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無料web小説 短編1『ハエトリ草』【三文】

2016年2月25日

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さて、三度目の登場でございます、三文享楽です。

 

自己紹介より始まり、前回は京極夏彦氏の三文チョイスベスト5をさせていただきましたが、今回より三文享楽の書いた小説をちょいちょい投稿してまいります。

 

行き場のない彼らのことを読んでいただければ幸いです。

全て無料ですので、気楽に読んでみてください。

 


『ハエトリ草』

「もうヤダ。なんで、こんなにハエだらけなのよ!」

目の前のハエを払いながら、明美は喚(わめ)く。

「仕方ないだろ。この時期はどこの家でも大量発生するんだ」

妻の気を静めるために、夫の義和も一緒になって手を動かす。

「それにさ、ハエが多少は出るようになったとはいえ、生ゴミは家庭で肥料にしなければならない条例が出たことによって、資源の有効活用も上手くいくようになったんだから」

「たしかに、リサイクルをするってことは良いことだわ。しかも、違反をしたら罰金なんていう強制手段をつけたことによって、確実に、資源は循環するようになってきた。でも、こうもマイナス面の大きい条例を出されたんじゃ、やっていけないわ」

「ううん。まあ、そうだなあ」

妻の言うことにも一理あり、義和は反論の言葉が出なかった。

画期的と思われた法令も、時が経てば弊害が出てくる。いつの時代でもそれは同じだ。

しかし、こうした悩みを持つ家庭は実際に多いらしい。ハエの大量発生がワイドショーで頻繁に取り上げられるようになった。

需要があれば、そこに供給が発生する。これもまたいつの時代も変わらない経済活動の原理だった。ハエの大量発生を打開する商品が開発され出回った。

「明美、いいのを買ってきたぞ」

義和は勤めの帰りに、一本百円のハエトリ草を五本も買ってきた。この値段であの忌々しいハエを駆除できるのならば安いと思い、ついついまとめ買いをしてしまった。

「あら、あなたも? 実は、私も買っちゃったのよ」

キッチンには、一目見ただけでは数えきれないくらいのハエトリ草があった。

「まあ、いいさ。多いに越したことはない」

「そうね。あ、そこ見て」

妻の指差した方を見ると、一本のハエトリ草が獲物の捕食を始める瞬間だった。

従来のハエトリ草では、葉(実際にハエを閉じ込める器官)の部分にハエをおびき寄せるメカニズムがなかったため、害虫駆除の役割は果たせなかった。

しかし、この度、売られ始めたハエトリ草は、害虫駆除目的として品種改良がなされていたため、しっかり誘因作用を働かすことができたのである。

ハエは何も知らずに近づいて来る。

ハエはこの匂いが、品種改良されたハエトリ草から発生する罠とも知らずに、奥へ奥へと侵入していく。

ハエトリ草は、頃合いを見計らい獲物を頬張った。

「あーあ、無惨なものだ」

「しっ。逃げちゃったらどうするの」

心配性な妻に義和は思わず微笑む。いくつになっても虫を怖がる様子はかわいいものだ。

だが同時に、一匹の動物が植物に捕食されたというのに、それを悦びその瞬間を待ちわびていた妻を恐ろしくも思った。

「もう、あの憎々しいハエとはおさらばよ」

先ほどのハエトリ草を見ると、葉はしっかり閉じられている。

もちろん、閉じ込められたハエの姿は全然見えない。

あのハエトリ草の中では、既に消化活動が始まっているのだろう……。

ゆっくり、ゆっくりと時間をかけて、消化されていく。魂が溶かされ尽くすまでその苦しみは続くのだ。際限のない無間地獄を考えると、義和は思わず身震いした。

翌日、義和が仕事から帰ると、ハエトリ草の数は更に増えていた。

それに相応するかのように、妻も上機嫌だ。

「もしかして、これ全部に?」

数を増したハエトリ草だったが、半分近くは頬を膨らませ、口を閉じていた。

このそれぞれに、無間地獄に落とされたハエが眠っている。

動けもせず、死にもせず。

一般的に、ハエトリ草はおよそ十日で捕らえた獲物の養分を吸い尽くすというが、捕らえられた被食者(もの)にとって、その十日間はどれだけ長く感じられることか。

「これで前みたいに安心した生活が送れるようになるわ」

妻は屈託のない笑みで言う。

終わることのないハエの苦しみを想像するといたたまれなかったが、妻の機嫌が良くなるのだから、これでいいことにしよう。背に腹は変えられぬ、というやつだ。

「見て。こんなハエトリ草も買っちゃった」

ある日、義和が帰宅すると、妻がプランターに入ったハエトリ草と一緒に庭にいた。

「お、おい。なんなんだ、これは?」

「ふふん。驚いた? 今や品種改良されてこんな大きいハエトリ草も売られるようになったのよ」

「い、いや。だからって」

義和が二の句を継げなくなったのも無理はない。

プランターから伸びるハエトリ草の背丈は五十センチほどもあったのだ。捕食器官となるその葉の部分は、妻の顔ほどの大きさにもなる。

「これね、スゴイのよ。今までだったら、虫しか捕らえられなかったのにね、この大きさなら動物も捕まえられるんだから」

「動物?」

「ええ、水道管に出没するネズミ、ゴミを漁りに来るカラス、それに毎日のようにうちの花壇を荒らして、我が物顔で散歩する、あの忌々しいノラ猫もこれで撃退できるのよ」

「え、いや、ノラ猫もって、お前正気か?」

義和が言葉に詰まりながら問うと、妻は首をかしげた。

「正気ってどういうこと? だって、これで我が家は平和になるのよ?」

「いや、だからって、仮にも動物だろ。お前は猫が植物に食い殺されてもいいっていうのか?」

「あなたっておかしなこと言うのね。それなら虫だって、一緒じゃない。どちらも何一つ変わりない命でしょ。今ね、私たちに被害を齎しているのは、虫や動物なの。だから、植物と手を組んで、追っ払ってもらおうっていうんじゃないの。それのどこがおかしいの?」

筋の通った妻の言い分に、やはり義和は言い返すことができない。

反論もできぬまま過ごしているうちに、大きめハエトリ草のプランターで、庭はいっぱいになってしまった。

カラスが集まってくる庭のゴミ置き場や水道の周り、猫によって荒らされていたパンジーやシクラメンの花壇などには、特に巨大なハエトリ草で警備されることになった。

また、家の中へ置かれるハエトリ草もどんどん増えていく。

家の中に置かれるのは勘弁して欲しかったが、進言したところで、また妻に言い負かされそうである。義和は何も言えなかった。

義和が出勤するとき、時折、ハエトリ草に閉じ込められた猫の断末魔が聞こえる。

固く閉ざされた葉の中で、自殺の方法も知らない猫がゆっくりと時間をかけて消化されているのだ。しかし、義和にはどうすることもできない。

自宅に勝手に入ってきた猫を助けて職場へ遅刻するのもバカらしかったし、何よりも、機嫌のいい妻がまた喚き出したら面倒だ。

朝から死の叫びを聞くなんて、気分の良いものではなかったが、仕方がなかった。

酔っ払って帰ってきた、またある別の日のことだ。

玄関には義和の胸ほどもあるハエトリ草が置いてあった。

しかし、酒に強くない義和には、それがハエトリ草であることを見極める理性が残っていない。

「なんくわ、さっぷぁりひたものを、のみふぁいなあ」

呂律の回らなくなった舌でそう呟くと、目の前に天然水のペットボトルがぼんやり浮かび上がってきたのである。

震える手で、それを掴もうとしたその瞬間、玄関から妻の明美が出てきた。

「ダメよ、あなた。それに触っちゃ」

伸ばした手を叩き落されて義和は我に返る。

目の前には妻が立っている。

「もうそろそろ、あなたの帰ってくる頃だと思って出てきてよかったわ。そのハエトリ草は今日買ったの。たまに、今のあなたみたいな酔っ払いが、ウチへ入ってくることあるじゃない? そういう人の侵入を防ぐために、また新しく品種改良されたのがこれなのよ」

「へ?」

「これはスゴイわよ。その人の欲しいと思った物を、葉の中に映し出すことができるんだから。本当に安心よ。もしコソ泥が入ってこようとしたら、この中にお金が見える、もし保険の外交員が来たら、この中にサインと印鑑が見えるってわけ」

義和は急速に酔いが醒めていく。

妻の言った衝撃的な内容に、少しずつ思考が追い付いてきた。

「って、ってことは、もうふぅこしで俺はこひつに殺されるかもしれくわっかったのか?」

「ええ、そうよ。だから、今度から気を付けてね、ってこと」

「気を付けてじゃなひぁい! ほぉんな危ないもので誰かが死んだらどうふぅるんだ。いふら自ふんのいへを守るためとはいえ、人を傷ふけるものをおくんじゃなひゃい」

「あら、そんなこと言ったら有刺鉄線はどうなの? あれは侵入者を傷つけるためのモノ以外の何物でもないわ。それに地雷は? 高圧電流は? すべて外部との行き来を防ぐためだけに作られたものじゃない。私たちは、私たちの手で自分の住処(すみか)を守らないとなの」

「ふーむ」

あっという間に、庭が巨大ハエトリ草で埋め尽くされた。

確かに、外部からの侵入者をシャットアウトすることはでき、平和は訪れたようだった。

妻は一日中ニコニコして、安心顔でソファに寝ている。

しかし、時々、聞こえる動物や人間の悲鳴には耳を塞ぎたくなった。

もはやカラスや猫の叫びだけでいちいち警察は呼べないため、人間の悲鳴が聞こえた日だけ一一〇番をするようにした。

警察の特殊班がやってきて捜索するのだが、こういう時は得てして三人近く死んでいる。

もちろん、義和や明美に殺人罪はかからない。悪いのは勝手にやって来た侵入者だから。

義和は通勤途中に他人の家を目にするのが厭になってきた。

「どこもかしこも、ハエトリ草だらけだ。これじゃあ、おちおち酔っ払って帰ることもできない。道の端を歩くことすら危ないじゃないか。どうしよう」

しかし、義和がそれほど悩む必要はなかった。

悩む必要性がなくなった、と言っても良かった。

「なんじゃ、こりゃ」

日曜日の朝、義和は玄関へ行って愕然とした。

そこには一面中、ハエトリ草が蔓延っていたのである。

ハエトリ草は巨大化の進化過程に於いて、考える力を持つようになっていた。また、自由に移動することはできなかったが、自由に繁殖することができるようになっていたのだ。

ハエトリ草は狙い目を金曜日と定めていた。

義和も明美も土曜は家で過ごすことを知っていたハエトリ草は、週末に急激な繁殖を始めたのだ。義和も明美も気が付かないよう窓の周りから繁殖し、土曜の深夜、唯一の通り道となった玄関を塞いだのである。

「おい、明美、起きろ」

「なあに?」

「閉じ込められたんだよ、ハエトリ草に。入り口を封鎖された」

「なによ。平気、平気。ハエトリ草ちゃんがそんなことするはずないでしょ」

周りを囲ってしまえば、楽なもんだった。

ハエトリ草はゆっくりと時間をかけ、家の中に繁殖し始めた。


 

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