三文 享楽 小説・エッセイ等

無料小説 長編2『笑い島』4【三文】

2016年4月9日

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通勤、あるいは通学途中に電車の窓に映る自分の顔を見た時に、こう思ったことはありませんか?

ああ、自分が本来いる場所はここではないんだ。

そう思ったことがある方、笑い島住人の素質があります。どうも、笑い島の住人、三文享楽です。

 

これまでの『笑い島』→『笑い島』1『笑い島』2『笑い島』3

この小説は連載です。気が向いたころに来ていただければ幸いです。


 

『笑い島』4

1の続き

机に出されたプラスチック……?……らしき容器にはどうみても水のような透き通った液体が入っていた。

そのまま女は僕の向かいの席に突くと、背後にいた尻丸も隣に座り、若い女も机を挟んで僕の正反対側へ着いた。あと小さく呟く声がした。席は埋まっていたため、ここがこいつの席だったのかと気付く。……ていうか

「ど、くやく?」

容器に入った液体を眺めていると、さっき向かいの女が言っていた台詞が本能的に反芻される。そして近くにいる三人は何も言わずにじっとこちらを見ている。いや、これにはツッコマないのかい。え、本当なの? 本当に毒薬を僕は飲まされるのか。嘘だあ。殺すにしてもこんな堂々と出すなんてことないだろ。毒薬といって出すやつがあるか。第一、ここまで助けておいて殺すわけないよな。殺すつもりなら最初から助ける必要ないし。い、いや助けておいてゆっくり殺すなんて異常者だって世の中にいるはずだ。平和に見える家庭において残酷性が心に宿るなんてことはよくある話だ。それがこの島単位で行われているってことなのかいな。こんな……

「おお、大丈夫?」

駄目だ。

意識が戻ってまだ、一、二時間程度しか経っていないだろうというのに一気に考え詰めたせいで目眩がした。ていうか、今、助けてくれたよな。よろけると、こう、手を差し伸べられて、向かいの二人も表情が変わっていた気がする。助けてくれたんだよな、今、危ないからって。本当にこいつらは殺す気か? ていうより、もし冗談だとしたら飲まなきゃなんかそれに応ずる冗談でも返して美味しくいただかなければ失礼じゃないか。別に助ける義務があるわけでもない僕を自分の家にまであげて助けてくれたんだぞ。なんだ、なんだなんだなんだ冗談か、ええい、いいや。死んで元々、助けてくれたのだ。たとえ、人体実験を受けたとしても、一時間、余計に生きられただけましじゃないか、ええい。もうやけくそだ。

考えるのを止めて、飲むのだ。

ああ。

あああ。おいしい。ん? いや、おいしくない気もするが、おいしい。体が本能的に求めていた水分だ。少ししょっぱいのは体内の塩分濃度を守るというやつか、いやあ、でも海水をがぼがぼに飲んだ今、生き返る。おいしい。だが、待て。忘れていた。僕はつい先程までこれが毒薬として疑っていたのではないか。だが、全然苦しむどころではないじゃないか。違うよな、いいんだよな。あとから、苦しむだなんてことはないよな、まさか

「はよ、苦しめや」

頭が揺れた。

「ああ、あ。あなた、それはまだまずいわよ」

な、何? 叩かれたの、今、僕。ね、そうだよね。し、しかも、まだって言ってたよ

「いや、いや。悪かった。毒薬なのに苦しまないものでさ」

尻丸という男が両手をあわせて謝っている。僕は今、苦しむ演技をする必要があったのか。いや、苦しむのではない。今の場合、苦しんでツッコム、のりツッコミを行う必要があったのか?

「おお、おいしい毒薬でした」

ええ、いい。やけくそだ、なんとでも言え。確かに、おいしかったのだ。

「は? あ、そうか、ハハハ。そうか、すまんな。そういや、自己紹介がまだだったな。私は尻丸という。尻といってもこの島の独特の方言なんかでもないし、勿論知っているの知るだとか、強いるが縮まった知るの変化形というものでもない。れっきとした、そう。けつッ、尻っ、尻丸だ」

いや、予想通りだわ。そんなはっきり言われてもどうすればいいのやねんな。髪はほぼ禿げあがっていて、サイドに少し残るばかりだ。目が細いわけでも鼻が大きいわけでもなく、肌や皺のみが年齢を推測できる基準といったふうで名前以外いたって普通の中年である。

軽く頷くと、向かいを見た。

「私は尻丸、いやお尻丸さんの」

「おはつけなくていいわ」

「いやよ、はしたないじゃない。お尻丸さんの息子の姉のピンハネ(ぴんはね)嬢(じょう)よ」

え、えええ。ピンハネ嬢? いや、お前も普通じゃないんかい。

「血液検査君だったわよね? えんぴつと同い年なら私の方が少し年上になっちゃうけどよろしく」

知ってんの? 僕がその場凌ぎで言った名前が知られちゃってんの、もう。

ピンハネ嬢、と自称しているその女は痩せているでもなく、むっちりしているでもない体に、日本人らしいまん丸の顔だ。

「そして。私がお気付きの通り、更にその姉で尻丸の娘の」

「いやいや」

「ムリあるでしょー」

水を持ってきた向かいの女が話し始めると、ピンハネ嬢も尻丸も反応した。無理があるのは確かだが、尻丸を軽く睨んだその目付きは柳眉を逆立てるといった表現も使えそうな形の整った顔をしている。娘に似て顔も丸いのだが。

「間違えちゃったのよ。尻丸の妻の伊東(いとう)春雨です」

「いや、名字あるんですか?」

「え、そこ食いつく? 今まで無ツッコミだったのにそこ食いつく?」

それまで実際に体の限界もあって会釈だけだったのだが思わず言葉が出てしまった。ここへきて今まで聞いた中で最も人間らしい全うな名前に思わず反射的に声が出ていた。確かに、食いつくところは他にもいくつもある。

「そうね、確かに不思議かもしれないわ。でも昔さ、私気付いたのよ。この家には名字がないって。だから親からもらった春雨という名前に私だけでも伊東をつけっちゃった」

「でも、ちょっと意味がないんだよなあ」

え、それも夫がツッコンじゃうの? 僕の台詞じゃないのか。

「いや、まあ、これで全員の名前が分かったことだし」

僕は違和感を覚えて反射的に隣を見た。尻丸、いや逆、そう。名前をまだ聞いてなかったような。

「ばぶう(ばぶう)、もしかしてまだ名乗っていないのか」

ん、んん?

「知らない人に会ったらまず名乗る。それが芸人としての基本だろ」

「そうよ。立派なコメディアンになろうとしなきゃ」

んんん? 芸人とかコメディアンという言葉を人間みたいに使っているけれども。てか、色々またおかしくなってきたぞ。

「ばぶうだよ。えんぴつより二歳下だから血液さんとも二つ違いかな。よろしく」

「ば、ぶう? が名前なの?」

 

(続く)

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