春って暖かくなってきて、気が変になる人って多いらしいですよね。
みんな楽しそうに浮かれて、置いてけぼりを食らったような感覚で陰鬱になる。そして、花粉が飛びまくる。
ああ。春ってなんて嫌な季節なんでしょう。私も当然に春が嫌いです。嫌だ、厭だ、イヤだ!毎日そう思いながら書いたのが、この小説『笑い島』です。別に鬱な小説ではありません。私なりの理想郷がこの島です。ああ、早く理想郷の住人になりたい。
これまでの『笑い島』→『笑い島』1
この小説は連載です。気が向いたころに来ていただければ幸いです。
『笑い島』2
1の続き
唐突に無意識のうち対話者と逆方向を向いて水を吐き出した。発声によって、体内に溜め込まれた水を排出しようと体の中枢が動き出したようである。溺れてその飲み込んだ海水を吐きだすといってもかつて漫画で見たことがあるような綺麗な噴水ではなく吐瀉物さながらの潮臭い胃液などを初めとする分泌物だ。
「ここは日本かい?」
吐くだけ吐いて元の方へ首を戻せたのだが、案の定、対話者は格好を変えることなく座って僕を見ていたので僕も只今の行為による話の中断などなかったかの如くそのまま続けた。
「そうだよ」
「沖縄の近く」
「ううん。そうだね。沖縄県に近い名もない島」
胡散臭い気もしたがそういうことなのであろう。一先ず、僕の声が目の前にいる対象に届いていて受け答え得た僕が更に発信したことに対しても答えを受けたのは確かだ。
だがその解析の途次にも頭上の遠く離れたところで再び何かが動いている気配を感じていた。さっきやって来て、行ってしまったあの男とは違う何人もの人間が動く気配。
僕はしばらく機能の停止をしていた腕や腹筋を使って起き上がろうとしていた。異界の地で行き当たった大勢の人間や何かしらの接近してくる音が、未だ精神衰弱の僕に考える暇を与えるでもなく再び本能に働きかけ無意識に体を動かせた。
二、三回腕に信号を送ったにもかかわらず力が入らなくて、元の姿勢に戻ると、間近にいた青年か少年か青年かが動き出し、手を貸して起こしてくれた。
動作の途中で気配はざわめきへと変わり、僕が腰をいまだ海中に残した状態で上半身を捻ると、何人もの人間たちが既にこちらを見ていた。何十人、いや、何百人近くいるか。
「まあまあ、こりゃまた一大事が起きたものだ」
この島へ着て三番目に僕が確認したのは前へ出てきて僕の顔の真ん前に顔を登場させて発言したこの老爺である。近くにいくつもの顔があるのだが、目の前へ出てきた顔を覚えるのが自然であってその隣にあるのが先程ここにいた男の顔でということも分かった。
男ばかりというわけでもない。老いも若きも男も女も対象物として視界には映ってくるのだが平生ならば無意識のうち女の方へ行ってしまうであろう僕の視線も異界での権力者を本能的に模索してしまうのか、やはり神経は前にいる男たちにいってしまう。
「とりあえず、君のところでいいな」
「ええ。見つけてきたのは、うちの息子のようなので」
前に出てきた爺は同じく隣で中腰になってこちらを覗いていた中年へ言った。息子ということはこの男が、最初に僕のことを枝でつついていたと思われる少年だか青年だかの親ということになる。髪の量による雰囲気の違いもあるのかどうも似ているようにも思えなかったがそういうことなのだろう。
そうか。
意外にもここへ来てようやく思い浮かんだ存在に自分で気づいた。この二人のように僕にだって両親がいるのではないか。一介の自宅通いである大学生に過ぎない僕が毎日一緒に過ごしているのだから、第一に連絡をとらなくてはいけないと心配してもいいはずであったが、それよりも状況確認と判断を先決した冷静な自分がいた。
考えているうちに僕を中心として半径、一、二メートル離れて、百人ほどの半円ができあがっていた。
「よし、折角海にみんなで来たんだしチーム別水泳リレーとでもいくか」
「いいですなあ。実は私も」
「ちょいちょーい。今はこの人を集落に連れていくんでしょ」
「あ、ああ。そうだったな、失敬」
枝でつついていた青年だか少年だかが僕の際へ寄ってくる。
立てるか聞かれて頷くと、二番目に僕の目の前に登場してそのままこの軍勢を呼びにいった男もどこからともなく際までやってきて上部へ力を加えられていた。まずは体を海から出すことだったのだが、久々に感じられるこの大地の安定感に体が拒絶反応を起こして、水を吐き出した。しばらく水中にいて降り立つと自分の体重を感じることはよくある。
濡れた服に砂がべったりと貼りついた。
腕にまでついた砂を嫌悪するのさえままならずに、僕は陸上に酔って再び吐いた。ほぼ逆らい難い潮の闇に支配されているときに飲みこんだ海水である。喉が潮で焼けるように痛辛い。やはり丘酔いというのもするものなのだ。船酔いならば前庭器の強い興奮のために怒る自律神経系の反射現象であるというまるで役に立たなかった科学的知識が脳の奥まった部分から出てくる。
一動作につき腹に溜まった水を一吐きして体力を消耗したが、横にくっついた二人の力添えもあってまた立ち上がることはできた。何日経ったかは分からない。何十時間か何百時間かぶりに踏みしめる大地は僕の筋肉に陸上生物として生きる活力を与えてきた。
そんなことよりも。そんなことよりもだ。僕は立つことができた。力を借りてだが立ち上がったときに歓声が上がった。立ち上がって初めて片方の靴が脱げてどこかに流されてしまっていたのに気づく。と、同時に歓声に拍手が加わった。すると集団の中の一人が手を上げて頭を掻き、おめえじゃねえよと言われた。
どういうことなのだ。
ん?
そういえば水泳リレーと言っていたか? 僕自身の意識は朦朧としているのだが確かにさっきそんなことを言っていた気がする。こいつら、いや助けてくれているここの住人は冗談を言っているのか。そう、思い返してみれば確かにチーム別で水泳リレーと言っていた気がしてきた。そうなってくると、僕の右肩を抱えてくれている二番目に登場した男が僕の腕を自分の肩にかける前に自分の肩を僕にかけて、せえのと言ったところで逆逆と逆側に着いた青年だか少年だかに注意されたのも本当に間違ったのではなく故意的な物に思えてくる。となると、反対にいる青年だか少年だかが立ち上がる瞬間におっとっとと言って崩れたのも、嘘っぽく。間違いない。わざとだ。どういうことなのだ、僕を笑わせようとしているのか?
僕が支えられて歩き出すと、人でできた半円は自然と崩れて僕ら三人を中心に集落というところに向かい始めたようである。海と陸の水平線と僕らを中心に垂直にいた人間や爺に言われた中年が前を進み、脇で見ていた群集は僕らの隣や後を歩く。大丈夫なのか?
そもそも。
さっきも考えたことであるが、知らない人間が島へ一人流れ着いただけでこれほどの人数が集まるものなのか? 一人が警察や救急を叫べば済むのでは……そうか。でもまあここは島なのだ。だから、人々の結びつきが強く、人間が辿り着いたという島の一大事ということでみんなを呼んできて、いや、でも嘘を言うのはどういうことなのだ。
そうなってくるとこれから先、こいつらの台詞全てに疑ってかからねばならない。腕を支えている両隣にしてもそうだ。まともな顔をして何かを企んでいるのかもしれない。となれば次からは出てくる言葉の真意をつかみとるために深読みをしていく必要が出てくる。一応、本能的な防衛システムが働いているということだろうか。まあ、いい。次に変な言葉が出てきたらまずは少し考えてみよう。次に変な、
不意に右隣の男がこちらを向いた。
「俺の名前はえんぴつ魔人(えんぴつまじん)。よろしくな」
……いや、いきなりかい。
え、え、どういうこと? 名前としてそれ信じろいうこと?
「ううん? それ名前? ちょっと名前っぽくないなあ」
「まずいかなあ?」
そう。そうだ名前っぽくない、変だ。てか、そんな名前があるわけがない。い、いやいや。というより、今の返しは左にいた最初に僕の前に現れた青年だか少年だかの男のものだ。ツッコンではいるけどお前に関しちゃまだ名乗ってすらいないじゃん。ていうか、お前らは既知の間柄じゃないのか。この状況下において冗談でニックネームをいうのか。それでいて自称えんぴつ魔人に僕の名前を聞かれても……どうすればいい。僕も嘘の名を言うべきなのか。ええい
「ぼ、ぼぼ僕の名前は血液検査(けつえきけんさ)」
「……え?」
(続く)