平気で何時間も雲を見ていられる三文享楽です。
雲をじーっと見ていて、「自分は今地球という大地にいるぞ」と思えば「あー、雲が風と共に流れていくよー」と思えますし、「自分は今自転している地球に乗っているぞ」と思えば「あー、地球は回っているな」と思えますが、その二つを感じると心が休まります。
空っていいですよね。可能性を感じます。
ドラえもんの映画で一番好きだったのは『ドラえもん のび太と雲の王国』でした。
ストーリー的にもいい話でしたが、あの広い無限に広がる上空に自分だけの雲の世界があると想像するだけで大きな気持ちになったものです。
『曇りの合間に』
日本一晴天が多いと言われる埼玉県出身のサナエにとって、新潟への転勤で精神的に一番きつかったのは冬場の天気である。
雪が大量に降るのは知っていた。雪かきを常にしなければならないのも知っていた。
毎日雪かきをするのは当然であって、自宅だけでなく職場も当然に雪かきしなければならないのを覚悟していた。
しかし、当たり前のことではあるが、雪が常に降るということは雪雲がいつもあるということであり、太陽がないのである。
このことまで考えておかなければならないのが、当たり前だった。
日中になっても空には厚い雲がかぶさっていて、雪の降らない時でもそいつはいなくならないのである。
北陸や東北、北海道の人達はずっとこんな中で、雪を見て雪と共に生活をしてきたのか。
太陽のない空はサナエを陰鬱な気にさせ、今後もしばらくは見えないという先行きの見えない不安が、今後もしばらく忙しいという先行きの見えない仕事とかぶり一層辛いものにさせた。
会社が借り上げたマンションに住んでいて、雪かき関係は全部管理人がやっているものの、出入り口くらいは協力して住民が交代でやってあげるくらいの雰囲気のある場所であった。
毎日降り続ける雪の中、週に一度か二度くらいは雪かきをした。
雪かき初心者でとにかく力もないサナエは腰を入れて雪をかきだし、気合と根性だけで雪を排除し続けた。これだけで雪かきが終わりというのならば問題はないが、雪は会社にも取引先にも降るのである。
若手ならばまずは雪かき。動くなら雪かき。どこかへ出るなら雪かき。
とにかく何につけても雪かきなのである。
自然に降ってくるものだから、文句を言ったって仕方がない。棲むためにはやらなければならない。生きるためのことを考えれば、ああだこうだ考えずに、無心で雪かきをした方が、体力的にも精神的にも利口である。
ワンシーズンにおけるたったの一月で、そこまで達観したサナエはほぼ毎日無心で雪かきを続けていた。
こんな生きづらいところならば、住まなければいいではないか。
そういった類の恨みつらみを幾度感じたか分からない。雪かき途中に襲ってくる眩暈のするような寒さや手の芯を壊死させるような冷たさを味わっていれば、そう思ってしまうのも無理はなかった。
ムリして住むことはないんだ。東京だって人口密度が高いとはいえ、もう住めないわけではない。みんなして東京に棲めばいいじゃないか。いや、東京が厭でも静岡、三重、和歌山、四国でも九州でも豪雪地帯ではない地域はまだいくらでもあるではないか。あなた方が住んでいなければ、こうして自分が転勤して困ることもないのに。
サナエはエゴの極み的な発想をもちながらも、必死にそれを打ち消そうとした。
そんな軽いものではないはずだ。先祖が守って来たこの豪雪の地帯をそう簡単に手放せるのとはわけが違うのだ。東京の根無し草として育ち、自由気ままに新潟まで転勤してきた自分とはお呼びもないのだ。
地元にしっかりとしがみつきしきたりを守り続ける彼らの精神を考えると、感慨深さすらあった。
ここの住人は、一生ここで、新潟の地を守りながら、生きていくのである。
ああ、なにが楽しくて生きているんだろうか。
ここへ来てサナエはよくそう思った。
太宰治が東北の津軽で育ち、あのようなすぐれた文学を書けたのは雪に囲まれた生活があったからではないか。東北出身の作家に素晴らしい世界観が備わっているのは、雪の影響なのではないか。
サナエはもくもくと妄想を膨らませながら、文学的な感傷に浸った。
あの雲の向こうには何があるだろうか。もしかしたら巨大な人間がこちらをじっと見つめているかもしれない。大量の蟲が待ち構えているかもしれない。
ああ、あの雲の向こうは何なのだろう。
と、その時、雲は明けた。
雲の向こうに景色が広がっていたのである。
「こんなことがあっていいの?」
サナエが声を上げたのも無理はない。
なんと、そこには、
更に分厚い雪雲がぎっしりと詰まっていたのである。
さすが新潟!
↓曇って、甘い綿菓子みたーい。それなら一緒にお茶ですよね。
↓雲を見る時、それは泥酔状態の時。二日酔いを醒ます方法は他にもあるかもしれませんよ。
↓やっぱりこれしかないですよ。