べんべべんべべべん、べんべん。
私、三文享楽が三味線の音色に衝撃を受けてから、どれほど経つでしょうか。
このエキゾチックな音色にもかかわらず、日本文化の歴史を彷彿とさせるような音の感覚。曲調。
いつ聴いても、自分の中にある何かが刺激される感覚に陥るのです。
Youtubeなんかで、テキトーに「津軽三味線」で調べれば、出てくると思います。
たとえば、この音色。ああ、弾いてみたいと思いますよね。
津軽三味線とは
かつて日本では、目の不自由な方にとって生きていくことは大変に辛く、何を職業として何で飯を食っていくかということが難しい問題でした。
平安時代には、琵琶法師という者が絵巻などの資料に見られるようになり、目の見えない方が楽器を演奏して、専門の職としていたようです。
音や語りのみをもって各地をまわる。そこには数々のドラマがあったことでしょう。
そうして、時は江戸時代、幕末。
青森県五所川原市の金木地区に仁太坊と呼ばれる方がいました。金木といえば、あの太宰治の出身地でもあります。
そんな金木地区で三味線を弾いていた盲目であった仁太坊がこれまでの三味線に物足りなさを感じ、弦を太くし、叩くように弾き始めたのが津軽三味線の発祥と言われています。
今までの三味線の音色にはない力強い音色が表現されました。
それを黒川桃太郎や白川軍八郎という方々が整備し、津軽三味線という形に構築していったと言われています。
この頃の新しい音の開拓があったからこそ、今の津軽三味線の文化があるようです。
↓まずは津軽三味線がどんなものか。CD付き資料から。
津軽三味線世界大会
毎年開催されていて、もう30年にもなります。
日本の大会から世界の大会に向けて動いています。
多くの奏者・愛好家により継承されてきた津軽三味線の音色を、発祥地である津軽に響かせる場として開催されてきた津軽三味線全国大会は、30年を越え、伝統を守りつつも進化し続けています。
歴史と伝統の中で守られ、また新たな試みが行われ続ける津軽三味線は、日本全国はもとより、全世界の奏者がその腕を競い合う場となりました。
奏者の登竜門として位置づけらる本大会は、津軽三味線世界大会と進化し、聴衆の皆様にとっても、津軽三味線の今に触れることができる場として愛されています。
津軽三味線世界大会 より引用
三味線の全国大会の概要(2016年は終了してますが、こんな感じです。)
参加料は5,000円。
練習して、腕を磨けば出場できるのです。
↓これくらいの三味線から変えます。
津軽三味線と三文
人間椅子というドープなアーティストの曲に聴き浸っていた時もありました。
吉田兄弟が出てきた時、テレビ内の番組で取り上げられれば、聴き入っていることがありました。
太鼓の達人において、和楽器の用いられるナムコ楽曲を何度もプレーし、思いを馳せている時もありました。
思えば、かねてから私は津軽三味線の音色にどっぷり漬かっていたのです。
必殺シリーズで山田五十鈴が撥で仕事をしている姿がどれほどカッコよく見えたことでしょうか。
私は現状として楽器演者ではなく、津軽三味線の音色に魅了させられている人間にすぎません。今は、心行くまで三味線の音色を楽しんでおります。
津軽三味線の音色はこちらから
音源何通りも。
様々な音楽あります。