どうも。
小説1,300冊読み、マンガ3,800冊読み、映画1,400本観て、夢のような文学生活を経たうえに、自分には自分だけの世界を創り出すことはできても、人に読んでもらって評価されるものは書けないと思い知ったことのある三文享楽です。
いやあ、文学の世界も厳しいですからねえ。
「書くこと」は文学の好きな人間ならばできると思います。
ただそれを評価されるように整えたり、売れるように華をつけたりするのが難しいんですよね。
自分の理想の世界が「小説にできちゃって」、試しに読んでもらったら評価されたなんていうのは稀少な例で、たいていは「できちゃったから」読んでもらって、
酷評されて意気消沈するでしょうよ、はあ。
さてさて、創作も難しいものですが、それの評論も難しいものでしょう。
社会的に重い題材を扱った小説の評論文を書くにはそれ以上に気を遣うでしょうし、評論家は政治的、宗教的、権力的に利用されることなく平等に論じなければなりません。
っくぅ~、辛い!
しかし!私はクソ三文文士!神経衰弱から胃痛を起こさない程度に、文学の話をさせていただきます。
そう、ここ最近、久々に熱中して読んでしまったマンガをご紹介します。
『三月のライオン』
2017年の10月からNHKでアニメ放送され、映画化までされましたノリにノッている作品です。
今回、こちらを1~12巻まで一気に読みました(1巻は読んでいましたが、忘れていたので再度読みました)。
いやあ、久々にマンガにのめりこみましたね。しはらくマンガから離れていたので、面白かったです。
勝負師特有の孤独が描かれ、近所の3姉妹の一家と共に成長しながら進んでいくストーリーはよく練られたものでした。
さてさて、今回の記事ではそんな『三月のライオン』で印象深かったり、感動したりした表現を列挙していきたいと思います。
この回転オトエフミでは2回ほど、小説のまとめ記事なんぞを書いたことはありますが、マンガの心に残った表現を引用するのは初めてです。
↓過去二回の小説まとめ記事
引用
【『三月のライオン』6巻から引用】
何かクラスの中に見えない階級とかがあって
その階級にあわせて
-そして それは 多分
「どのくらい大きな声で笑っていい」とか
「教室の中でどのくらい自由に楽しそうにふるまっていい」かが
決められているみたいな…
こちらは3姉妹の2番目ひなちゃんが中学校でいじめられている時のシーンです。
感動した表現というよりは、小中学校の環境にあるリアルな状況を上手く言葉に表されていて印象的でした。
もちろん、これは学校に限ったことではありませんが、学校が社会の縮図であることがよくわかります。棋士の桐山がこうしたいじめを受けているひなちゃんの親身になって、いじめを切り抜けていきます。
【『三月のライオン』7巻から引用】
人が集まる所へ行くと
いつも同じ質問をされる
で何?棋士ってもうかんの?
へーそーなんだぁー
ま よく解んねえけど
って ゆーかさー 有名になってTVとか出てよー
日曜の朝とかやってなかったっけ
でさぁ!!早く名人とかなっちゃってよー
-いつも思う こういうのって
へー主任なんだー
よくわかんねーけど
で 年収いくらなの?主任って
それよかさぁ早く出世して部長とか
取締役とかになっちゃってよー
バーンと20代のうちにさー
その方がカッコイイんじゃん?
-ってのと同じくらい暴力的な質問だと思うんだが…
これが非常に印象的な表現でした。
これはよく分かります。
私も『抜本的少子化対策』を執筆したときに、よく言われたものでした。
「早く直木賞とかとってくださいよ」
「どんどん売れて世界に名を売って、俺のこと紹介してください」
これは嬉しいものでした。
↓唐突に執筆したなんぞ言いましたが、実は私め三文享楽はかつて本を出版していました。
当然に言っている方は悪気があるわけではなく、知らない世界だけど頑張ってくれというありがたい激励の言葉です。「お前なんか売れるわけねえじゃん」といった否定よりもよっぽどありがたいことで、「やりたいことに進んでいる姿はすごいから応援してます」的な気持ちで言ってもらえたこともありました。
しかし、そちらの世界でもがき苦しめば苦しむほど、その言葉は残酷なエールとなってくることを知りました。
いくら頑張っても這い上がれない、それなのに業界全体を「よく分からない世界だけど」と前置きして、応援する。これは実際に受けてみると、厳しいものでした。
私には、かつて相方を組んでいた中村将臣と、その友達たちがいます。
何年もアングラで売れていない芸人仲間たちには決して言ってはいけない言葉だと思っています。応援してくれている言葉は非常にありがたく、謹んで感謝はしますが、実情を分かる同業者には決して言えないそんなエールです。
↓三文享楽の小説は他にもこちらから無料で読めます《おすすめは短編》。
【『三月のライオン』7巻から引用】
深く読む事はまっ暗な水底に潜っていくのに似てる
【中略】
-だがプロになって6年経つも
まったく先に進めなくなってしまった今では
全身がちぎれるような思いをして潜っても、
手ぶらで戻ることが殆どになった
「見つかるかも」より
「またどうせ見つからないかもしれない」が勝った時から
リミッターの効いた努力しかできなくなった
でもそんな俺を尻目に
桐山と二階堂は当然の様に飛び込んで行く
-何度でも
これもプロの世界ならではの哲学ですよね。
探究者がたどり着く哲学を感じ、深く心に残っている表現です。
怖いから辞めるだとかそういった浅い次元の話ではなく、プロに進んでからの更なる飛躍がいかに深く厳しいものであるかを上手く表現しています。
リミッターの効いた努力しかできなくなった、というのが実にプロらしいです。
単なる努力ではダメで、死に物狂いの努力をしてこそ次の地点へ進めるプロの世界観がよく出ていますな。
答えがあるかも分からない深い海の底に慄いて潜れなかったとき、それがその人の限界だとはなんとも怖い表現であり、言い得て妙な核心的な表現だと思います。
そして、あるかも分からないと思った時から限界が見えるという怖さです。
【『三月のライオン』9巻から引用】
土橋には華っちゅーもんが無い!!
真面目過ぎるんだ!!
-加えて残念なことを言えば
大棋士に必要な「運」も「ツキ」も持っとらん!!
【中略】
はなから持って無い「運」や「ツキ」は
この先失くす事も無い
-そういう棋士は不調やスランプにも縁がない
-今の将棋界 宗谷以外でやっかいなヤツが誰なのかが
この七戦でよーく解った
いやあ、努力したいと思える表現ですわな。
華が無くて運がなくても、こういう考え方をすれば
真面目にやっていこうと思えますね。
運やツキがなければ、不調やスランプもない。長所の相反する短所も訪れないことを糧にすれば、努力に苦もないはずです。私め、三文はそれほど努力を続けられる才能を持ち合わせておりませんが、続けることが辛い時にはこうした言葉を思い出して努力に励みたいものですな。
決して、
三文には華っちゅーもんが無い!!
真面目でもない。
加えて残念なことを言えば
ヘボ棋士にすら必要な「運」も「ツキ」も持っとらん!!
はなから持って無い「運」や「ツキ」の可能性を更に無くすだろう。
それでいて不調やスランプにもなる。
今後百年は出てこないだろうヘボ棋士 三文がどれだけ将棋界のツラ汚しか
この一戦ぽっきりでよーく解った
なんて言われることのないように、努力をしたいものですな。
ちょっとした記憶に残っている表現
また、上記ほどの引用ではありませんが、
1巻か2巻あたりででてきた、勝てば嬉しいが、負けると世界中に無用な人間だと言われているような気になるという表現が実に記憶によく残っています。
この悔しさは私め程度の将棋好きでも分かることで、負けると全てから見放された気になります。好きでやってきた将棋で負けてお前には何が残るんだ?結果がそういう風に、聞いてきているように思えるのです。
将棋のために費やしてきた時間が全て否定され、費やした自分そのものが価値の低い人間に思えるのです。どん底に落とされた気分となるのです。
また、宗谷は「天才」と呼ばれる人間のごたぶんにもれずサボらない。というのも、やる気が出ますな。サボらないことが天才であることの資格であるのが分かりますね。
カッコウをめぐる表現
桐山少年が自分を引き取ってくれた一家を狂わせて、将棋を奪って旅立ったことをカッコウにたとえられ、いっそ本当に鳥だったらと思っていました。
三姉妹を捨てた父親と討論した際に、桐山自身が父親と似ているところもあるのではないかとなりました。
そして、父親自身が言ったのです。
卵を他の鳥の巣に産みつけて自分はどこかへ行ってしまう托卵というカッコウの生態を引き合いに出して、自分をカッコウに似てる、と。
そこで桐山少年は本当に自分自身に似ているところがあるのではないかというショックに陥るのです。
この皮肉な結果が印象深く残っています。
そして、ストーリー展開が上手いなと思いました。棋士の家に預けられてその才能故に一家を崩壊させてしまって旅立った桐山少年自身をカッコウにたとえるのも表現として面白いと思っていましたが、その後に出てきた憎むべき相手が自分と同じなのではないかという臭いを出すのが実に秀逸だと思いました。
こういう恨むべき相手が他でもない自分自身とそっくりだったという結果は、ストーリーとして素晴らしいですな。
引用しつつ『三月のライオン』を振り返って
しばらくマンガを読んでいなかったというのもあるかもしれませんが、内容が深くて面白かった。読みごくのあったものです。
昔はよく小説の気に入った表現をまとめるということをしていました。後で繰り返し読んで、その哲学や世界観を堪能し、使える時に自分も使ってみたいと思うものでした。
そして、
このマンガ面白い。
アニメ化されて映画化されるのもよく分かります。ヘボ棋士ながらも、将棋が広まって将棋人口が増えればいいと思います。
三文が読んだ他の将棋おすすめ作品
『ハチワンダイバー』
今まで、将棋マンガで熱中していたのは、
名作『ハチワンダイバー』(著者・柴田ヨクサル)です。
こちらも毎回興奮して読んでいたものです。
本当に好きな人は将棋に賭ける思いも違いますからね。
ギャグもあって色気もある。そして将棋に懸ける熱が伝わるマンガ、劇画タッチが好きならばこの作品で決まり。
『棋聖忍者・天野宗歩』
斎藤栄氏の『棋聖忍者・天野宗歩』(全8巻)を読めば、昔の人の将棋に賭ける思いがよく分かると思います。この時も、全8巻を一気に読んでしまったことを覚えています。
通常、続き物の小説8巻を一気に読むのは、相当の体力が必要で疲れますからねえ。
将棋は人生と連動するものであり、場合によっては将棋で死も到来する命がけの勝負。
勝負の世界における厳しさがよくわかります。
『ひらけ駒』
『ひらけ駒』(著者・南Q太)ですが、上の二つよりは、我々の実生活に近い将棋マンガです。
子どもが将棋にハマり、それにあわせて母親も将棋の魅力を知っていく。ごく一般家庭でもありそうなストーリーで、現代の将棋ご時世をよく反映しているような作品でした。
上記2作品のような将棋に命をかけるようなことはありませんが、将棋という盤上の戦いの世界に魅了された思いを描いているという点では同じです。
どちらかと言えば『三月のライオン』に近いほのぼの系で、むしろそれ以上に現実に即しています。天才棋士というよりは、普通の子が将棋の楽しさにハマってのめりこんでいくような内容ですな。
『王狩』
著者・青木幸子氏の『王狩』です。こちら上のどれともまた違った味の将棋マンガです。
将棋の世界に賭ける思いという点では似ていますが、人生を賭けるという勝負師の世界を描いたものとも違い、ほのぼの将棋家族を描いたのとも違います。
能力者だったり、感情が将棋と関係していたり、将棋という設定をもとに、勝負の感情が描かれた将棋マンガです。
三文ぼやき
将棋好きならば、やはり将棋文学作品は面白くてしょうがないですよね。
自分が将棋を指している時に思ったことが描写に表れていると興奮するものです。
これは将棋に限ったものではないと思いますが、興奮するというのであれば、それは将棋好きということでしょうね。
うーん、いいことです。
↓実在の棋士について知りたいけど、どの辺から知ればいい?
↓ネットでもいいから実際に将棋をやってみたい。どんなアプリを入れればいい?
↓記事中にある『三月のライオン』1~11を読んだなら、こちらを。