雨が嫌いか、雨が好きか、みたいな議論になったとき、雨が好きな方が風流でレベル高いみたいな扱いをされますよね。
一般的に雨が嫌いな傾向が強いので、珍しい理屈をつけて雨好きをアピールでもすればいいのでしょうか。まあ、そうは言うても、雨は濡れるので、めんどくせえというのが正直なところあると思います。
どうも、小学生時代はすぐに傘を壊してしまい、帰ってきては呆れられていた三文享楽です。
注意してダメなら諦めるしかありません。壊すことのできないカッパを着せられるのです。
『ムダにならない傘』
完全に失敗した。
ヒデは周りに気づかれない程度に、傘を道路へ打ち付ける。
実際に壊れてはイヤだが、この怒りをどこかへぶつけたかった。
カバンに折り畳み傘を入れてない時に限って雨がよく降るのだ。この前荷物が多いときにカバンを代え、折り畳み傘は前のカバンに入ったままなのである。
電車から降りたらぽつぽつとくる雨、今日は出張であり出張先は駅からけっこう遠い。今は大丈夫でも帰りにコンビニもなく濡れる可能性が十分ありうる。
ヒデは逆算をした。
飯は年3回程度の出張でいつも来ると決めているあのラーメン屋。あそこで毎度注文するメニューの組み合わせを少し変えて食べる。 あのラーメン屋より向こうにコンビニがあった可能性はあまりない。
ヒデは駅を出てすぐのところにあるコンビニでワンコイン傘を買った。出張帰りもこれで心配はない。
ヒデはラーメンを食った。餃子とライスもつけて、たっぷり時間をかけて食った。
そこで、外へ出て傘が不要となったなことを知ったのである。
降れ降れ降れ、もっと降れ。
いいや、ここで降らないのならばかまわない。だが、帰りにたくさん降れ。そうすればまだ買った意味が出る。
くそう、降れ降れ降れ。
出張先でまさかずっと考えていたわけでもないが、三十分に一度くらいは雨のことが気になり、降れと呪った。
しかし、この様である。
「あぁあ」
意味がねえじゃねえか。
帰りまでに降らなければ、この傘が存在意義を失う。家に傘が数本しかないのならばまだ気晴らしにもなるが、こうして買った傘が十本はたまっている。
また妻に怒られ、捨てるのも不憫だから玄関に置き、使われることも分からない傘たちを見ると思うと飽々する。
「かさあ、傘~。いらなくなった傘を買い取ります」
苛立っていたヒデがその声を聞き取れたのは、まさにそのことで悩んでいたからである。
傘を高値で買い取る店がないかと思っていたのである。
「どうせ5分の1程度の値段になるのだろう」
「今日のゲリラ豪雨で思わず傘を買ってしまった、そこのあなた。我々が責任をもってそちらを買い取ります。レシートがあれば、その9割の値段で即刻現金払いです。レシートがなくても、購入した店舗と大体の値段をお申し付けくだされば結構です」
ヒデの独り言が聞こえたのだろうか。ちょうどいいタイミングで、声が聞こえてくる。
9割だと?
リサイクル店で、それほどの割合にいまだ出会ったことがない。
ここまで聞こえて売らない理由などあろうものか。
「あの、この傘を買い取って欲しいんですが」
ヒデは直ちに声の出元まで近寄り、声をかけた。
「へえ、引き受けます。そちらがレシートですか。ええと、税込五百円ですので、四百五十円になりますね。へい、毎度あり」
出張帰りのヒデがその買取金額でビールのロング缶を買って電車に乗ったことは、言うまでもない。
翌日、出張資料をもって本社へ出勤したヒデは目を疑った。
「思わず買ってしまった物はありませんか。我々が高値で買い取ります」
そこにいたのは、昨日傘を買い取ったあのおやじなのである。
「油断したまま家を飛び出し、想像よりも快晴のために買わざるを得なかった日焼け止め。家に三本たまっているのにぃ、と地団太を踏んだそこのあなた。八割で買います」
間違いない。声質や息の出し方とまるきり昨日のおやじのままである。
道の逆側にでもいれば話しかけることもないが、数歩歩いた先にいるのにわざわざ道を変えて避ける理由もない。ヒデはそのまま進む。
「旅先において冷静になって考えてみれば何の使い道もない謎のお土産、持て余しているそこのあなた。思わず買ってしまったその金額で買い取ります」
「あの」
近づいてきたヒデにおやじは目を合わせる。
「へえ、何かお売りいただけますか」
「いや、昨日はどうも。こちらでも商売をされているんですか?」
怪訝な表情を浮かべるおやじにヒデは気付く。
「あの傘を買ってもらった……」
そこまで言おうとしてヒデは口をつぐんだ。
すぐに分からないのも当然だ。こんな便利な店は一日に多くの人間が訪れるはずである。まして突発的な雨が降った日にありきたりなビニール傘を一本売ったスーツ姿の男など覚えているはずもないだろう。言うだけ野暮というものである。
「あの便利な商売ですね。なにか職場内に不要な物があったら持ってきますね」
その言葉を聞き親父の表情は和らぐ。
「へえ、毎度おおきに。またご贔屓にお願いします」
教科書通りの商いのセリフ回しに言葉を返せるでもなく、ヒデは立ち去る。
機能の便利なリサイクル屋が自分の勤め先のすぐ近くにもやってきたというのがラッキーでもあり、二言三言の会話をしたことによる頭の動きで意気揚々と出張の報告をしたヒデであったが、重箱の隅をつつくような質問の数々と旅費をかけてやったことが無駄であることを散々になじられ一瞬の間に消沈することとなった。
「お前さ、部下一人を出張にやるだけでも会社は金を出すんだぞ。分かってるの?」
それからはまた聞いたことのあるような説教である。何日か前に聞いたような内容が言葉を変えて流れてくる。
出張の報告を終え一日席を空けたことによりたまった雑務を処理するだけで、一日は終わってしまった。定時に早々に仕事を切り上げて帰っていった上司の机を見たときの胃のムカつきは一日で取りもどせるものである。
湧き出る怒りを冷まそうと、考えることを止めて駅に直行するヒデの耳には、夜になってでも商売を続けるおやじの声は聞こえなかった。
「たいして読書する時間もないのに、表紙だけ見て思わず買ってしまった本を八割で買い取ります。一口喉を潤わせたいだけなのに思わず買ってしまったペットボトルを九割で買い取ります。もちろん、飲みかけでも可です。思わず伸びてしまった髪の毛を買い取ります。もう売ってくれれば結構、言い値で買い取ります」
外部との音をシャットアウトしてしまったヒデに、おやじの声が届くこともなかった。
俺は使えない人間である、俺は会社や会社の同僚に迷惑をかける人間である、どちらかと言えばいない方がよい人間である、俺より能力が高い人間の方が必要とされている。
外部との音を拒絶しようとすることはかえって閉じ籠った考えに固執してしまうこととなり、ヒデは自己嫌悪の自問自答に捕まってしまっていた。
家族でもいればまだよかったかもしれないが、東京で一人暮らしをしているヒデには自問自答する時間は十分すぎるほどあった。どれだけ学生時代に明るかったものでも、意地の悪い同僚一人の言葉で簡単に塞ぎ込むものである。
望んでいなくても翌日はやってくる。
明日なんて、明るい日でもなんでもない。やって来るから受け入れる、ただの取り決められた日にちに過ぎない。
動かない足を必死に会社の方へと向けるヒデの目に入ったのは、昨日、おとといの親爺であった。相変わらず、同じ声質で、同じ息の継ぎ方である。
「社会の成り行きというか風潮だけで思わず就職してしまった、そこのあなた。我々があなたを買い取りましょう。仕事を変えてみませんか? 我々があなたを買い取り、まったく新しい生活の対価をお支払いいたします」
こんな素晴らしいことがあるだろうか。ダメ人間の俺を買ってくれるのか。こんな美味しい話が他にあるだろうか。
追い詰められた人間にまっとうな思考の回路は難しい。
誰が彼をここまでにしたのだろうか。救いようのない人間とは話さないようにするくらいの開き直りができなければ生きていけない世界である。
「俺を、俺を買っていただけるのならば、非常にありがたいのですが」
口を開いたヒデをもう止めることはできるはずもなかった。
ヒデは買われていくことにもはや感謝すらしている。
「へえ、毎度あり。それではこちらへお越しください」
元々、店は三日で畳む予定であった。
何日も居座れば、噂となり警察やどこかの公務員がやってくるに違いない。彼らはそこまで調べた上で、同じサンプルの店員を各地に配置して一斉に商売を開始していた。
いくつかの駅を利用する者にとっては、移動するたびに同じ型の店員を見かけることになるが、わざわざ戻ってまで確認する者は少ない。せいぜい、後で近くを通ったら確認するくらいの意識が出るだけである。
地球の人間社会におけるサンプルの採集を続ける宇宙組織。そういった面々が地球の文化や社会を象徴する物に興味を抱くのは当然である。正当なルートではほとんど難しいと言えることだが、人間のサンプルをとれるのが一番である。
どうにかして、サンプルは欲しかったものである。
これ以上のサンプルは他にない。
ヒデは有効に扱われた。
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