ハティフナット(和名ニョロニョロ)を追いかけて、ムーミンパパは旅に出ました。たしかそのまま一年以上、家には帰らなかったと思います。
わたくし、モーミンパパも旅に出ました。日帰りです。
スケールがちいさくて恐縮です。
ハティフナットを追いかけたわけでもありません。モーミンパパは山梨の八ヶ岳麓にある夢宇谷には何度か行ってヘンテコな器を買ったり、そばを食べたりしたことがありますが、ムーミン谷がどこにあるのかも知りません。
従って、追いかけようにもハティフナットに出会ってもいません。そんな名前の高円寺のカフェには行ったことがありますが、不思議ペイントの施された手館内は女子だらけで、おじさんの私には長居しづらいところでした。
では、おじさんはなんで旅に出たのか。
ノスタルジーを追いかけて、とでも申しましょうか。
これから書くことをよりよく理解していただくために、未読のかたには私の書いた「食堂のカツカレー」「とんかつ屋のカツカレー」の二篇を、先に読んでおくことをおすすめします。
もちろん、読まなくてもわかる話ですし、わかったところで人生が豊かになるわけでも得した気分になるわけでもありませんが。
では本編を始めさせてもらいます。
コップとスプーンとカレーライスをめぐる小旅行
「食堂のカツカレー」の記事を書いているとき、ふと思い出して、とくに深い意味もなく「昔はカレーを注文すると、水の入ったコップにスプーンが差さって出てきた」旨を記しました。
あと、本文でも少し書きましたが、昔は食堂でカレーを注文すると、水の入ったコップにスプーンを差して出してきたものです。理由は知りませんが、カレーを食べる前にひんやりと濡れたスプーンをひと舐めすると、さあ食べるぞという気分になったものでした。
引用:青春の味、食堂カツカレーおすすめ3選【七面鳥・ほかり食堂・まるけん食堂】
↑これのことです。
さすがにデパートの大食堂では紙ナプキンにくるんで出てきた気がしますが、子供だった私が親に連れられて入る街のそば屋や旅行先の食堂では、だいたいそうだった記憶があります。
冷たい水で汗を掻いたコップからスプーンを取り出して、まずひと舐めすると、ひやっとした感覚のあとに金属の味が舌に拡がっていったものでした。
書いたことで、なんとなく海馬のどこか奥のほうで埃をかぶっていたその記憶が、シノプスの電気トンネルを抜けて脳味噌の水面にぷかぷかと浮かび上がってきてしまい、「おーいおーい」と私に呼びかけ始めたのです。「せっかく思い出したんだから、ついでにもう一度あの体験してみようよ」と。久しぶりの割には、やや馴れ馴れしい感じで。
コップのスプーンを求めて ~in現代
しかし、あれから幾星霜、正確には半世紀近い月日が流れています。世は昭和から平成に、私は二十世紀少年から二十一世紀おじさんになっています。カレーは食べつづけていますが、コップのスプーンを最後に目撃したのがいつだったかさえまったく覚えていません。
少なくともここ十年は見かけていないだけでなく、カレーを食べようとスプーンを手にしたときに、ちらっとでも思い出しもしませんでした。
これはかなりの田舎にでも行かないと、見つけることはできないかもしれないぞと思いました。
どれどれ。
私は検索エンジンを使用してみました。平易に書けば、ググってみました。
いつのまにか、そういう時代になっていますから。
便利だけど、ちょっと味気ないです。昔なら、勘だけを頼りに夜汽車に飛び乗って、うらぶれてはいるが以前はそれなりに栄えていたと思える地方都市の小駅に降り立ち、色あせた暖簾を掲げる何軒かのなかから、これはと鼻を利かせて一軒に飛び込むところです。
嘘です。が、おもしろくなったのでもう少し。
そこで黄ばんだ白衣を着た元看板娘の腰の曲がった婆さんに「カレーライス」と注文する。ちらりと厨房の奥に目をやったあと、婆さんはぼそりと呟く。「お父さんが元気だったときはやってたんだけど、いまはカレーはないのよ」。仕方なしにラーメンを頼み、「どこかカレーのある店はないかな」とたずねると、婆さんは駅と反対の方角を指さした。バイパス沿いにできたという店を教えてくれた。
小腹を満たした私は、腹ごなしをかねてその店へと歩き出した。三十分後、私が見つけたのは東京でよく見かけるチェーン店だった。
はい、作り話は終わりです。
ググると、画像がいくつか出てきました。しかし、私はあまり期待しませんでした。
予想の通り、どこも地方の店でした。一番近い店で、静岡県のどこかの町の店でした。車で片道二時間半を見ておけばいいでしょうか。日帰りも可能です。
バカバカしいことをわざわざ実演して稼ぐ名うてのユーチューバーなら、行くかもしれません。私はブロガーである息子に寄生しているだけの者ですから、行きません。
偶然か必然かの”とんかつ屋カツカレー”と”コップにスプーン”の出会い
かわりにというか、ついでに「とんかつ屋のカツカレー」を探すことにしました。
なんとなく毎回ほぼ三軒ずつ店を紹介するかたちでブログを書いていますが、その時点では私は二軒しか訪問していませんでした。他にもおいしいカツカレーを食べさせるとんかつ屋なら知っていたのですが、すでに紹介しようと決めていた店と似た傾向の店なのでためらいがあったのです。
脳のシナプスは不思議です。「とんかつ屋」「カツカレー」「東京」の検索ワードを打ち込んだとき、ふと一軒の店を思い出したのです。
二年ほど前に一度訪れて、おいしかった八王子の「鈴本」というとんかつ屋です。
おいしいけれど、それなりに距離がある上、用事のある土地でもなかったので、その後訪れることもないうちに、コップのスプーンほどではないにしろ、海馬の下のほうへ沈ませてしまっていました。
それを、ふと思い出したのです。前に食べたのはロースカツだったと思います。少なくともカツカレーではありませんし、その店にカツカレーがあるかどうかも知りません。
私は検索してみました。すると、カツカレーがありました。しかも、そこそこ評判がよろしい。
さらに詳しく見ていくと、なんとなんと。
この店でカツカレーを注文すると、コップにスプーンを差して出してくるという書き込みがあったのです。
小躍りしたくなった私は、心のなかで東京音頭を踊りました。掘って、掘って、また掘って。担いで、担いで、後下がり。押して、押して、開いて、ちょちょんがちょん。です。
ただし、もろ手を挙げての大喜びは危険です。それでは阿波踊りになってしまいます。つまりっ、阿呆になりかねません。書き込みは数年前のものだったからです。
行く価値はある。カツカレーはあるだろう。コップのスプーンはあるかもしれない。少なくとも、とんかつがおいしいのは知っている。
さっそく向かう
私は中央特快に乗り込みました。たくさん駅をすっ飛ばしてくれる電車です。青梅特快だと立川から先は青梅線に入ってしまいますが、中央特快は高尾まで行ってくれます。もちろん、八王子駅には停車します。
中央特快は脱線することなく八王子に着きましたが、私はここで少し話を脱線させてもらいます。
中央線を題材にした曲はいろいろありますが、なかでも隠れた名曲にオータムストーンの「中央特快」というのがあるのです。たぶんほとんどのひとがご存じないと思いますが、オータムストーンは布袋寅安のプロデュースでデビューしたギターバンドで、10年ほど前に鳴かず飛ばずのまま解散してしまいました。歌詞に少しだけブンガクを取り入れていて「懶惰な日々」なんてフレーズが入っていたりします。
これをちいさくちいさく口ずさみつつ、私は八王子駅に降り立ちました。
ちょうど古本市をやっていて、オトエフミなんてブログをやっている息子の父親であるモーミンパパはつい覗きたくなったのですが、まずはスプーンです。いえ、カツカレーです。
お腹も空いていましたので、横目でちらちらしつつ絵本が揃っている店と昭和前期の「懶惰」とか使ってそうな小説本もある店をチェックして、目抜き通りからちょっとはずれた小道にある「鈴本」に到着しました。
なかなか渋い、地元で長年愛された風格が漂う店構えであります。
がらり、です。
八王子のとんかつ屋「鈴本」
昼時だったので、混雑していました。カウンターに空きを見つけると、ほどなく店員がやってきたのでカツカレーを注文しました。
注文が厨房に通りますが、オーダーが詰まっているのでしばらくかかりそうな様子です。
ならばと、普通ならスマホを眺めるか文庫本を取り出して読み始めるところですが、今回はそうはいきません。
私はそわそわしていました。期待と不安のあいだでカツンカツンと最初は温泉卓球レベルでラリーが始まり、それはすぐに中国プロリーグ並みの激しいものになっていきました。静岡よりはずっと近いとはいえ、八王子まで来たのです。一応カツカレーが目当てとはいえ、真の目的は別にあります。
やがて店員が近づいてきて、カウンターの上にお冷やの入ったコップが置かれました。それはなんの変哲もないがゆえに大きな欠落を孕んだコップでした。そして、その欠落を補うように、紙ナプキンにくるまれたスプーンも置かれました。
流れる歳月
食事の前に、私は真っ白に燃え尽きました。
数年の歳月が、この店にも確実に流れていたのです。
コップとスプーンの蜜月時代は終わりを告げていたのです。
仕方がないので、私は贋作をつくりました。
下の写真は、あくまでもイメージ写真です。
インチキです。バッタものです。
よくいえば、私の心象風景の具現化です。
よい子のみんなは真似しないでください。
危険はないし、お店のひとにも怒られませんが、やってはいけないことなのです。
食堂の神様、罪深き私をお許しください。
心象風景の具現化
カツカレーについてはすでに書きました。美味しゅうございました。
満ち足りた腹と満たされない心を抱えて、私は店をあとにしました。
古本市を覗く私は心ここにあらずで、結局一冊も買うことはありませんでした。
さあ、帰ろう。帰りは中央特快でなく、各駅停車がいいかもしれない。
しかし私は、すぐにはどちらにも乗り込みませんでした。
見果てぬ夢
まだ見ぬコップのスプーンが呼んでいたのです。ぼくたちを発見してくれと手招きしていたのです。
カフェに入るとさらに腹がふくれてしまうので、私は道端でスマホ検索を始めました。そういう時代です。とはいえ、一度、検索をかけて八王子にやって来ています。同じワードを使っても、結果は同じです。
しばし考え、私はひとつのことに気づきました。
カツカレーでなくても、いいのではないか。さらに思いました。とんかつ屋でなくてもいい。では、なんだ。そば屋、と昭和の天使が囁きました。
「そば屋」「カレー」「東京」
すると、とてつもなく懐かしく黄ばんだカレーの画像が出てきました。日焼けして黄ばんだのではありません。カレーそのものがあざやかに黄色かったのです。私が子供の頃に食べていたカレーそのものの色です。
食べたい、と思いました。さっきおいしいカツカレーを食べたばかりなのに、です。
カレーは入谷の「東嶋屋」のものでした。
頭がくらっとしました。私は多摩の中心地、八王子にいるのです。入谷は山手線の東の外側です。東京は東西に細長いかたちをしています。
迷いかけたそのとき、あの画像が目に飛び込んできました。
コップの水に差されたスプーンです。東嶋屋のものです。しかも、一年前のものです。
行くしかありません。ユーチューバーではなく、ただの食いしん坊ですが、行くしかありません。
私は上りの中央特快に乗り込みました。
途中,自宅最寄り駅を通過しました。
神田駅で山手線に乗り換えました。
鶯谷駅で降りました。
入谷と三ノ輪の中間ちょっと過ぎまで歩きました。
正直、途中何度か、自分はなにをやっているんだろうとの疑問が頭をもたげてきましたが、思考を無にしてやり過ごしました。
ただし、お腹は無にはなりませんでした。それなりに時間も経ったし、歩きもしたにも関わらず。
私はカツカレーの持つカロリーの恐ろしさを思い知りました。それでも、これからカレーを食べるのです。
入谷のそば屋「東嶋屋」
色あせた暖簾をくぐりつつがらりと開いた引き戸のなかは、予想以上に広い店舗スペースになっていました。手前が長いカウンターで、奥がテーブル席です。昼時を過ぎていたので、客はだれもいません。がらん、です。
カウンターに座りました。すぐに水が運ばれてきます。コップに入った水です。スプーンは差さっていません。まだ注文をしていないので当然なのですが、一度振られている私は心臓が軽く痛くなりました。
娘さん(年齢ではなく、店主の子供の意味です)に「カレーライス」を注文しました。伝言ゲームよろしく奥の店主に伝えられ、「はい」と返事がありました。
カウンターの上には、こちらの名物となっているカレーライスについての雑誌記事のコピーやらが置かれていました。スマホいじりにも飽きていたので、それを読みました。黄色いのが売りの懐かしいカレーのようです。
読んでおきながらなんですが、できたら雑誌のコピーなど用意せず、うちはそば屋たでからそばが売り物だけど、昔からカレーライスも出してたからやめるのもなんだと思って、メニューの隅っこに書いてますよ。それがなんだか評判になっちまって、わざわざ遠くから食べに来る物好きなお客さんまで出る始末で、儲かるからいいけど、なんだかねぇ。
なんて態度だと、より嬉しかったと思う贅沢かつへそ曲がりの私です。
でないと、コップにスプーンが入っていたとしても、受け狙いあるいはマスコミ関係者からの入れ知恵とも思えてしまいますから。
待つことしばし、カレーライスがお盆に載って、運ばれてきました。
お盆のなかには、新しいコップ。コップのなかには水。水のなかには、スプーン。
夢
ありました。若干入れ知恵の疑念は残りますが、きちんとスプーンが差さっています。私は軽く感動しました。東京の西から東までの大移動が報われました。
そして、黄色いカレーライス。たしかに黄色い。黄レンジャーのあざやかな黄色です。しかも小麦粉のとろみのなかから、でかいタマネギが顔を見せています。
水で濡れたスプーンをひと舐めすると、冷やっとした金属の味。
うん、そうだった。
カレーとライスをうまい配分で掬い取り、口のなかへ。
これは、京屋のカレーライスじゃないか。
私の脳にある淀んだ沼の底から、ぽこぽこと泡を立ててそんな記憶が浮かんできました。
京屋というのは、私の生まれ育った大塚の実家からすぐにあったそば屋で、出前はいつもそこから取っていました。私のお気に入りは鍋焼きうどんで、後は天丼とたぬきそばでした。カレーライスは、店で食べていた気がします。祭りのときに山車を引いてもらった、チケットで食べたのかもしれません。
ザ・昭和の日本のカレー。かつ、ザ・そば屋のカレー。
インド人はびっくりで、ある年代以上の日本人には懐かしさだけで味蕾が大満足してしまう味です。
青っパナを垂らしていた子供に戻って、私はスプーンを口に運びまくりました。
お腹なんか空いてないのに、思わずぱくついてしまいました。
ソースが一緒に出てきたので、かけてみました。ウスターでややすっぱく、昭和の大人の味になりました。
そういえば、京屋のカレーライスも、コップにスプーンが差してありました。
モーミンパパの旅の終わり…?
旅は終わりました。
ぱんぱんにふくれた腹を抱えて、私は店を出ました。
私の足は鶯谷駅を目指さず、逆の三ノ輪橋に向かっていました。
懐かしさが懐かしさを呼んだのでしょうか。私は都電に乗って、大塚駅まで行くことにしました。
↓いろいろ食べてます
↓息子と食べたもの