最近記事数が減ってグーグル検索狙いの記事も減ってきたこのブログ。開き直って自分の体験談を書いた方が有益なのでは、ということで、今回はニッチな体験談をつづります。
どうも、私です。私だよ~男だよ。
ニッチといえば自主映画です。芸人ではありません。
自主映画の完成の瞬間
さて。
謎の自主制作映画やら自主CMやらを短編長編合わせて10本以上公開している私ですが、日夜睡眠時間を削って自ら編集したり絵コンテを描いたりしているわけです。
▼ここで公開してるよ
ともすれば毎日4~6時間くらい編集…というのが続く時だってあるわけです。別に好きでやってるんで楽しいといえば楽しいですが、編集自体が楽しいというよりは
面白い作品がつくりたいから編集している
or
つまらなくてもとりあえず作りたい作品があるから編集している
わけです。
なので、結構頑張ってる気持ちになるわけですね。
そもそも編集に至るまでに脚本考えたり絵コンテ書いたり人集めたり撮影したりしているわけですね。
それぞれ大変です。楽しいけど大変。
で、編集してさらに私はDTMerでもあるので自分で作曲して映画音楽をつけているわけですね。
たいへ~んなわけです。好きでやってても大変なことはあります。好きだからやめないけど、体力的に疲れはすると。精神的にもたまには疲れると。
でも達成感は…
で、長編だと完成まで二年以上かかるなんてこともあるんですよね。
そうなると、毎日毎日脚本やら編集やらVFX合成やら作曲やら効果音やら整音やらで死にそうなほど時間使っている×2年間なわけで、完成の瞬間はさぞ
「うおっしゃーーーー!!!!! ^_^ ^_^ ^_^」
コンロで大縄跳びの、通り道~~~~!!!!!!!
しかも、
、、
虫がポール並…~~~!!!!」
というテンションで喜ぶことだろう、と予想すると思います。当然に。
しかし現実は違います。
以下の記事にも書いたように、私はこだわりすぎてしまうのです。
そして、自主映画をわざわざつくるような変な輩は当然、その映画にこだわるに決まっているので、私以外の場合でもある程度当てはまるのではないかと思います。
つまり、こだわりすぎている内に、どれだけ完成に近づいても「個々の音量を直したい」「ここのカットを1コンマ縮めたい」とか、「ここはこうしたらさらに良くなるかもしれない」とか思って編集を引き続き行うことになってしまうのです。
しかも実際にだんだんよくなっていくので、途中から完成がどこなのか少しずつあいまいになっていくんですね。
「私がこれ以上編集しなければ、作曲しなければ完成」ということになっていくわけです。
見失う完成の瞬間
そして、自主映画だからか、商業映画でもかはわかりませんが、粗がどうしてもどこかにあるので、つぶしてるとキリがなかったりします。粗を逆手に取る手もありますが。
で、そんなこんなやってる内に、
「完成したぞ!!」
という感動のカタルシスな瞬間というのがわからなくなっていき、「いつの間になんとなく完成していた」みたいになってしまうのです。
私、今回の映画に二年半かけたのですが、本編がほとんど完成したところで予告編を数週間かけてつくりまして、その間になんか疲れてきてしまって「本編もっと直したいとこあったけどこれでもいいような気もする、こだわりすぎてもな」という思いが出たり、逆に「あそこやっぱり大変だけどこうした方がよいのでは」という思いが出たりしてきてよくわからなくなってきて、完成の達成感が見いだせなくなってしまっておるのです。
なんともこれはもったいないことなのですが、もうそうなっちゃってるから仕方ない。そして、予告編が特にまだ大した反響もないことで、より一層やる気がなくなって完成への達成感もなくなっているのです。
予告を先に公開するのも考え物なのかもしれません。
とはいえ、予告編完成の瞬間はほどほどに達成感と解放感がありましたけどね。
そんなように、長編自主映画だと長く作りすぎてよくわからなくなってくるのでありました。まあ、あくまで私の話です。
まとめ
最後にその予告編を貼って終わります。おもしろそうだと思うけどね、なかなか拡散されないね。ネタ要素がこれでも少なかったかな。
「リアル自宅警備員」。
リアル〇〇シリーズが、二年半も作ってる間にどんどん古くなってしまったのですが、それでもこのネーミングがわかりやすいかなと思い、そうしてあります。