どうも、掃除をすると部屋が汚くなる、三文享楽です。
さてさて、短編小説では、しばらく時空モノガタリシリーズが続いておりました。
ということで、今回は久々に時空モノガタリに投稿していない本邦初公開の作品です。
クソ三文文士が生意気な言い回ししてるんじゃねえよ、と思いになったそこのあなた!
生意気言って、すみません。。
おわびに読んでみてください。
『幸福税』
とある昼下がり、突如なだれ込んできた男たちによって、本を読んでいた住人は取り押さえられた。
反論の余地もなく、そのまま連行されていく。
読んでいた本は、侵入者たちの手によって栞(しおり)が挟まれ、ビニール袋に包まれた後に、ダンボールへ入れられた。
もちろん、本だけが押収の対象となったわけでなく、住人が座っていたセンベイ座布団、日頃使っていたと思われる綿のはみ出た布団、シワシワの衣服、柄の先にある束ねられた繊維の潰れた歯ブラシ、縁の割れた湯飲み、など日常品に至るまで、あらゆる物が袋詰めされ、そして押収された。
特に、男たちの侵入時、住人が食べていたと思われる唾液が付着したポテトチップス、DVD再生機に入っていたディスクなどは慎重に採取され、厳重に保管されることとなった。
住人は既に容疑者と呼び名が変わり、警察署の捜査二課で身柄が拘束されていた。
そのまま、刑事二人に挟まれた状態で、鉄格子の窓がある個室に連れて行かれる。
もはや、逃げようとしたところで不可能だった。
個室に入るや否や、パイプ椅子に座らせられ、前後左右を三人の男に囲まれた。
「名前は」
「…………」
「手間取らせるな。名前を言え」
「なあ、刑事さん。俺は何もしていない……」
「名前を言えといっているんだ! 口答えするな、質問に答えればいい」
容疑者の前に座った刑事は机を叩いて怒鳴った。
顔に唾がかかったのは不快だったが、また声を荒げられるのを恐れて容疑者は話しだした。
「……岡崎智也」
「年齢」
「二十六」
「職業は」
「フリーター」
「そうだよなあ。そうだ、それに間違いない」
質問をしていた刑事は、言葉を切ると指を組んだ両手に顎を載せて、容疑者の顔を無遠慮に観察した。
「そして、お前は平日の昼間っから、ポテトチップスを食いつつ、くだらない三文小説を読んでいた。おまけに、近所で借りた子供向けのアニメのDVDを観ながらな」
「その証拠もしっかりと押さえてある」
背後にいる刑事も加勢してきた。
「だから何だって言うんだよ」
「その歳で立派に脱税している、って言ってるんだよ!」
「してるわけねえだろ! どこをどう見て、んなこと言ってやがる。ちゃんと調べてくれ」
「ほおう」
岡崎智也に向かい合って座り質問をしていた刑事は、急に背筋を伸ばすと、皺の寄った眉間を指でほぐし、岡崎の背後にいる相方に目で合図を送った。
相方は、岡崎のすぐ隣にまで来て肩に腕を回すと、耳元に口を寄せた。
「まあ、いきり立つ必要はない。少し落ち着こうぜ」
中年オヤジの生暖かい息が耳にかかることほど厭なことはない。
それでも、岡崎は自分が不利になることを恐れ、反論もせず黙っていた。
「今年の春に施行が始まった法律は知っているよな?」
「まあ、あれだけニュースでやっていればな」
「よし、ちょっと言ってみろ」
肩から腕を解くと、再び背後に回り、岡崎を見下ろした。
「こ、幸福税」
「そうだ。そう、幸福税。幸福な者は心身にもたらされる受益の程度によって、それに相応する絶対的な額を純然たる意志を以って納めること」
刑事はそれだけ言うと、再び、鉄格子の隙間から外の景色に目をやった。
コンクリートで囲まれた狭い個室に沈黙が流れる。
たまりかねた容疑者は口を開く。
「なあ、分かるだろ? それは幸福な者が払う税金なんだ。それを俺が脱税していただと? いったい、俺のどこが幸福だと思ってそんなこと言ってるんだ? 教えてくれよ」
言い終えてもなお、目の前にいる刑事は岡崎容疑者を見ているだけだ。口の端にはずっと歪んだ笑みを残している。
質問役は完全に相方に託(たく)し、自分はあたかも部外者かのような顔だ。
「平等だとは思わないか? 現在の幸福感によってその分だけ、税金を払う」
再び背後から声が聞こえてきた。
質問役は、枯れ枝に止まった雀が幹にいる小虫をつつくのを見ながら問うた。
「この幸福税法という法令には、もちろん既存の法解釈による根拠だって存在する。社会的な契約国家間に基づけば、租税は便益の対価として賦課(ふか)されるべきだ。各々、経済主体はサービスを受ければ、それ相応の」
「ええい、やめろ、やめてくれ」
岡崎は頭皮を掻き毟(むし)り、ひじを机の上に押し付けた状態で叫んだ。
「そんな理屈は十分に分かっているよ。俺自身、この法令が出た時には、手元にあった求人情報誌を放り出して、喜んだよ。これで少しは楽になる、と。社会の勝ち組に少しでも追いつける、とな」
「自分は負け組み、とでも言う様な口ぶりじゃないか」
正面の刑事が言うと再び向きを戻し、手振りまで加えて語りだした。
「ああ、そうだ。これで勝ち組だなんて言えるわけがないだろ。笑わせないでくれ」
唇を強く噛んだが、すぐに言葉は続く。
「大学だって二浪してようやく入った。それも、二流、いや三流大学と言ってもいい半端な大学だ。妥協したと言わざるを得ない。そこまでして入った大学だって楽しいわけでもない。講義にまともに出る者だって小数しかいないし、サークルだって孤独な傷口の舐め合いみたいなものじゃないか。就活にしてもそうだ。氷河期に入ったこのご時勢、企業だって落とすことが当たり前。百社以上も落とされて、まともな神経でいろと言う方がどうかしている。就職活動中にようやくできた彼女だって、俺が一年経っても職にありつけないのを知ると、去っていったよ。まるで、救いようのない負け組を見る目でな」
岡崎は顔を両手で覆うと声を上げて泣き始めた。
それを見るや否や、刑事たちはあからさまに嫌悪感の表情を浮かべた。
背後で景色を眺めている方は両手で耳を塞ぐ。
「なあ、刑事さん。こんな俺がどうしてそんな税金を払わなくちゃいけないんだ? なあ、教えてくれよ」
先ほどから沈黙していた刑事は、唐突に袖(そで)をつかんできた容疑者の手を慌てて振りほどき、つかまれた部分を手で払いながら立ち上がった。
「とにかくだ。お前は幸福税を払うべきだ。お前は社会からあぶれた代償として、いや褒美として、与えられた幸福があるじゃないか」
「俺が与えられた幸福?」
岡崎は涙を拭い、顔を上げる。
「……自由だ。お前は社会に組み込まれず排除されたおかげで、自由という素晴らしい幸福を手に入れた」
「自由……だと? あんた、ふざけてんのか?」
岡崎は椅子を倒して飛びかかったが、背後から取り押さえられてたちまち組み伏せられた。
「チクショー、俺はその自由という名の束縛に苦しめられているんだ。俺は定職が欲しいのに、それにありつけもしないんだ。ふざけるのも大概にしやがれ」
「ふざけてなどいない。俺はお前が羨ましい」
頬を床に押し付けられたまま、岡崎は上にいる刑事を睨みつける。
「俺は刑事だ。公務員である以上、よっぽどの悪事に傾かない限り、辞めさせられることはない。だが、それが何だ? 職の安定が幸福とでもいうのか? 安定した生活が幸福とでもいうのか?」
「当たり前だ。勝者のエゴじゃないか」
「ああ、そうかもしれない。俺は社会的に見れば、立派な公務員だ。だが、俺はお前みたいな自由人が羨ましい。お前みたいな立場が羨ましい。俺の生活は何だ? 毎日毎日、社会のはぐれ者を追って罪を贖(あがな)わせる。家に帰れば、妻や子供に奉仕しなければならない。社会の教科書から言えば、俺は勝ち組かもしれないが、人間という墓場に理想もろとも組み込まれてしまった組織の部品に過ぎない」
岡崎を押さえつけていた腕は遠退いたが、再び暴れ出すことはなかった。
抵抗をやめた岡崎は、無気力に床へ寝そべっている。
岡崎は脱税を認めると、刑事に連れられ個室を出た。
自分は知らず知らずのうちに幸福を与えられていた。ならば、幸福税を払わなければならない。しかし、それは主観的な幸福ではない。
そんなこと、岡崎だって百も承知だ。
だが、たとえ客観的な幸福だとしても、それを社会は「幸福」と呼ぶ。社会に幸福と認められれば、否応なくそれは幸福なのだ。そう、世の中、主観で決められることなんて何もない。主観の平均値、それを人々は客観と呼び、万物の尺度として、人を裁くのだ。
個人は大衆に殺される、それは誰もが理解し、抗えない事実だ。
岡崎は諦観(ていかん)し、感情もなく歩き続ける。
しばらくすると、婦警二人に腕をつかまれた見覚えのある女がやってきた。
見覚えがあるどころではない。就職できない俺を捨てた、かつての恋人である。
「あら、あなたも捕まっていたの?」
女は岡崎を見ると、すぐに声をかけてきた。
「まあな」
女の浮かべた笑顔の理由は理解いたしかねたが、こんなところで出会った以上、訊きたいこともある。
「お前はどうしてここへ来た?」
「私? 今、流行(はや)りの脱税ってやつよ。幸福税のだ、つ、ぜ、い」
女は急に勝ち誇った顔になり、岡崎の全身を無遠慮に見回した。
できることなら早く立ち去りたかったが、女は話し足りないのか、言葉を続けてきた。
「実は、あなたと別れてから、すぐに資産家の御曹司をつかまえられたのよ。立派な会社を経営している社長さんの息子で、スッゴくお金持ちの超イケメン。でもね、そいつ浮気したの。というより、私を捨てて他の女と結婚しちゃったのよね。だから、私、その男をナイフで刺してやったの。そうしたら、血なんか出して倒れちゃったわ。気持ち良かったわ。その時の爽快感といったらない。私は本当に幸福よ」
もはや、目の色は常人のそれを大きく逸脱し、狂気の光で漲(みなぎ)っていた。
岡崎は、先ほどとは違う理由で早くこの場を立ち去りたかったが、捨てられた恨みを思い出し何か言ってやらないと気が済まなかった。
「そうだったのか。実は、俺も幸福税の脱税で捕まっちゃってなあ。お前と別れなければ、脱税をする心配すらなかったのにな」
女は既に常軌を逸したものと思われていたが、岡崎の言葉は理解できたらしく、金切り声をあげて飛び掛ってきた。
すると、それを見ていた婦警も止めるでもなく、「なによ、贅沢言ってるんじゃないわよ。金持ちのイケメンと付き合えただけいいじゃない。私なんか連日連夜の夜勤でお肌はボロボロ。男どころじゃないわよ」と叫びながら、踊りかかってきた。
これには岡崎を取調べていた刑事もビックリ。しかし、これまた止めるでもなく、チャンスとばかりに「俺にも自由を」と叫びながら乱入。
後から後から、自分なりの幸福を思い描く老若男女が参戦。
この騒動が収まるのは二週間後になったという。