三文 享楽

鬱病の原因は仕事?人間関係?追い詰められる包囲網とは【三文】

2016年10月30日

皆様、追われていますか?

 

ええ、何にとは言いません。現代社会、常に何かに追われて行き場をなくして、我々は生きています。

 

そんな中でよく我々は生きていますよね。ああ、辛い辛い。勤勉ですよ、人間は。

どうも、人間のなれの果てを見て理性を取り戻し、あそこまでいったら終わりだと自分に言い聞かせつつ、ギリギリのところで生き延びている三文享楽です。

 

病んでいる人間が常に勝つ闇の世界、そこに踏み込まず留まる闇の使者、光の中で自分を見出せず影を失う人間たち。

さて、あなたはどうやって生きていますか。

一歩引いて眺めてみることがなければ、転落しますよ。

 


 さて、包囲される順番を見ていきましょう。もちろん、人間の数だけ生き方は存在する。でも、個々人の追い詰められ方にも流れがあるはずです。

下手すれば鬱病になるその追い詰め包囲網の法則。せめてもの、それをまとめることで鬱病から逃れようとあがこうではないですか。仕事か人間関係か、すべてか…原因はいくらでも。

 

家が居づらい。

 これぞ原点ではないでしょうか。

もちろん、それぞれの家庭に違いはあります。でも、その違いの中で皆様息苦しさを抱えているでしょう。

家庭は平和ですか?

 

たとえば、両親におかしいところがある。

ヒステリックを起こし、理不尽な指示を受ける。

 

たとえば、片方の親と会うことがなく常に孤独を感じている。

 

たとえば、兄弟がグレる、姉妹がヤンキーになる。

 

嫁がうるさい、すぐに泣く、情緒不安定。

 

夫が暴力をふるう、仕事をいいことに家事をしない、常に家にいない。遊んでばかり。浮気をする。

 

子どもが話をしない、むすっとしている、隠し事をする。

 

親の介護、誰と住むか、どうすればいいのか。

家にもいたくない、一人でも苦しい、家にいられない、ああ。

 

 

でも、外なら…

 

人は家で居場所をなくし、外の世界に目を向けます。

まずは、生きるために働かなければならない職場でしょうか。

 

 

職場で包囲される。

 職種はなんでしょうか。

体力的にきついですか。仕事が入ってこなくてきついですか。頭を使い、目や肩、腰に負担がかかり、きついですか。

 

たとえば、上司が最悪だったとします。

基本的に誰にでも強くあたります。そして、自分にも強く当たってきました。自分はそれに上手く対応ができませんでした。あるいは、感情が勝って反抗してしまいました。

 

目をつけられ、理不尽な対応をしてくるようになりました。

 

人前でわざとミスを大声で怒鳴るようになり、その上司にはこいつのためだと取り繕い、陰湿に個室で説教をする。

 

自分の起案だけ放置され、自分にだけ残業代をつけさせず、自分にだけ不毛な指示を与えてくる。

他の係員に仕事が降りかかるようにして、他の係員に反感を買わせる。

他の係から頼まれた仕事に取り掛かれないようなタイミングで重い仕事をふってくる。

他の課からの対応を期限を遅らせて迷惑をかけさせる。

謝らせる。

 

他人の見せしめにする。

 

自分に説教しているが他の人にも聞かせているつもりだと言いながら、他人の目には仕事ができない姿を定着させる。

徹底的に負荷をかけ、休みだしたら、サボっていると周囲に言いふらし、仕事を遂行できないと評価する。責任感がないと評価する。

 

 

たとえば、同僚もクソだったとします。

 

自分も上司に因縁をつけられてここまでやってきた。次は自分が報復できる番だ。自分が楽になれる番だ。自分が次の世代を洗脳する番だ。

 

さて、まずは弱そうなやつ。それなりに対応ができる弱そうなやつ。対応ができなくてもストレスが解消できるやつ。

この会社にいるべきでないやつを辞めさせてやる。

この会社に耐え切れないやつを辞めさせてやる。

この会社でサービス残業をしないやつは辞めさせてやる。

この会社に一生を尽くせないやつを辞めさせてやる。

 

そして、全体で包囲網を組んできます。

 

共通の敵を見つけて、そいつを倒すことを一丸となってそいつをいじめて反応を楽しみつつ、仕事のストレスをそいつに向けます。

 

病んでしまって、普通はやらないようなことをやるようになったやつを徹底的に痛めつけます。休職させたら負け、会社の金で見舞金を出させたら負け、さっさと退職させられたら勝ち。そう、お金をかけずに一人の人生を終わらせることを共通目的とします。そして、自分が狙われないようにみんな次の獲物を見つけるようにします。

 

 

やらされる趣味で包囲される。

 たとえば、ゴルフです。

職場ですぐ上の先輩からゴルフをさせられます。

 

向こうはこいつにゴルフを教えたいなんて思っていません。

先輩からの自分へのいじめの矛先を次の世代に向けたいだけです。

 

不安を煽り、聞こえのいい言葉でだまし、次の被害者を増やす。

これはどこの社会の構造でも起こりうることです。

学校の部活でもあったでしょう。

 

先輩がおかしなことを強要してくる。

でも、先輩が言うのならばとやってみる。

そして、気づく。ああ、自分はハメられたんだな、と。

 

世の中、こんなことばかり。

 

また、職場ではよくあることですよ。

趣味を共有して、普段話さない世代と関わることはいいことだ、と。

まずは、幹事から。

予定調整は仕事にもつながる。

店を選びメニューを考えることは歓待力も増えて、知識も増える。

車で送迎もする、荷物を持ってあげる、見えないところで細かい支払いをする。

 

あれ、自分、苦しくないか?

よくありますよ。どれだけ頑張っても、それを見て笑って、自分の仕事上でのミスを笑い、むっとしてしまった顔を肴に更に酒を飲み、軽い暴力をふるい、悪循環。ええ、社会みたいですよね。

 

 

よくわからない、どうして自分はこんな部活に入らされている。

 

よくわからない、どうして自分は休みの日も趣味という名の仕事をしなければならない。

 

よくわからない、自分の楽しみは何だ?

 

 

自分が好きだった趣味でも包囲される。

 本来楽しさを求めて始めたのに、いつの間にか義務でしかない苦痛の束縛材料となっている。いよいよをもって、行き場がなくなってきましたが、これはあるあるです。

 

将棋が好きだったのに、いくらやっても勝てない壁がある。

これだけ考えているのに、結果が出ない、仕事と同じじゃないか。

どうしてここから先が進めないんだ、上手い人に聞けば、分かる。

でも、どうして自分にはそれができないのだろうか。所詮、自分の限界はここだ、上には上がいる、自分はこの世界でちっぽけなもの。

 

ゲームでしか、一人の世界がない。

しかし、クリアできないダンジョンが存在する。攻略本やネットで検索すれば攻略方法が出てくる。しかし、それは自分以外にクリアすることができた人の享受ではないか。自分にはどうしてそれもできない。自分は謎を解くのが好きで始めたゲームをクリアすることすらできない、チキショー、悔しい悔しい悔しい。

 

音楽が好きだったのに、何も感じなくなった。

 

絵を見るのが好きだったのに、果たして自分は何を見ているのだろう。絵を覚えて何になる、これがどうなる、何がしたい。

 

眠るのが気持ちいい、いくらでも眠っていたい。眠りすぎて頭が痛い。肩が固まった。体が動かない。

 

 

転職を考えていた他方面の道も閉ざされる。

 自分には最悪違う生きる道がある。

こんな会社辞めてやる。

自分には、他に飯を食っていく力があるのだ。

 

でも、どうでしょう。

資格試験を受けても毎回あと少しというところで落ち続ける。

 

いざ、そちらの道で生きてみようと情報を収集しようとし始めると、実際に働いている人間の辛さを知り、自信をなくす。

 

一緒に頑張っていた同志に徹底的にダメ出しされる。励まされているかもしれないが、言われれば言われるほど、自分の無力さを知り、惨めになり、委縮し、怒られ、なにもやる気がなくなり、怒られ、心が離れ、徹底的に追及され、

何もしたくなくなり、

本業でもミスが目立ち、

逃げたい、追われている。

 

こうなってくることはあるあるです。

 

 

家庭も職場も仕事的プライベートも本当のプライベートも包囲されてきました。

 

さあ、次は何でしょうか。

 

友人関係が途絶え始める。

 友人が全くいないと言っても、いるにはいると思います。

 

なんだかんだで少しはいる友人とも連絡がとられなくなってきます。

友人を誘っても、仕事が忙しいだとかなんだかんだで遊べない。

いつも忙しそうで、他の予定を優先されて、自分は後回し。

 

誘いすぎで重く感じられたのか返信も来なくなる。

 

喧嘩っぽくなったうちに意見の交換すらなくなってくる。

 

音信不通となってくる。

あるいは、返信できないほどに毎日毎日、嫌がらせが来る。

対応しきれない量に仕事が終われば、また仕事、業務上のプライベート、詰んだ状態のプライベート、プライベートという仕事、家、誰にでもなつくであろう野良猫。

 

友人は自分の生活のストレスを全て自分にぶつけてきます。もはや友人でも何でもありません。自分をストレス解消の道具として見つけたようでした。

 

 

そして、SNSを見てみれば、楽しそうな友人の姿、楽しそうにしている元友人の活躍、楽しそうにしている知り合いだったやつら、今は連絡もとりたくない、こんな惨めでみっともない状況。

 

さて、我々はどうするでしょうか。

 

 

昔のことを思い出し始める。

 今はこうだったけど、昔はすごかったよな、と自己弁護を始める。

 

昔できた自分なりの武勇伝を思い出し、懐かしむ。あの頃はスゴかったと思い出して、今の自分はなんてたるんでるんだ頑張ろうと思うでもなく、あまりに惨めな自分に将来もないことを考え出し、昔の家族や友人だった当時のあいつらのことを思い出す。

 

ここでSFの世界に入れればいいのです。物語の世界に入れればいいのです。

いけないのが、評価されている物語しか見ないような方、物語をかつて見飽きるほど見て何も感じなくなった方、物語を見る気力すらない方、仕事が忙しすぎたり家に自由がなさすぎたりクソ予定を入れられすぎて見る環境すらない方。

 

こうした方々は、将来がなく次につなげることのできない過去にしがみつき、なにもできない延々ループの中に閉じ込められていきます。

 

 

恐ろしいのは、昔はすごかったのに今はどうだ、と励まされることです。

自分だってできれば昔のキレキレな感覚を取り戻したい、でも、できない時です。

どう頑張っても昔には戻れないことが分かっている時です。

もう自分は昔の様にできないのに、他人が昔みたいにやれよと言ってくる、どうしようもありません。もはや自分は感情の抜けた抜け殻です。なにもすることはありません。

 

 

周囲がますます負荷をかけてくる。

 こいついじめればいじめるほど、面白い反応するわ。

 

こいつ厳しくすればするほど、しっかりとした仕事するわ。

 

こいつ繰り返し言えば、わりと良いもの書けるわ。

 

食べる前にストレスかけれていい味が出るような生き物だ。

 

食べる前に太らせるだけ太らせればいい味になる生き物だ。

 

 

みんな厳しい世界を生きているんだ、こいつは甘い人間だ、俺らの世界だったらこいつ生きていけないんじゃないか。なめてんじゃねえよ、楽しんでるじゃねえよ、おめえだけなんで楽しようとしているんだよ。

 

 

 

とりすがるものがなくなる。

 

宗教か、政治か、社会問題か。何が自分を救ってくれる?

 

なにをしても自分の仕事が増え、もうどこにも逃げ場はない。

 

煮え切れなかったアーティストとしても生きられない気弱な生き物。作品を創れても作品を発表する勇気もない生き物。もはやだれにも相談する人間がいない。

 

 

ああ、どうすればいいでしょうか。

 

 

 

包囲

 もうやめましょう。この先を考えても地獄があるだけです。

包囲網がこういう流れということは分かりました。

 

怖いですねえ。

 

皆様、こうならないように何かをしなければなりません。いや、なにもしなくてもいいかもしれません。こういう弱みに付け込んでくる連中ほど警戒すべきです。

弱いところにつけこんで何かを要求してくるのは世間の常套手段です。

 

気をつけてください。

 

ちなみにこの記事がなにかをさせようとすることはありあません。

 

煽る気もなにもありません。

 

なぜならば、何の目的もなく、今、三文享楽がバッと書いただけの駄文ですから。

生きるために書くしかない、そう思って昔から書いてばかりいました。

だから、まあ、私は大丈夫です。頑張ります。

みなさんもなにか書くなりしてストレスを解消してみてください。

もっとも、書く仕事を本業にしようなんて思うべきでありません。

 

怨みごとの小説なんて売れるはずがありません。

 

ネガティブな記事なんて誰も読みません。

 

書いて、それを誰かに読ませようなんて思うべきでありません。

 

 

 

ストレス解消で書いた文章が誰かに評価されるわけないじゃないですか。

 

書けば救われるなんてことありませんよ。自己陶酔に浸れるだけ。

下手に読ませたら揚げ足をとられますよ。

 

 

ということで、

今回は追い詰められる「包囲網」について考えてみました。

 

世の中の仕組みって、こわいですね。

負けずにいきたいですね、しくしく。