その他・雑記

グランドに突如現れる謎のゴール。方向性の合わない人との仕事の末路は…

 

気が合う人、方向性が合う人、趣味嗜好が合う人となにかをやるのは楽しいことです。

どんどんアイディアが沸いてきて盛り上がり、同じツボで笑い、しかしときには少しだけ違う角度の意見が微妙にずれて重なり合い、意外な発見があり、非常に楽しく、そして有意義です。

不毛なことが好きな人と一緒に不毛なことをやれば、それはもはや楽しく、有意義なことになってしまうもの。そういう経験を私はよくしてきました。ゲストライター三文享楽とは基本的に不毛なことをするようにしていましたね。

例外として、創作系の活動ではまじめにやりますが。彼とはよく自主映画を撮ってますが、映画撮影でふざけると映画というより大きな枠組みでやりたいことがぶれてしまうので…

 

とにかく、私が言いたいことはこう。

望むゴールが近い、もしくは同じ人と仕事をしたり何かをつくったりすることは素晴らしいことだ。ということ。

サッカーをしていれば当然、味方同士は同じゴールを目指してパスをしあいながら攻めていきますよね。(本当は私が愛するハンドボールで例えたかったのですが、マイナー球技なので避けました。このブログでたまにハンドボールを取り上げるのもありかも知れないな、と今思いました。)

ただ、逆に。

 

もし望むゴールが違う人と、共になにかをすることになったら?

 

大変ですよ。


なにそれ?

自分が望むゴールとちがうところを目指す人間と一緒に仕事をしたり、何かをつくることになったらそれは非常に不毛です。最悪の事態です。茶碗に盛られたゴミを食べさせられて、頑張って食べ終わったと思ったら実は夢で、目覚めたら茶碗に盛られたゴミを食べなくてはいけない現実が目の前に待っているくらい最悪の事態です。

しかもそれが形式上味方だったとしたら

非常に面倒ですね。隣の騒音おばさんを訴えて、5年間の裁判ののち勝訴したと思ったら夢で、隣には騒音おばさんが今日も元気だった現実が待っているくらい面倒です。

 

サッカーで味方の中に違うゴールを目指すやつがいたら恐ろしいですよね。オウンゴールですよね。

 

ただ、さらに厄介な場合があります。オウンゴールであれば皆が叱責するので早めに排除されるはずです。より事態を複雑にするのは…

 

現れる新たなゴール

予期せぬ場所にいきなり謎のゴールが現れることですね。

「え? なにそれ?」

そう発言をしたいと望むはずです。脳みそが私に叫んできます、「え? なにそれ?」と言えと。心も叫びたがるはずです。

何そのゴール。

味方の一人が急に、今まで自分が目指していたゴールと違うところめがけてボールをドリブルし始めるわけです。グランドは大混乱です。

「え? どういうこと?」

ただ、それよりもさらに面倒なことが起こり得ます。その人に逆らえない場合です。自分より権力がある人の場合ですね。

ええ、その人が作ったグランドだったり、その人が考えたゲームをしていたりだったら「仕方ない」と諦めることもできますよ。でも、そうじゃなかったら?

「勘弁してくれ」

そう思うわけです。

 

続く不毛なゲーム

自信満々にチームのキャプテンが「シュートしろ」と、私にパスを渡してきます。私はとまどいながらも、逆らえないのでとりあえず同意の風をある程度装い、ボールを操ります。

キャプテンがシュートしろと命じているのは、突如現れた謎のゴールです。得点の入らないゴールです。

私はドリブルしてシュートを狙いますが、ドリブルにやる気が入りません。シュートにもやる気が出ません。

しかし、キャプテンは不機嫌になります。やる気なく、考えなく言われたことをやってるだけに見えるようです。私は、やる気がないのではなく、やる必要を感じていません。違う、元々のゴールに向けて考えてドリブルし、シュートを狙っていました。

キャプテンはほかのグランドでも色々とゴールを増やしたり、ずらしたりと元気に動いているようでした。お元気ですか。私は元気ではないです。

 

消耗

さて。

私は疲れました。

 

いつ急に意味の分からないゴールが登場し、勝手にパスを投げられ、責任を求められるかわからない。

私は他のことに注力するつもりでいるのに。

しかも、元々あまりやる気がさほどなく仕方なく始めたゲームで。

 

方向性の合わない人と仕事をしたり、映画を撮ったりゲームをつくったり演劇をやったりするのは、自分の方が立場が弱い場合はなるべく避けるのが吉かも知れません。戦う、もしくはうまく自分の目指すゴールに誘導することもあり得るのでしょうが、消耗戦です。

私は思います。

私が目指しているゴールは静かに水面下で着々と目指し、結果を出す。意味の分からないゴールに従わないことも可能な実績を作り上げると。

 

ただ、そんなことせずに、その人から離れる手もあるでしょうね。私は自らの正しさの証明と同時に、自分自身がつけたい知識やら技術やらがあるのでそっちを目指しますが、効率がいいことなのかはわかりません。

 

 

まとめ

私は一緒にやっていて意見を言いづらい上に、目指す方向性も違うような人物と何かをやり続けることは勧めません。あえて違う角度の意見を知りたい、ということであればありかも知れませんが、それをやるにしても意見を言いづらい権力者と組むのは止めるが吉でしょう。

センスがあるか怪しいのに自分を疑わない自信家かつ、権力者はそれだけでもう危険な匂いがプンプンしますよね。危ないんです。巻き込まれます。

たまにセンスがあるという尖った人の場合も、自信家の権力者の場合は避けたいところですね。

方向性の合わない人と何かをしなくてはいけないとき、そしてそれが続くとき、人は結果的にストレスで何かが崩れます

私の対処法

私が今そうだということは全然ありませんが、最終的にはそうなるでしょう。私はそれをネタに記事を書くことで、その事態すら楽しんでやるという反骨心のさなかなわけですね。

とはいえ、正直、そんなネタなくてもいいから方向性の合う人と何かをしたいです。

皆さんも、何かをだれかとするときは、その人の目指しているゴールがどこかを知ることが大事ですよ。

では、ブログのゴールに向けて書かれたこの記事はここで終わります。

ーおしまいー

 


 

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