いまとなっては我ながら信じられないのですが、その昔はひとりで用もないのに喫茶店に行く人間の気が知れなかったモーミンパパです。
喫茶店には、高校生の頃から結構行っていました。でも、それは必ず誰かと一緒でした。
一応、下校時の立ち寄りは禁止でしたが、当時の私立としてはとびっきりにゆるい高校に通っていたので、最寄り駅荻窪の喫茶店には友だちや部活の先輩とよく顔を出しましたし、中濃かった後輩女子と純喫茶に入ろうとして「制服での入店はお断り」されたりしたものでした。
私と純喫茶
いつものことですが、書いていて思い出しました。説明しておきますと、純喫茶とはいまでいえばナポリタンがメニューにあるような店で、とくにいかがわしい場所ではありません。高校生が喫茶店に行くこと自体が、不良的行為と見做されていた時代だったようです。なんて時代だ!(バイきんぐの小峠風に)
そんな私が喫茶店にはまったのは、遅ればせのひとり暮らしを始めてからでした。
休みの日に部屋にいてもファミコンばかりして無駄に腕を上げてしまい読書量は減る一方だったので、反省して書を捨てるかわりに文庫本を持参して街に出て喫茶店にひとりで入ってみたのです。ちなみにいまのは寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」という本のタイトルに引っかけてみたものです。こちらは面倒なので、説明略でいきます。
とにかくひとりで入ってみたら、喫茶店はなかなか居心地のいい空間で、読書がはかどりました。好きでも嫌いでもなかったコーヒーも、好きになっていきました。
そしていま、私はかなりの喫茶店好きです。
私が十年以上暮らす中央線沿線のいいところは、飲食店が多いことです。いまだに個人経営の喫茶店もかなり健在です。やる気のない老若男女が昼間から、ゆるゆるとコーヒーカップを傾けています。ああ、日本の将来は明るくないが、この店の空気は温かいなあと思えます。
日本の経済状況を好転させるダイナミズムとは無縁なかわり、日々の小銭の消費を厭わないダメなイズムがあります。
そのダメさが、私には心地よい。
西荻窪「どんぐり舎」
なかでも地元といっていい西荻窪の「どんぐり舎」は、空気はゆるゆるなのに、人気で混み混みだったりする喫茶店です。
注文は、ほぼ「ほろ苦ブレンド」。
この日の読書は「湯を沸かすほどの熱い愛」です。
私がこの五年で観た映画のなかで、ベストだった作品のノベライズです。監督、脚本の中村量太さんが小説も手がけています。私は息子(ブログ管理人)と違って自主製作映画からは大学時代に足を洗っていますので、映画としては手放しで絶賛するだけなのですが、文筆業をやっているので脚本の出来には正直、嫉妬も覚えました。
見たひとにはわかると思いますが、見ていないひとには具体的にはわからないように留意して書くと、ほぼすべての登場人物に意味があり、設定には必ずオチがあり、基本はお涙頂戴ストーリーなのに笑いが用意され、しかも最後にタイトルの意味がわかる仕組みになっています。
半分仕事で、読書です。
読みやすく、迷いのない文章です。歯切れはいいけれど、作者のやさしさが感じ取れます。人情があるのに、溺れません。
ほろ苦ブレンドを飲みながら
ときおりページから顔を上げて、ほろ苦ブレンドを啜ります。
その度に、入ったときには空いていた店内がお客さんで埋まっていきました。四人席をひとりで占領しているので、まだ空席があることを確認してからまた読書に戻ります。
常連のおじさんがやってきて、店主相手に昨日のテレビについて話しだしました。最初はちょっとうるさいと感じましたが、すぐ気にならなくなりました。
ずっと空いていた隣の席が、男性と女性のふたり連れで埋まりました。
匂いがしました。香水ではありません。加齢臭でもありません。同類臭、とでも呼びましょうか。
女性のほうが大きな封筒から、コピー用紙の束を取り出しました。それはマンガのネームでした。西荻窪にはマンガ家がたくさん住んでいるそうです。この店では、わりとよく見かける光景です。
仕事ですから、ゆるゆる、ではありません。しかし、キツキツでもありません。比較的、穏やかな打ち合わせです。新連載のようです。
しばらく聞くともなくふたりのやりとりを聞き、私は読書に没頭しました。
そんなふうに、一時間ちょっとの時間が過ぎました。
私は文庫本を閉じました。
お勘定して、店を出ました。
外の風は、入るときより少しだけ肌寒くなっていました。
モーミンパパのひとこと
西荻窪に来ることがあって、時間が余ったら、よかったら「どんぐり舎」に寄ってみてください。べつの喫茶店でもいいです。よその街のよその喫茶店でもいいです。たまにはスタンド系ではない喫茶店を覗いてみてください。コーヒー一杯の値段が少し高いぶん、ゆるゆるした時空間に浸れると思います。
この雑文に伏線は張っていませんし、オチもありません。ゆるゆるで、すみません。
というのもなんなので、家でも湯を沸かせば熱い珈琲は淹れられますが、喫茶店で飲むコーヒーはまた別のたのしみがあります。と強引に締めさせてもらいます。
《おしまい》