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【ストレス・仕事】嫌なことを忘れる4つの方法 ”回転オトエフミ流”

好きなことをして生きる人がいれば、嫌なことをして生きる人もいます。

はほどほどです。好きなことはプライベートではだいぶしてますね。このブログは好きか嫌かで言うと、好きではあるものの大変。そんなポジションになります。

美味しいカレーを食べるために頑張ってルーをつくる。そんなような気持ちでこのブログはやってるわけです。種まきですね。

もちろん、自由に書くこと自体は好きなので楽しいは楽しいですが、グーグルの決まりを意識しないと初期は誰も読まなかったり、更新頻度を保つ必要があったり、偏りが出ないようにさほど書きたいわけではない記事も書いたり…色々あるわけです。

 

さて。

そんな私とは比べられぬほどに、嫌なことばかりをして(させられて)生きている人も世にはたくさんいるはずです。解放されたい! と思う人も大量にいるはずです。

そんな人のために、嫌なこと(仕事か人間関係かその他かはわかりませんが)を忘れる、私なりの方法を伝授いたしましょう。

ちょっと癖があるかも知れないので、回転オトエフミ流と称してみています。回転オトエフミ竜というか私流ですが、私のペンネームは今はあまり押し出さないことにしているのでね。。

 


【ストレス・仕事】嫌なことを忘れる方法まとめ

万人に共通する方法ではないかも知れませんが、私はもし実践できればいずれも非常に効果があると、自信をもってお勧めします。

回転オトエフミは創作・表現活動を源流としたブログなので、それ系の解消法が多いです。

 

その1. 意味不明で無関連な単語・文章で頭を埋め尽くす

しょっぱなから謎の手法を紹介しますが、意外といいと思ってるのでぜひ読んでください。

文字ラッパプリン文字ラッパプリン文字ラッパプリン文字ラッパプリン文字ラッパプリン…

のように、意味のない単語を連呼するか頭の中に思い浮かべていっぱいにし、嫌なことを忘れる手法です。

これは、頭がおかしいと思われるかも知れませんが、結構効果的です。私が死ぬほど落ち込んだ時期に思い付いた手法です。これがなかったら私はうつになっていたのでは、と思うくらいです。

「文字ラッパプリン」のように繰り返すのもありですが、更に高度な

「文字によるラッパの反撃が色々なプリンとなって次々と大声。また見て欲しいゆりかごには存分に存在が乗り上げながら、しつらえた宇宙にスライドしている横の太さでは?」

というような、まるで意味の通じない文章で頭を埋め尽くすのも効果的です。

意外と意味の通じない文章を考えるのは頭をフル回転させないとできなかったりするので、それで嫌なことを考えてる隙がなくなります。本当に。

意味がないことの素晴らしさ、しかしほどほどに

意味のある文章だと嫌なことに関連することを思い出す可能性もありますが、まるで意味のない文章だとその心配はかなり低いです。意味がないということはそれ自体に善も悪も無く、そして嫌も好きもなく、決まりも責任もないのです。なんでもありだという世界に浸れるという点でも、発想力がもしかしたら養われるかも知れないという点でもお勧めです。

馬鹿どもが揃いもそろって意味と責任ばかりを求めて生きづらい世の中に仕立て上げている昨今、なんの意味のないものを自ら生み出して、素晴らしいワールドに浸るのは優れた癒しです。ただ、宗教的にならないように、「意味のないことが至高で、意味のないものだけを崇拝する」のように妙にこの行為を神格化するとほんとに友達がいなくなると思うので、軽い気持ちでやってください。

全くやる気にならない人か、意味のない文章なんて考えられないという人がほとんどかも知れませんが、一回やってみると面白いと思います。

この手法を考え付いたきっかけ

高校の頃、めちゃくちゃ落ち込んだ時期がありました。お笑いを見まくったり、ゴイステを聞きまくったり、葉っぱ隊を歌いまくったり、ピアノを弾きまくったり、単純に我慢したりしてなんとか乗り切りました。

しかし大学の時、再びめちゃくちゃ鬱になる時期がありました。

その時に私は思ったのです。

「またあの時と同じような地獄の落ち込みの日々を過ごすのは嫌だ。もうまともにこの悲しみ、落ち込みを乗り越えるのは嫌だ」

そう思った際に考え付いたのが、まるで意味のないことで頭を常に埋め尽くし続けるという手法だったのです。私はもともとシュールナンセンスなギャグを言う人間ではあって、周りにもそういう人が多かったので、それをそのままネタとして日常会話に転用することもできたのはラッキーでした。

このブログのゲストライター三文享楽とはまるで意味のない会話を最も多くしたと思います。

「あれ、道持ってきた?」

「ああ、耳たぶの量ね。けっこう横側が注目されててさ、ネジ。」

「いいこと言うなあ」

と、この調子なので、気持ち悪いと言われれば間違いなく気持ち悪いのですが、非常に楽しいものでした。それがこのブログにたまに出てくる謎のボケにもつながってくると思うと、感慨深いのではないでしょうか。深くないか。

意味ない系の記事をまとめたカテゴリーもあるくらいですからね。

 

 

その2. ブログで発散して忘れる(消し飛ばす)

ブログでストレスを処理するのにもパターンがあります。

1.ブログのネタにして発散する

わかりやすい方法です。ただ単に悪口や愚痴だけをそのまんま書くというのもストレス発散になるとは思いますが、そればっかのブログはネガティブ過ぎます。

なので、社会への批判・風刺要素を入れたり、少し面白くしたり、嫌なことを乗り越えるためにやったこと・やろうとしていることも書いて同じ境遇の人を支える内容にしたりという方がいいでしょうね。

上記の2記事は嫌なこと・ストレスや、世へ主張したいことをブログネタにしたものです。

そこまで凄い工夫はしてませんが、ただの悪口羅列みたいにはしていません。まあ、言いたいけど言えないことを体裁を整えて書くというイメージですかね。特に最近はブラック企業ネタが流行ってるので、うまく書けばバズる可能性もありますね。

そこまで超おすすめではないですが、やってみる価値はある発散方法でしょう。

2.ブログでとにかく自由に書きまくって発散する

これは「意味不明で無関連な単語・文章で頭を埋め尽くす」に近い部分もあります。

誰にも強要されず、なんの縛りもなく、書きたい放題書くのです。そこにはなんのストレスもありません。正解も、間違いもありません。

私の場合は意味深でシュール感が漂うような、薄っぺらいような、よくわからないものを書いて満足することが多いです。

なんの価値もない詩とも言えますね。詩は書かないですし、意味深なことを書いて世の中に疑問符を提示して面白がってるだけの変な奴に過ぎません。

ただ、自分のブログに謎の文章を書き散らしたところで、だれも迷惑しません。迷惑されても余計なお世話ですね。

書きたい放題悪口を書くのであればまずいこともありますが、別に何のメッセージ性もないことを好きに書いてるだけですから。誰も読まなくてもいい、しかし私はどこかに面白いと思って書いてる部分があるので、万が一共感する人がいればファンとして応援してくれるかも知れないわけです。

人によって書く内容は変わる

私の場合はそういうのを書くのが好きだから書くのであって、この記事を読んだみなさんが無理してやると逆にストレスになるかも知れません。なので、各々が書きたいことを自由に書いてみるといいと思います。ブログをやってない人は日記にでも。

「書く」という行為は内なる思いを発散する行為でもあるので、少なからず効果はあるでしょう。思いを発散して消し飛ばしましょう。

 

 

その3. 自主映画編集に没頭する

これはお勧めですが、普通の人は自主映画なんて編集しないし、そもそも自主映画がなんだかも知らないと思うので、事実上お勧めできません。心情的にはお勧め、事実上的にはお勧め不可。ああ、悲しき自主映画模様。

私はブログを始めるより前から自主制作映画に没頭しています。要は、趣味の映画制作です。バンドは自主バンドと言わないし、絵も自主絵とか言わないのになんで映画だけ自主映画と呼ぶんでしょうね。プロとの予算差が激しいからですかね。”自主”って非常にダサイですよね、正直。

…と、自主に関する愚痴は置いときましょう。

今まで作ってきたムービー群

他にも作ってますが、一部抜粋。映画を公開しているページへのリンクを貼っておきます。

ひとつくらいは予告編も貼っておきましょうか。この予告編はお気に入り。本編は処女作故、クオリティーに少しばらつきがあるものの、後半はお勧めで評判もよし。

…とまあ、こういった映画を撮ってるわけです。

これに没頭すると何がいいかというと、映画制作ってめちゃくちゃ時間かかるんですよね。つまり、悩んでる暇がなくなるわけです。仕事が嫌だったとしても、帰宅したらずっと編集作業することになり、しかも編集作業というのは大分頭を使うので悩んでる暇がないと。

編集に限らず脚本・絵コンテなんかはもっと頭を使いますね。人間関係に悩んでいたら、それを脚本に落とし込む手もありますが、それすら忘れるほどの集中力で映画制作をするという手もあるわけです。

撮影が近ければ、撮影がうまくいくかの不安がその他のストレスを上書きする可能性もあります。なかなかいいですよ。しかも、大変ではあるけど楽しい。

毎日がつまらない人にもおすすめ

ちなみに、ストレスというか、毎日がつまらない、という人にも自主映画はお勧めです。

「毎日似たような日々を消費するだけの人生だ」

と感傷にふけってる人は、映画制作を趣味にすると、毎日映画完成へ向けて進んでいる充実感が得られるので、非常に良いと思います。私はそれもあって映画制作を始めました。

当時の私は、作曲やゲーム制作はしたことがありましたが、映画だけは一生作れないなと思ってました。が、それが今やライフワークになってるのだから面白いものです。

趣味に没頭する

とはいっても、映画を撮るにも編集するにもある程度技術がいるわけです。なので、これは単に「趣味に没頭する」という風に変換してみるとよいでしょう。それで嫌なことを忘れるわけです。逆に言うと、没頭できる趣味をつくるわけです。

ただ、私は自主映画は上に書いた理由でだいぶお勧めです。お勧めされてやるようなものじゃなく、やりたいと思った人がやるものなのでお勧めする意味がないのはわかってますが、それでもお勧めします。

自主映画の地位向上、ひいては”自主”というダサイネーミングから逃れられる地位を得るために…。インディーフィルムなんて言い方もありますが、あまり浸透してませんね。

 

 

その4.創作物・作品に昇華する

1のブログネタにするのと、2の自主映画に没頭するのに少し重なる部分もありますね。

心の闇は創作の糧。コンプレックスが一切ない人よりもコンプレックスある人の方が創作者・表現者には多いと思います。なんにもつくらなくても既に幸せで楽しい人は、わざわざなんかつくる必要がなかったりするわけです。

そんでもって、ストレスも闇も作品に昇華すればその時点で自分の武器にもなるわけです。

わかりやすいところだと、私が一つだけこのブログで公開している小説なんかは完全にストレスというか、ムカつくことを小説にしてますね。まあ、小説としては後半特殊ですが、書かないとムカついて仕方なかったので書きました。

その他、ゲストライターの三文享楽が書いてる小説も自分の闇を昇華してると思われるものも多数。やはり創作には闇がつきものです。光を創作にすることもありますけどね。人のやさしさとか、自然の素晴らしさとか…。でも闇の方が多いんじゃないかな。

極めると…

これを極めると嫌なことやストレスが楽しみになるという、最強の人間になれる可能性もあります。私はそこまではなりませんが、その修羅の道を行くのもよいのではないでしょうか。ブログで一文「よいのではないでしょうか」とか書いてあるのを読んで進むような道ではないですけどね。

 

 

まとめ

私が実践している嫌なこと・ストレスを忘れる方法はこんなところです。

それらを全部してもたまに頭によぎることはありますが、何もしないよりはずっとよく、更には新たな趣味や創作表現の道を見つけたりできるような方法ばかりを紹介しました。

「思ってたのと違うのでネット上からこの記事が抹消されることを願う」

と考えてまたストレスが増えてしまった人もいるかも知れませんが、そんなときはこの記事を読んでみてください。どういうこと?と思った方、そんなあなたは今この一瞬、翻弄されてストレスを忘れたのではないでしょうか。

さて、その調子でストレスを忘れようではありませんか。

レッツ忘却。

 

なんと私は忘却がテーマのムービーも撮っています。

世の中にはネタが無限に存在しますなあ。回転オトエフミの読者の方々はせっかくなので創作系の何かをやってもらえたら人生が楽しくなるかもしれませんよ。