三文 享楽 小説・エッセイ等

無料小説 長編1『歴史の海 鴻巣店編』9【三文】

2016年6月7日

なんで日本史だけで大学受験できねえのかなあ。百歩譲って、古典と現代文が少し出てもいいよ。でも、英語はなあ。

高校生時代、ほぼ毎日そう思っていた三文享楽です。

 

選択制の夏期補修授業じゃ、ほぼ日本史だけを選択していましたよ。成績とかじゃないんです。日本史の授業を受けているのが楽しかったのです。

さあ、歴史の海へ。


『歴史の海 鴻巣店編』9

10の続き

「何だ、今の音?」

長次郎が自分ぎりぎりまで鼓舞し出ようとしたその瞬間遠く、といっても割合近いような場所で何かがはじけ、液体が流れ出る音がしだした。

すぐ間近にいた鬼は声を上げるや否や、立ち去っていた。

「た、助かった」

長次郎は全身の力が抜けていくのを感じた。

服がにわかに湿っている気もした。

に、逃げるんだ。

脳裏にはこの言葉だけが浮かんだ。

助かったのだ、逃げるのだ。

長次郎が個室から出ると板の切れ端が散らばっていた。それはさっきまで自分の前後を守っていてくれた個室の壁の一部である。それらが散らばっているのは更なる恐怖を与えた。

何秒かそれを眺めていた長次郎はふと気付いたかのように一目散に階段めがけて走っていった。

 

長次郎が階段を駆け上がるとき確かに刀と刀がぶつかり合う音が響いていた。しかし、そちらを向く余裕も無かったのだ。

受付台に隠れた富山弥兵衛は間もなくして大川蔵六に見つかった。

上泉、宇佐美、鎌田もまさかこんなばればれの受付台に隠れることは無かろうと、トイレ、公衆電話ボックス階段付近の物置き場に狙いをつけて散っていった。

大川蔵六は鼻歌を歌いながら受付台にある椅子に座ろうとしたそのときそこに身を潜めていた富山弥兵衛に出くわした。建物案内図のちりばめられた紙切れの中に座っていた弥兵衛はなんとも表現しがたい威圧感と恐怖感を大川に与えた。

無論、互いのその目の前に存在する実態を知ったとき、大川は逃げ、弥兵衛は追った。弥兵衛は立ち上がりながら抜刀し、大川は逃げながら叫んだ。

「た、助けてくれー。いたぞ、賊がいたぁ」

出だしの段階では大川が三メートル先をリードし、富山との間にもそれだけ差があったのだが、五メートル大川が走った段階で距離は二メートルを切っていた。

「や、やばい……」

大川蔵六は遂に斬られるかと思ったとき背後で音がしたのが分かった。

金属音と金属が衝突して落下した音。

足音は止んでいる。

「どこの、どいつじゃあ」

弥兵衛がその場で仁王立ちしにらみつけながら旋回し、咆哮する。

「ここだ、勝負なら私が請け負う」

受付代を挟んで自動ドアの入り口から反対側、階段方面から質素な服装の長い口髭が近づいてきた。

「か、上泉。助かった」

大川が地べたに腰をつき、息を切らしながら言う。

「おはん、なかなかの腕とみた」

弥兵衛が抜刀した刀を右手で持って言う。

上泉は何メートルも離れたところからそれも大川の声が聞こえるや否や大川が駆け抜け、そしてすぐ一メートルと数十センチメ―トル後ろを走る弥兵衛の間に脇差を投げ込んだのだ。

弥兵衛は刀を上段に、示現流の構えをとる。

上泉信綱は走るわけではないのだが、その威圧感と凄みのせいで実に時間を止めるような一定の速さで迫ってくる恐怖を与えた。

弥兵衛は近付いて来る上泉の眼の動きや髭の揺れを眺めていた。

「チェストー」

「ふわぁっ」

「ふんっ」

倒れこんでいる大川に斬りかかった弥兵衛はその示現流の命とも言えるべき一刀を払いのけられた。

大川は本当に腰を抜かしたこのようにそのままの姿勢で歯をがたがた言わせている。

しかし、刀と刀をぶつけ合った当人同士も相手の脅威にを見抜いていた。

上泉が刀を投げた時、まだ手の届かない距離にいたのは確認している。

弥兵衛は改めて上泉の顔を見た。

上泉もそれを見返す。

僅かに右手に残る震えに気付いていた。だが、それを悟られてはならない。

そのまま上段の構えにもっていく。

「おはんも、上段の構えチごわすか」

弥兵衛も上泉の動きを見ながら滑らかに上段の構えをとる。

『皮を斬らせて肉を斬れ、肉を斬らせて骨を斬れ、骨を斬らせて髄を斬れ』

この新陰流の奥儀に従うならば上泉は弥兵衛の骨を斬った時点でそれは即、死を意味するだろう。

相打ちになれば死ぬ。しかし受け手に回り出遅れたが最後。それは新陰流でなくなり事実死に直結する。

上泉は脳の中で汗が垂れているのを感じた。

くる……

「チィエー」

時間は経過した。

上段の構えからの一刀が左右から振り下ろされ、それは相互が退くことなく前に向かって振り下ろされたものであった。

数秒後には二人が駆け抜け、背を向けあい、刀は中段まで下がっていた。

二つの刀が空気のみを斬ったのはありえなかった。

相互が確実に相手の一部に刀をはしらせている。

「キエー」

「ふんっ」

刀と刀がぶつかり合う音が何度も続く。

どちらかが絶命し、倒れこむこともなかった。

弥兵衛の左肩の服は上からばっさり裂け、血が滲み出している。

しかしそれには全く気付いていないのかあるいは装っているのか弥兵衛の仕掛ける打ち込みは止まらなかった。

上泉の服も左肩から腹部脇にかけてばっさり裂けたのだが血は出ていない。

大川はいつの間にかホールの隅まで遠ざかりやはり腰を床に預け、手を後ろにおいて眺めている。

遠方、といってもこの階のどこかの範囲で何かが裂ける音がした。

誰かの叫ぶ声もホールに共鳴する。

ただ刀と刀のぶつかる音が止むことは無かった。

「チェー」

不運にも十分ほど過ぎた頃、決定的に形勢を変えることが起きた。

前原一誠と近藤長次郎の捜索をあきらめた二名が戻ってきたのだ。

敵の加勢に気付いた弥兵衛は後ろステップを踏み、受付台まで移動した。半円状になびく受付の台の中心付近に陣取った。

囲まれては命が短くなるばかりであるし、半円にくっつき、左右を大にすれば再度攻撃が減るが背後からの刺殺が可能となる。

弥兵衛の後ろステップを追った上泉信綱が左に回り込んだ。その隣、真正面に宇佐美定満が構え、右側を鎌田光政が封鎖した。

「これで終わりだな」

正面から宇佐美が言う。

左右からも視線を感じる。

背後に受付台があるのは誠に幸いである。

弥兵衛は再び上段に構えた。

破けた服がひらりと開き、溢れる血液を感じる。

右から順に鎌田、宇佐美、上泉を睨み付けた。

「かかって来いやぁ」

大川蔵六はただぼっとその光景を眺めていた。

 

11

暗闇……

それは予想以上に人を惑わせ、混乱させる。

竜哉と山岡鉄舟は二階と三階の間の狭い隙間を長い間、這いずり回っていた。建築物の階と階の間に隙間などないと思っていた竜哉であったが、人が這えば通れる隙間があることを知り、また利口になったと思う一方で、他の受験生はこの時間にもどんどん参考書を読んでいるのかと思うと吐き気がした。

今は今のことに集中するんだ!

暗闇によって惑わされていると考えた竜哉は手帳を開けた。

しかし、最初それはあまりにも眩しくて文字を読むことが出来なかった。

「これを懐中電灯の変わりにすれば良かったのだ」

周りの視界がぐっと開けたことで今までの暗闇の恐怖を思い出し、嘆いた。

夜、部屋の電気を消した後、暗闇でぐっとその明るさを露にする携帯電話の画面を考えれば成程確かに明るい。

「これで出口が楽に見つけられますなぁ」

後ろにうつぶせ状態で待機している山岡が言う。

『 一日目/三日               〇七・二三・一一        』

手帳の時間を見ると開始から既に七時間経ったことを示していた。

ただ、緊張と戦闘の連続もあって体の疲れがきいてきた。

普段は受験生として社会からも丁重に扱われている身なのである。

「とりあえず、上の階に行かないとだな」

竜哉はぼやく。

手帳に目を戻す。

ただ、時折前を確認して、匍匐前進を続ける。

山岡鉄舟、近藤長次郎、前原一誠、富山弥兵衛……

出来れば仲間を一人も失わずに勝ちたいものだ。

今まで、やってきたTVゲームでここまで強い仲間意識を感じたことは無かった。それは一度、瀕死に陥っても何度でも回復が可能だった。回復ができないゲームであっても何回でもリセットすれば良いし、ましてやすべてのデータを消して新しくゲームを始めればそのキャラクターは何事もなさそうに再び登場する。

この『歴史の海』シリーズでもゲームをやり直すことが出来るといえば出来るのだが、三日間を共に敵と戦うのとTVゲームとではわけが違う。

それはたとえ二時間でも三時間でも十分であろうとも九死に一生をかける死闘をすれば言い様のない共生感が生まれる。

昔はこんな気持ちで戦い、生き抜いていたのだ……

竜哉はゲーム中に歴史のロマンを感じていた。

感慨に耽るにつれ匍匐前進のスピードが落ちてきたのだが、鉄舟は何も言わずにスピードを合わせ、ついてきた。

「絶対に、五人で勝ってやる」

意気込みで思わず手帳を閉じた竜哉はそれが暗闇の中で懐中電灯の役割を果たしていたことを思い出した。辺りが再び暗闇に戻っているのである。

竜哉は勝手に興奮していたことが恥ずかしくなった。

「す、すみません」

「大将、前を見て下さい」

謝った竜哉に背後から鉄舟が言う。

言われるがままに前を見た竜哉は最初手帳に慣れていたせいもあって漆黒の闇しか見えていなかったのだが、じっとみているうちにそれが何を言いたいのかが分かった。

「光だ」

それは上から微かに差してくる光であった。

どうやら、上に行くための扉があるらしいのだ。

「うっかり、手帳を閉めたのが幸いした」

「早速上へ出ましょう」

 

この五階建てビルの一階はホールとなっている。そして二階から五階までの部屋にはそれぞれ職務室、会議室、倉庫などがある。

単純に考えて四チームだからホールの一階以外に一フロアーに一チームずついることになる。

この階のこの部屋にも人がいたのであろうか。辺りには物が散らばり閑散としている。実はこの部屋には二人潜んでいるものがいた。

その二人は敵同士ということはなく見方同士なのだがひどく思い詰めた顔をしていた。視線も合わずにただ一点を見つめ、考えすぎて頭がショートしたような顔をしている。

二人は長い間、ボオーッとしていた。

すると突然、自分たちの据わっているすぐしたから声が響いているのを感じた。それは力の叫びの用でもあり、腰から伝わる音の振動が更なる恐怖を駆り立てた。

男は女の手を取りぎゅっと握り締めた。

女もそれを握り返す。

間もなくして下から何かが突き上げてくる音がした。それは一定のリズムで下から突き上げていたかと思うと今度は連続して地響きがする。

男は恐怖を感じて辺りを見回すと、床に座り込んでいる自分たちの右斜め前方の正方形が響く音と同時に一、二センチ浮かんでいることに気付いた。

女も男の目線を追い、その音の発信源を知ると立ち上がった。

次第に音は早く大きくなり少しそれに近付こうとした女の手を男が引く。

地底からやってくる一定の進藤と数回の衝撃がくると、空中十センチほどを厚さ八センチの正方形がぶっ飛んだ。と、同時にそのぽかりと開いた空間からその地響き以上に巨大な音、声がし始めた。

その悪魔のような地の雄叫びを聞いた男は軽い驚嘆の声と共に立ち上がった。勿論その手には女の手が握られている。

「た、大将。お待ち下さい。先に私が、あっ……」

竜哉はその久々に見た光に思わず顔をその穴から出した。

勿論、訳の分からない穴に顔を突っ込むというのは今も昔も勧められることではない。まして日本刀がどこにでも蔓延する昔に首をひょっこり出すというのはいつ首を刈り取られてもおかしくない。

竜哉はそれには全く構わず周りを見回した。最初、暗闇からの光の世界への移動で眼が慣れなかったのどが、数秒で網膜において像を認識できるようになっていた。

頭を出したときにした声や音のほうに目を向け、目をならしていたのだが、まだ完全に見えきれない白い光の中の世界に男が女の手を引き、向こうに駆けていく姿だけがぼんやりと映った。

それは記憶の中に微かに残る映像を見ているようであった。

視界がはっきりしてくる頃、竜哉は幼き頃を思い出していた。

「……いしょう。たいしょう。大将!」

「あ、どうしました?」

「首だけいつまでも出していては危険です。上を見て敵がいないのならば、上の階に早めに上がっておいた方が良いかと……。もし何ならば私が先に出ましょう」

四階のれっきとした床に上がると、着ているスーツの腹部が真っ白になっていることに気付いた。

普段、虫と鼠しか通らないくらい通路を這いずり回ったのだから仕方がないといえば仕方がない。

「無事、四階に出られましたね」

「大将、まずこの部屋を出ましょう」

竜哉は鉄舟の袴の裾が少し破けているのを見た。

「ここは小さい部屋で物もたいしてありません。先ほどのように数人に襲われた場合、相手を混乱させる障害物が何一つありません」

確かに部屋全体の広さは六畳ほどである。すぐ近くに先ほど自分たちの出てきた穴がぽかりと四角く開き、長机が一つ真ん中に、折り畳まれたパイプ椅子が三脚隅に立て掛けられている。おそらく本当に小会議か打ち合わせに使われる部屋であろう。

ドアは二人の残像が出て行ったままの幅で開いている。

確かに一人は女であった。

竜哉と鉄舟は急いで部屋を出た。

廊下の電灯が眩しいのはまだ目が慣れていないせいであろう。

四階の内装は三階と全く同じというわけではないが大体似ていた。

廊下を歩いていると竜哉等が最初に目を覚まし、つい先程までいた職務室(実際ここは四階であるが)のドアが見えてきた。右手にはエレベーターや階段といった上下の階への架け橋が用意されている。

「どうします? とりあえず左の部屋に入りますか?」

「お任せします。部屋に入る場合は私が先に……」

「でも、山岡さんが先に入っている間に後ろから誰かに斬りつけられることもありますよ」

「そ、それは……。ん?」

竜哉の左を歩いていた鉄舟がピクリとする。

鉄舟の左手は既に鯉口に回っている。

「どうしま……」

「し、静かに」

竜哉は全てを言い切らないうちに鉄舟に遮られた。

 

(続く)

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