NHKでアニメ『3月のライオン』が始まり、将棋が広く認知されてきていることに喜びを感じている三文享楽です。
しかし、私の棋力は上がらず、眉間に皺を寄せて、頬杖をついてうなるばかり。
うーーん。
こういう時は、将棋が上手い方々の日常でも調べて気分を晴らしましょう。
ということで将棋を指す方も差さない方も、メディアで取り上げられるような
一般常識レベルであろう棋士をご紹介いたします。
現代の常識棋士10選
羽生善治
将棋を指さなくても一般常識として知らなければならない棋士でしょうね。
私が将棋部であることを一般人に伝えると、まず「羽生さんって、やっぱり最強なんですか?」と聞かれます。
一般人レベルに常識として浸透しているのは、やはり羽生さんが断トツのような気がします。他の棋士を知っていて、
羽生さんを知らないということはありえない
ようなレベルでしょう。
実績、知名度、実力のどれをとっても現代の将棋界で随一にあることに間違いありません。
1996年2月14日、将棋界で初の7タイトル独占を達成。
全7タイトルのうち竜王を除く6つでの永世称号(永世名人(十九世名人)・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世棋聖・永世王将)の資格を保持(いわゆる「永世六冠」)。さらに名誉NHK杯選手権者の称号を保持しており、7つの永世称号の保持は史上初。
通算優勝回数151回、公式戦優勝回数141回、タイトル獲得97期、タイトル戦登場129回、同一タイトル戦25回連続登場(王座)、同一タイトル獲得通算24期(王座)は歴代単独1位、一般棋戦優勝回数44回は大山康晴と並んで歴代1位タイの記録である。また、非タイトル戦優勝回数54回、非公式戦優勝回数10回、最優秀棋士賞21回、獲得賞金・対局料ランキング首位21回も歴代1位である。(中略)
羽生とほぼ同じ年齢にトップクラスの実力者が集中しており、彼らは「羽生世代」と呼ばれる。
Wikipedia「羽生善治」より引用
ちなみに羽生世代と呼ばれる方々は
村山聖、佐藤康光、先崎学、丸山忠久、藤井猛、森内俊之、郷田真隆
といった強豪たる面々です。
渡辺明
ええ、将棋を指さない方々で、羽生さんの次に名前が知られているのは、この棋士だと思います。
実績的に見ても数々の偉業を成し遂げ、社会的には常識レベルと言えると思います。
メディアでよくネタにされるのが、この風貌でこの年齢というところ。いやいや、これほどの将棋を指す方なら、これほどの見た目になっても至極当然です。
ちなみに、どんな実績かといえば、20歳で竜王となり、竜王といえば渡辺明というイメージを広めたほどです。
圧倒的な竜王戦での強さから、初代の
「永世竜王」となった
ほどです。
また、羽生善治に対して、50局以上対局して勝ち越している唯一の棋士と言われています。
2016年11月04日時点まで67局対局し、通算成績が渡辺の34勝33敗。
Wikipedia「渡辺明(棋士)」より引用
すっげー。
森内俊之
羽生善治と同学年であり、やはり、知らなければならない重要な棋士です。
2006年(2005年度)、羽生から棋王を奪取して二冠(名人・棋王)となる(棋王は翌年佐藤康光に奪われる)。
2006年の名人戦(第64期)では、十七世名人の資格を持つ谷川浩司の挑戦を4勝2敗で退ける。この七番勝負で森内自身が最も印象的に残った局面は、第1局の86手目と90手目に、自陣の8二、7二に2枚の銀を打ち並べるという珍しい受け方で、我慢したところであったという。
2007年6月29日、第65期名人戦で郷田真隆の挑戦を受け、4勝3敗で防衛。通算5期獲得となり永世名人(十八世名人)の資格を得た。
Wikipedia「森内俊之」より引用
永世名人の称号を得て、
やはり九段のその実力は計り知れないものがあります。
またチェスやバックギャモンなど多方面でその実力を発揮し、クイズに関しては、テレビ番組で丸山和也ややくみつるを破って優勝するほどです。
谷川浩司
「中学生棋士」として脚光を浴び、史上最年少で名人戦タイトルをとった実力は最強の棋士であることの証明でしょう。
大山康晴、中原誠、米長邦雄に次いで、
史上4人目の四冠王となるほどの実績。
1983年に史上最年少名人になった頃、「中原時代」を築いた中原誠十六世名人の後継者と目され、1991年度には四冠王となった。しかし続いてやってきたのは「谷川時代」ではなく、‘羽生世代’の棋士達との対決の時代であった。特に、羽生善治との150局を超える戦い(現役棋士同士では最多)は、ゴールデンカードと呼ばれることとなる。
Wikipedia「谷川浩司」より引用
佐藤康光
いわゆる羽生世代の一人であって、天才羽生善治と同時期に大活躍している一線の棋士として、知らなければならないでしょう。
1987年のプロ入りから約3年後の1990年、五段のとき第31期王位戦で、谷川浩司王位への挑戦権を得、タイトル戦に初登場。フルセットの3-4で退けられる。
1993年、六段のとき第6期竜王戦で挑戦者となる(これにより規定で七段へ昇段)。当時の竜王は五冠王の羽生善治であったが七番勝負を4-2で制して羽生から竜王位を奪取し、初のタイトル獲得を果たす。しかし、翌年(1994年)の第7期竜王戦では、逆に羽生の挑戦を受け2-4で失冠し、羽生に史上初の六冠王を許してしまう。以後1年間、「前竜王」の称号を名乗った[8]。その翌年(1995年)の第8期竜王戦は、また逆に佐藤が羽生に挑戦し3年連続の同一カードとなったが、奪取はならなかった。羽生は、この竜王戦の直後の王将戦も制し、史上初の七冠独占を達成することとなる。
Wikipedia「佐藤康光」より引用
藤井猛
ええ、そうです。
藤井システムという画期的な戦法を作り出した棋士です。
ある程度、将棋の戦法を聞くようになってきた方で、この名を聞かないことはないでしょう。
四間飛車の天敵である居飛車穴熊。
これを撃破する四間飛車側での画期的な戦法として、その功績にはあまりに大きなものがあります。
その後、ミレニアム囲いといった藤井システム対抗用の戦型もでてきました。しかし、現在も進化を続ける藤井システムを編み出した本家です。
序盤が独創的といわれることがありますが、これは決まりきった棋風を利用するにとどまらない研究の賜物なわけです。
橋本崇載
彼を知らなければ将棋界の面白い人を何も知らないことになります。
羽生善治との対戦前のインタビュー、チラ見やモノマネの数々、伝説の二歩など、将棋界に現れたオモシロ棋士として一般人ですら知らなければならない棋士です。
是非にYoutubeで調べてみてください。
佐藤伸哉
六段だとしても知っていて当然です。メディアでかつらネタを何度出しているでしょうか。
ええ、こちらもYoutubeでもなんでも、調べてください。
先述しました橋本崇載とのやりとりも秀逸すぎますね。
以前、ご紹介しました1分切れ負け将棋でも、山崎隆之八段との勝負の際に、気合を入れてジャケットを脱ぎ、そして、かつらまで脱いで乃木坂46の伊藤かりんに渡すシーンも面白すぎます。
加藤一二三
今でこそ知っていなければならないのは、
ネクタイの長さ。
もちろん、それだけで有名になれるはずもなく圧倒的な実力を持っているからこそ、
名が残っているわけですが、確実に知らなければならない棋士です。
米長邦雄
終戦以前に生まれ、紫綬褒章や旭日小綬章を受章し、
永世棋聖の称号まで保持している圧倒的な力の持ち主。
戦績だけでなく、メディアでもその個性を発揮し、コンピュータ将棋と対戦したり、スキャンダルを起こしたり、その名を世に知らしめた方です。
また、将棋だけでなく囲碁も強く、囲碁八段の実力なのだから盤上の覇者なわけです。
三文ぼやき
ものすごくざっくりとした抽出で、紹介の仕方も失礼にあたるレベルでざっくりとしています。
メディアでの出演など一般的な認知度も考えて、ひとまずここから知るべき棋士としてご紹介させていただきました。
今回、紹介しませんでしたが、石田さんの流派です。
そもそもタイトル戦とはこんな感じです。
やはり、羽生さんですかね。