死んでからも感情はあるのでしょうか。
我々は死んでからも笑っていられるのでしょうか。
感情だけは生きているのでしょうか。
『笑い島』7
2の続き
「ああ、仕事に行っちゃったよ」
ばぶうは入り口の方を見る。
「当面の間は僕が血液検査の面倒を見ることになったから。何かあったら僕に言ってよ」
尻芸以外でねと最後に言った。いや、言わねえよ、尻芸なんて。第一、尻芸って何なのだ。語感から察するに尻丸が尻を使ってなにかくだらないことをするような気がしたが、想像を中止した。あまりいいものではない。というより今のばぶうの言葉を聞いて、まず尻芸に興味がいきその後で思い出したように自分の名前が血液検査であったことに思い当たり違和感がなかったことに驚いた。ここでは現段階において血液検査というのである、僕には名前もあるのに。そうだ。
「電話とか借りてもいい?」
「……電話かあ。この島には電話通ってないんだよね」
たしかに、
分からないでもない。見たところどこにもないし、いまだに地方の島には電話線が通っていないというのも本で読んだことがある。まさかとは思ったがここもそういった島の類らしい。でも、もしかしたら島に唯一の電話というのがあるかもしれないという可能性を信じて聞いたがやはり存在しない道具らしい。
とりあえず、連絡はとりたかった。万が一、親が心配して警察や今日宿泊する場所として書き残してきたメモ書きに連絡でもしていたらめんどくさい。まあ、生きているのだ。無理して帰るのを焦ることもない。でも、その事故のことが気にならないといえば嘘にもなる。他の先客は助かったか。僕も行方不明のうちの一人に数えられているか。
「テレビとかは? 事故についてちょっと知りたくてさ」
「ちょっと切らしてるんだよね」
「ん、じゃあ、ラジオ」
「生憎さっき出かけちゃっていないかなあ」
「最悪、ファックスとか、いや」
「お気付きの通り」
「もしかして、この島って――」
ジェスチャー的に僕は自然とぐるりを見回した。
「――電気のない島?」
「そう、その通り。テレビもなければ冷蔵庫もない。新聞も郵便も何もない島さ」
ばぶうか肩だけをあげて眉を逆八の字にした。
電話だけではない。ここは電気のない島なのだ。
「でもね、あるんだよ、この島には。意外かもしれないけど」
「かもしれないけど……?……」
「あるのよね、オセロと将棋がさ、この島には」
「いや、意外だけどおお」
今、言っちゃう? 確かに娯楽としてあれば楽しいけどさ。
改めて部屋中、というより家中を見渡す。積み重ねられた布団に机と椅子。それに僕が乗っかっているこの布団だ。周囲を見る限り電気が通っていないと言われても嘘だとは思えない。電気の張り巡らされたこの御時世、どうやって生活しているのかは疑問だったが、きっと何事もなく過ごせているのだろう。
そして、起きてからずっと感じている重要なことがあった。
「あのさ、トイレある?」
昨日はとるものなくものを欲しているだけの状態であったが昨日食べたものが少し消化されたようである。体内に溜め込まれた塩分や老廃物を早く流し去りたかった。
「ああ、あるよ。大? 小?」
「んん。たぶん小で済むとは思うんだけど」
「そう。じゃあ、ここにあるよ」
ばぶうは突然、放心状態……のようになった。
大口を開けて、僕の視線よりもずっと上を見る。
つられてその視線を追ったが何もない。蝙蝠がいてもおかしくないような家ではあるが。
もう一度向き直るがまだ同じ状態である。一度視線が下がって空中にて交わった気もしたがすぐに放心状態の角度に戻った。いや、これは放心しているのか? 更に視線を追ったが二階にトイレだけあるわけもない。
「いや、何飲ませる気やねん。トイレなら外出たとこにあるよ」
ん、んん、ん? 今のも狙ってたのか? 笑いを取りに来ていたのか、会って二日目、睡眠の記憶を抜かした僕の感覚からいえばまだ半日程度しか経っていないこの僕にそこまでボケちゃうのか? 朝のテンションというのも相まって全くボケているともピンとこなかったではないか。
自分でツッコンだ後になんとなくやるせない顔になったので、どうしようもなくなり僕は立ち上がるのに専念した。腹筋から立ち上がるのもまだできそうになかったので、四つん這いになってから一つずつ膝を立てて、立ち上がる。歩くことはできる。視界に入ってきた鮮やかな色合いは僕自身の下半身が放つ半ズボンである。何を穿いて寝ていたんだ、僕は。
「大丈夫?」
「あ、ありが……て、こっち向いてないじゃん」
「おあ、そっちか」
気付くとばぶうは机側、一歩ずつ踏みしめて歩く僕と逆側を向いていたので、思わず口からツッコミ的な台詞が出てしまった。僕としては反射的に非難を込めるような気持であってツッコミのつもりではなかったが、僕の台詞によってばぶうはこちらを向き直る。
考えてみれば昨日はばぶうやえんぴつ魔人に歩かされていたのだから大きな進歩ではある。
「あ、サンダル置いといたから」
ばぶうの脇を通りすぎて、玄関というより土間というような区間に近付いたとき言われた。それを聞いた時から少し嫌な予感はしていたが花柄のサンダルと紺のサンダルが見えた。僕が履いていた黒のスニーカー片方は残っていない。紺のサンダルの方は近付くと、少し破れていたし、何より機能の時点で見ていたような気もする。いや、花柄自体がどうこうではない。明らかにサイズが小さい。どう見ても女物だった。
「あーあ。僕、花柄嫌いなんだよなあ」
背後から聞こえたので、体を痛めないようゆっくり、しかし迷わず紺のサンダルをつっかけて外に出た。地を今日は一人で踏んでいたのである。家の外に出ると広場なのだが、まだ何にも分からない他の人々が何かを持って移動しているのが遠くに見えた。服は長袖で大きめの長ズボンである。話しかけに行きたいような気持もわいたのだが、やはり、怖い。それになによりも、
なによりも、まずはトイレである。外出て左。ゆっくりと旋回してさらに左のほうに目をやるとトイレは見つかった。だがトイレは見つからない。ん? ないよな。いかにもトイレがここにありそうな「トイレ」と書かれた看板を見つけることはできたのだが便器が見当たらない状況なのである。便器どころかむしろ何にもないのである。広場の輪から少し離れると周囲に草っ原が広がるようにここにもただトイレという看板の近くに草っ原が広がるだけだ。
ここでしていいのか。何も、うおっ……いやいや。きっとここでしろいうことなのだろう。少し奥に入ると、草の丈が高くなっているのだが、その中にいくつもの人の目があった。よく見ると、人の目を中心にこちらを覗く人間の顔がいくつも看板に描かれて立てかけられていたのだ。態々、壁を乗り越えてみていたり、横から隙間から覗いていたりとこちらを見ていることを感じさせるバリエーションが多い。常識で考えればこここそトイレに相応しくない設計の区間であってまだただの茂みの方がしやすいというものなのだがこんな状況を作り出しているということ、つまりこここそトイレということなのだ。
結局、そこでした。