に問うのであった。
そして、その魂は今日もまた混然と降り注ぐ。
昨日から、降り注ぐ
何も今日から降り注ぎ始めたわけではない。昨日からなのである。もちろん、昨日とは言っても実質的には昨日より前からだというのが前提にある。
なぜなら、ここでいう昨日は、昨日という概念を覆した世界での昨日だからである。
などということをおまじないのように唱えながら桐谷京香はテレビを見ていた。
「後ろって気になりますよね」
「あは、あははは」
「ねえー気になりますからね」
「あは、あははは」
だれがどう見ても羨む姿であった。
意味をなさない映像をただただ傍受して享受していることができる、その余裕は彼女の財力の表れであったからだ。
その彼女に一つ、問題が発覚した。その問題というのは、地道に焚火を焚いていると焚火がくつべらに聞こえてくるという点だ。そしてもう一つ点が存在した。注意点だ。
その二つの点を結ぶと、ある一つの線が見えた。
地道に焚火を焚いていると焚火がくつべらに聞こえるー注意点
これが彼女にとっての「普通」だったのである。
私は未来を確信した。