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無料web小説 短編16『悪魔の呪術書』【三文】

2016年12月27日

悪魔はいるのか。

天使はいるのか。

唐揚げ星人はいるのか。

 

存在するか否かを疑いだして答えが出ないものは、世の中に数多く存在します。

どうも、唐揚げ成人病の三文享楽です。

 

食欲。

これは悪魔の一種なのでしょうか。


『悪魔の呪術書』

あるジャンルに特化して収集を続けるのがコレクターである。

たいていは軽蔑と尊敬を同時に受けるが、収集するジャンルの種類が「人から盗みとった物」ならば、尊敬はあまりされないであろう。

人の大事なものだけを盗む。

小説やマンガにはありがちな設定であるが、デイ氏もその盗人本人であった。

デイ氏は貧しくはない。

食うものに困らず、家もあった。家といっても独身、実家暮らしである。専門学校卒で働き社会人を五年している。

しかし。趣味は人の大事なものを盗むことなのである。

業突く張りの金の亡者から金を奪い返し、善良な人間へ還元していく。こんな理想とまでいかなくても、下着泥棒からパンティーやブラジャーを盗み返し、被害者へ帰してあげるくらいの方がまだ社会に有益な存在であった。

しかし、デイ氏は違った。

親が自分の子どもからもらった肩揉み券であったり、信仰心の強い者が毎日読んでいる書物であったり、ちんぴらが毎日手入れを欠かさないナイフであったりと目標の種類は多岐にわたった。

悪人から悪事に利用される物を奪う以外では、おおよそ社会の役には立たない迷惑な存在であった。

しかし、どんな者にも必ず越えられない壁が立ちはだかるもの。

デイ氏は、ある時、悪魔の呪文書が欲しくなったのである。

これにはまず悪魔が存在するかという証明から入らねばならない。しかし、悪魔の存在を確定づける方法は有名である。悪魔が存在しないという物的証拠は存在しない、だから悪魔は存在する。というものであり、積極的な理由ではないにしろ悪魔が存在しないことを否定はできないのだ。

この前提があれば、悪魔の呪文書が存在しない物的証拠もないから、悪魔の呪文書も存在するのである。

存在するならば、どうするか。

盗むのである。

デイ氏は映画を観ていて、必ずどの映画でも悪魔が大事にする呪文が書き連なった書物が描かれていることを知り、欲しくなってしまったのだった。

重要人物の所持する重要な物品ならば盗める。世の中に存在するかどうか微妙な存在の物品を盗むのはなかなかにして難しいものである。しかし、盗むことはできる。世の中のすべてを敵に回したとしても、盗むことはできる。

悪魔の呪術書は一体どうすれば盗むことができるのだろうか。

まずは悪魔を見つけることから始まるのだろうか。

いや、それならばいまだかつて多くの者が取り組んだことであろう。この世の中、いずこに悪魔が存在している。その存在するか分からない悪魔の存在は先ほど語られた。となれば、探すべくは呪文書の方である。ここは、悪魔が持っている呪術書だからそもそも存在するか分からないということではなく、呪術書を探していたらそれがたまたま悪魔の呪術書であった、という展開を望む以外にはない。

デイ氏は古本屋にいった。

新書よりも古本の方が、どちらかといえば呪術書っぽい。

「紙の臭いがくせえな」

そうは言いながらも、デイ氏は古本の紙の臭いが気に入っていった。

どことなく鼻腔をつくようなカビ臭さ、これが湿った樹を醸し出し、本というものの奥深さを感じさせていた。

大手の古本屋には万遍なく備わっている一方で、街の汚い古本屋には想像もしなかった一冊が並んでいたりするものだ。

デイ氏は本をある程度読むようになってからそのことに気付いた。古本屋チェーン店には珍しい本すら有名どこならば数冊置いてあることもあったし、個人経営の汚い古本屋には何度か通ううちにそこの店主が気に入って仕入れている物すら読むことができた。まさに古本屋が送る、古本売り劇場であった。

「なんだよ、これは。つまんねえなあ」

呪術書がどこかにあるのではないかと探し始めたデイ氏であったが、次第に書物探索が楽しくなっていった。呪術書かどうかは読んでみなければならない。また、読み込んでみなければ呪術書自体かどうかも分からないのだ。

そのうちに、デイ氏は世の中に面白い本と面白くない本があることに気付いた。自分にあう本か、自分には向いていない本であるかである。

しかし、ここまできた時点でもはや大きく読書中毒者である。

世の中、面白い本が出回るべきなのである。

デイ氏は悪魔の呪術書を見つけ出すことを名目に、自分が読んで面白いと思った本と面白くなかった本を整理し始めた。最初はその二択であったが、面白い本の中にも一度読めば読み足りるような内容もあれば、他の人に読ませたくなる内容もあった。

大まかに点数付けをした目録を作ろう。

デイ氏は手書きで作成していたデータをパソコンへ打ち込み、情報化した。五十音順、作家別、点数によるランキングと情報の探索の仕方も整え、インターネットでも公開するようになった。

インターネットに公開すると、書き込みをもらった。

自分の紹介を元に、自分へもお勧めの本が紹介され、それを読んだ。店頭で見つけることができなければ注文し、それでも手に入らないものは古書店を探し、ネットのショッピングを利用した。

本はどんどん集まり、デイ氏は読み続けた。

一冊の本を読めば読みたい種類が分化し、読む本の種類は繁殖し続けた。

デイ氏はある時、読書論について書かれた本に出あった。

それは読書が中毒性のあるものとして、紹介されていた。

読書は書物を読むことである。書物は世の中が書かれたものであり、文化となる。

文化は社会を創る。社会は文化によって成り立ち、それらを構成するのは人間だ。

「もしや」

デイ氏はあることに気付いた。

自分が陶酔した本が何冊かある。これに出会った時、自分は我を忘れ、読み漁った。これはいわば魔術書のようであった。自分が陶酔しなかった本もある。しかし、そういった物も世の中の誰かは陶酔したからこうして残っているに違いない。

そうなってくると、魔術書になり得る書物を創ることができる、いわゆる作家が悪魔にも思えてくる。

いや、そもそも作家には誰もがなり得る。

ペンと紙があれば誰もが物語を創れるのであり、人の数以上に物語は生まれる。そうなってくれば、悪魔というのは人間である。我々は何者にもなり得り、悪魔としても存在し得る。そうだ、我々は悪魔なのだ。

「ふふふ」

デイ氏は思わずほくそ笑んだ。

それはいかにもニヒリズムのような極論に行き着き、世の中を悲観することの面白さを知ったからではない。暗い考えに浸るだけならば、そこで物語は終わりである。

デイ氏はこれからのビジョンが見えた。

最初の「悪魔の呪術書を盗みたい」という願望である。

それはこの世の中にある全ての書物を読み尽くすことであった。

世の中には数多の書物が存在する。その中にはまだ自分が読んでないだけで自分を陶酔させる物がいくつもあるはずだ。これを見つけることもなければもったいないわけだし、一部の者だけが紹介もせずに、こっそり自分一人で楽しんでいては、それこそ盗んでやりたくなるものだ。

「俺はたくさんの物語を盗む。世の中の書物を全て読み解く」

元泥棒のデイ氏は優秀な読書人となった。

 


 

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