三文 享楽 小説・エッセイ等

無料小説 長編2『笑い島』12【三文】

2016年7月29日

今日あったムカつくことを全てノートに記録する。

自分が有名になったときに語れるネタという資産になることだけを信じて。

本当にこれが使えるようになる日がくるかなんて分からない。パンクする前に未来を信じて、今日も自分に感情が存在したことだけを生きた証に記録する。世の中にいくらでもあるありきたりな怒りの感情。

そう思ったら笑いが生まれたよ。

 

三文享楽です。

 

はあ。

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この小説は全20回の連載予定です。

気が向いたころに来ていただければ幸いです。


『笑い島』12

4の続き

昨日の太郎―Nが今一番MCとして脂がのっていると言われているとは聞いたが、このスープ魔女といわれる女も普通に朝から百人の前に出て話を進行させるだけで僕にとっては信じられない偉業だった。少なくともパートタイムでしか働いたことのない僕の母親ではできないであろうし、社会に出ていくものとしてできなくてはいけないはずの僕にも現段階では絶対に何があっても無理なことだろう。

そして、今日の労働ということであるが、なんでも午前中は毎日、農業、漁業、畜産業のいずれか一つをして働くことになるという。この三つは肉体労働であるし、午前中の早いうちに済ましてしまおうということらしかった。また、男も女も、老いも若きも関係ないという。必ずいずれかの職業を毎日、日替わりで行う決まりとなっているらしい。

偶然にも。まあ偶然というわけでもないのだが、ばぶうと同じ農業が割り当てられた。名簿があって正確に毎日の仕事を管理されているわけでもないので、適当に昨日と違う仕事をしようというだけである。広場でMCの指示に従って農業、漁業、畜産業に分かれて概観で人数調整をするのだ。

ばぶうは迷わず僕を誘導してくれた。生き物を扱う畜産より波に乗り魚を捕縛する漁業より、やはり大地の恵みとして農業をやってやろうということであった。

MCの指示の元、農業組に分かれると、ぞろぞろと島の畑作地帯へと移動していく。昨日海へ行くまで左に見えたのは田んぼで間違いないようだ。何でもこの島には田んぼ地帯が三箇所あるとのこと。一つに纏まっておらずそれぞれ島の極地極地にあるらしい。

更にそこから離れたところに一つ大きな畑があるということであった。昨日は舞台やら家やら貝塚など真新しい発見物で気付かなかったが、畑は左に曲がると海に続いた道をまっすぐ進んだところにあった。左を見れば昨日も見た牛を飼っているあの柵で囲われたあの牧草地が目に入ったが確かにこちらに来ればまっすぐ向こうまで続く畑地帯であった。牛と同じように右を見ればずっと向こうに羊が放し飼いになっている。

小さい畑のまばらにある町で育った僕にとってはこの大人数で仕事をするところなど想像もできなかったが、この広さならばなるほど納得のできるものである。

羊がいるほうへ歩いていった。

途中、小屋があって、そこで長袖に長ズボンの作業着があった。四十着ほどあるらしく男女に分かれて着替えた。基本的に誰の服などとは決まっていないらしい。

野菜を収穫して荒れている土地があり、今日はそこを耕すとのことである。畑の入り口にあった倉庫で一人一つの鍬をとった。ばぶうはそれが鋤でそっちが特に踏み鋤っていわれているやつなどと説明していたが一様に農業用具白話と捉えている僕にとっては誰もが一つずつ鍬を持って行ったということになったということである。

小屋にどんどん人が入っては出ていく。

見ると、まさに老若男女が平等に仕事をするようである。昨日最初に漫才をしていたけいとマスターズのやもかもめいたし、春雨と組んでいた島で二番目に歳をとっているという東変朴という老人もいた。他にも舞台でネタを見かけたものが何人かいた。また、覚えきれていないのだが、既に昨日のうちに名乗ってくれた人までいる。すれ違う度に会釈をした。

僕もばぶうに誘導されつつ付いていく。鍬を持つなど何年振りであろうか。僕の家は両親共に第三次産業の仕事へ従事しているため、おそらく小学校時代の生活という授業で体験的にやったものが最初で最後であっただろう。これによってあれが最後ではなくなったということだ。

そして、何人かで集まることもなく一人一人その場の土を掘って慣らすという作業を始める。たまに近くの人間と大声で話しているようだった。

ばぶうに農業についても一から教えられることなる。

「まあ、これが鍬ってやつよ、知ってる?」

「一応、これの名前くらいは知ってるけどね。全然農業とかやったことなくて」

「あ、そう。まあね、鍬っていうのは元々は一揆のための武器じゃなくてさ、畑を耕すときに使う道具として農業用に作られたわけ」

「恐いなあ。最初から農業用に作られたものでしょ」

「あら、そう。使い方は普通にこうやって」

ばぶうは両手で顔ほどの高さまで上げると、地面へ振り下ろす。二十センチほど土に埋まって下の泥の纏いながら空中に出てくる。

「この柄を持ってさ、位置エネルギーを利用して土に突き刺すのよ。まあ、テコの原理だね。尤もシンプルな農耕具よ。で、こうやって右利きなわけだから左足が前に出てると当たっちゃうよね。日本刀の居合いと一緒よ。だから右利きなら右足を前に出して、まずは自分に当たらないよう少し前にやってみて」

「うん」

見よう見真似で一振りした。同じように大地に入って土を掘り起こす。

「ああ、いいじゃん、いいじゃん」

何度か続けると、表面より湿った中の泥が出てきて、土地の色が少し変わる。途中でミミズが出てきたので刀が当たらないよう避けた。いい土なのであろう。

「で、まあ慣れてくるとこういうものできてくるから」

手にする木の部分を股に挟み込むと体だけを動かして土を掘り起こし始めた。いや、あげるときに結局手も使っているから全然スゴくないのだが。

「ほら、ほら。ねえ」

「いや、そんな顔されてもよ」

あがった鍬が大地に落ちる度にばぶうはこちらを向いて目を見開く。

「おおい、ばぶう。この前それはダメだって言われたろう」

「あ、はーい」

何度か続けると、僕らより羊側を耕していたまだ僕が名前を覚えていない中年が声をかけてくる。

先程までのドヤ顔に対して、急にいつものどこを見ているか分からない顔になったので僕は吹き出してしまった。まだ僕が名前を覚えていない中年に返事をすると、何事もなかったようにまた鍬を掘り始めたので笑ってしまったのである。

「なんか、まだ分からないことあるの、ねえ、ねえ」

少し笑って見ていると、その何事もなさそうな顔から急にわざとらしく沈黙をやぶって追及してきたので更に笑ってしまった。

一応の否定をすると、同じようにすぐ脇を耕し始めた。

途中途中に周囲の景色を見ると東変朴も先程のまだ僕が名前を覚えていない中年と同じように労働をしていた。特に表情を変えることもなく。

今までほぼ経験したことのないもので普通に楽しくなってきた。

それを察してか、ばぶうは僕に対してあまり頑張るなということを言った。

「いっぺんに気合入れてやったら疲れちゃうからね。自分なりの目標なんかは立てないで、できる範囲で大丈夫だよ。決して頑張っちゃダメ。みんなこれについては異論ないよ」

なんて怠惰で偉大なる精神。

「でも、それじゃあ進まないんじゃ」

「仕事なんて思っちゃ、ダメだよ。農業は生活の一部だから。別に食べることを義務として毎回毎回食事ごとに苦痛を感じ慎重に行うものなんてあまりいないでしょ。それと一緒。食べることによって生活をしているのと一緒で、食べるための料理をして、料理にするための材料として野菜を作る。だからこれは態々仕事だなんて構えて行うべきものではない。生活の一部として当然行うべき人間の活動だからね。トイレに行くのと、農業をするのは同じことさ。生きていくためにすること、誰もが。勿論、これは漁業や畜産業だって一緒さ。義務だなんて娯楽とは別の厳しくつらいものだなんて区切って考える必要なく何も考えずにやるべきさ。だから、その分――」

ばぶうは額の汗を袖で拭う。

「――農業、漁業、畜産業もやらないやつは人間としての生活をしていないって頃になるよね。食事を摂らなかったり、排便をしなかったりするのと一緒で生活するべき一部を全くしていないということになるんだ。だからやっぱりそれではいけない。生きるために動かないというのは普通ではないよ。もっといえば農業をしないやつはみんな生活をしていないのと同じだと思う。どんな人間でも生きるというからには農作物を作るべきだと思うんだ。魚を獲って肉を食べるなら少しでも動物に触れてさ」

いきなり語られたが、一つも否定することなどなく何も言えなかった。

考えてみれば、

そうなのかもしれない。

そもそも人間の進歩の歴史に必ずついて回るのが農業の進歩なのである。職業を分化するにしてもやっぱり人間が農業をせずに生きるというのはおかしい気がする。

「誰もここでは農業なんかを仕事とは思っていないよ。それは食事や排便と同じで、人間として生きることの必要不可欠なことだと捉えている。だからあえて農業なんかって僕は言った。誰もが当然やるべきことだもん。誰も自分は農家というプロの意識だってもってやなんかしないさ。だって本来の生活だもの。基本だもの。自分は排便のプロ、入浴のプロだなんていう人はあまりいないでしょ。まあ、でもこうやって比べたらトイレなんかとか食事なんかとはなかなか言わないからさっきの農業なんかっていう発言も変なんだけどね。でも、食事なんかって思っている人にとっては大事なことだよ。農業、漁業、畜産業全部全部仕事でもなければ労働でもない。生きていくための活動なんだ。誰にやらされるでもない。だから朝起きて働き始めることに疑問を抱いているものなんて一人もいやしないさ。これについてあれこれ哲学者ぶって深く考えたって生きるためという結論にいつきくだけで無駄だと割り切っている。だから、ここでは文学なんかは発展しないさ。それよりも――」

鍬がまた振り下ろされる。

あれだけボケ倒している男がいきなり饒舌に労働観をべらべらと語りだして手を止めることなく無意識に耕すことを勧めているのだからびっくりする。第一、労働観のないこの島で労働云々について語っていることが不可思議だ。働くではなく生活の一部と割り切っているのに労働観を持っているのだからよく分からない。そして、

当然だが農業未経験者の僕よりも断然、動作が速い。

僕は付いていくのが精一杯で頭を動かすのがおろそかになりつつもなかなかばぶうの話に生きる核心のようなものを感じたので頭をフル回転させて結局手が止まってしまった。

耕すのをやめてもう後ろまで距離がついてしまったばぶうの頭を見る。

「――それよりもみんな、新しいネタを考えることで精一杯だからね。その日その日の自分がやろうと思う芸を頭の中で何回も思い描いているよ。よく聞いてみるとみんなブツブツ台詞回しを研究していたりするんだからよ。午前中の働きはどれも、ネタの相談を相方とできるようなものではないからね。一人で練習している。自分なりに面白いと思うフレーズを創りだし、使ってみる。農業なんかは、いや、どの活動も労働や仕事なんかとは思わずに、何も考えることなくこなすだけさ」

今まで真面目に生き貫いてきたものにとっては少々頭がおかしくなりそうな革新的なことを言っているように思えたが、僕にとっては嘗て思い描いていた生きるということを語っているように思えた。

確かに、働くということそれ自体には本来意味など何もないのかもしれない。それはちょうど生きるということに絶対的な意味が備わっていないように生きるための食料や道具を得るための労働というのに絶対的なあるはずもないということに近いのであろう。それ自体が生きるための手段であって、無理して自我を潰す必要などない。ましてや、それが原因で自殺というのは流通の手段である金によって自殺するのと変わらないことかもしれない。手段的なものに過ぎないのだ。そうなってくると、毎日会社へ通勤するまでの電車の中からの風景が害されたから訴訟を起こすといった者でさえ同じような次元に思えてくる。手段に価値を見出すことがあってもそれが目的を圧迫してはならない。手段が目的となって生き甲斐となる。そうなってくればそれはそれでいい気もしたのだが単純に眺めてみればなんとなく違和感のあることなのであろう。

辺りを見回してみても一心不乱に畑を耕していた。いや、そう表現するとまた語弊が生じてしまうだろう。一つのことに心を注いでというが今、行っている農業自体ではない。畑を耕すということで心を一つにまとめて乱れることなく耕しているのではない。鍬でどこまで耕そうということなどは一切考えていないのだ。他のことを考えているような、何も考えていないような。とにかく、笑いのネタを一心にしてそれ以外のことを思うこともなくただそれだけしかないから一心であって乱れることなく畑を耕している風なのである。本来の一心不乱の意味と違ってもそれは字面通り一心が不乱だ。

働くということ、これは疑うこともないこと。

誰もそれを義務とも感じていないようだから苦労と感じることも少ないのであろう。働くということを突き詰めて考える以前に必要ないこととして熟考を遮断しているように見えた。それよりも他のことに神経を使っているような達観した態度。

まあ、態々と意味を持たせない限り、本当に意味などないのであろう。

食べるため、暮らすため。それだけを遂行するためだけに堂々巡りの意味づけを省略していた。それで問題ない。しかし、僕が嘗てたどり着きそうになりながらも途中で断念してしまった労働観を平気で語るばぶうに驚いただけだ。

みんな、働くことについて深く考えるよりもネタを考えているという。

そんなものか。

「でも、これは下手をすれば働く必要のないという答えに行き着いてくるよ。いや、答えに行き着くだなんて、そんな大層な言い方すらもったいない。働くことが大事、義務などと考えなければ働くこと自体めんどくさくなっていくるじゃない。島の住人として生きているからこそ、何にも考えずに働いているけど、もし、動かなくてもいいなんてあったらさ。普通サボってしまおうだとかいう怠けた気持ちが働いてきちゃうじゃん。やらなくていいのなら、やらない。体力を温存しようとする。それが人間だもの、仕方ないよ」

話が聞こえないくらいに距離が離れてきたので少々荒い作業で追いついていく。手を遅めたりするでも声を大きくしたりするでもなく同じ調子でどんどん進んでいってしまうので聞くためには僕がどうこうするしかない。

「だからさ、村の掟の一つにもあるよ。あせるな、ねたむな、おこるな、おちるなっていう四原則みたいのがさ。まあ、一つずつどうこういうのもないけど、要は人間としておちるなってことだよね。子供の頃からおちるなって言われて育つわけよ。まったくの自由で暮らそうとする限りある程度の制裁を自分なりに決めなければそりゃ全く何もやっていけなくなっちゃうじゃん。一日中眠っている日々が続いたら、筋肉も劣化して歩く自由だってなくなっていっちゃうんだから。朝起きたら口がねばねばするから、うがいをするのとかさ、水分を取って不要なものがおなかで存在を主張しているから排尿してしまおうっていうそういうことと一緒なわけだよね。おちては駄目だから何も考えずにある程度はさ、動いていくみたいなのさ」

そんなことを言っている。

よく聞こえない。

ただよく聞こえないなりに得た台詞からでも、なかなか確信を突いたことを言っている、のは分かる。より高度な自由を得るためには自由を欧化しすぎているだけではならないものである。堕落して働かなければそれは生きている自由を侵しかねない。

おちるなという最も根源的な文句は生を支えていく上での基本にも思えた。おちていては始まらない。他の三つの禁止文句もそれぞれこの島の人の正確にあっているような気がして、そのことについてばぶうと語りたかった。だが、無理だったのだ。もっとよく聞きたいこともあったのだが、まず遠すぎて声が届かなくなっていた。忘れてはならないが僕とばぶうは近くに座ってのんびりと労働について話しているのではなくてあくまで畑を耕しながら話しているのである。それに、大声をあげて話すような内容でもないのだ。先程まではまだ聞こえる距離であってばぶうの考えを、いや、この島で教わったことも含めた考えのようなものを自然な言い方で聞ける距離であったのだが、あれから少し経ってばぶうは僕以上に耕してゆき、ぎりぎりまともに話せない程度の間が空いてしまったのである。

「いやあ、これで一つネタできたじゃああん。突然、事情を知らない人にさ、ひったすら一方的に話し続けるっていうさ、ホラ」

向こうから大声でばぶうが叫んでいる。

一瞬、更に向こうにいる人たちがばぶうの方を振り向いたようにも見えた。新しくネタが出来たということに反応しているのだろうか。真面目に話していたかと思ったらすぐにお笑いのことにいくのである。

全くよく分からないものである。

話が出来なくなったのでしばらくは無言で鍬を土に入れる。

スピードを上げたのだから少し追いついているかと思うと、ばぶう自身もペースをあげていて更に距離が離れていく。体が常にくねくね曲がりながら作業を進めているためこっちから見ると酔っ払っているようである。それでいて速いのだ。

農業は太陽の真上に行かない午前中までといっていたが、せめて、ばぶうの八割くらいはこなしておきたかった。初心者としては欲張りすぎかもしれないが、せめてだてにばぶうの家で休んで体力を増やしていただけではないなと見せつけたいような。やっぱり農業の実力があるのかもしれないねと言われるだけでもいいのだが。

「けつえきくん、血液君」

とりあえず認めさせるくらいは、ん? 誰か呼んだか。

「こっちよ、こっち」

声だけでは判別もつかなかったので、振り向くと、東変朴が石に座っていた。

鍬を杖代わりに刃の部分を地に突きたて、上半身にかかる重力をうまく逃しているようである。確かに、腰や脚への負担は軽減しているようでもある。

「疲れたら休んでいいんだよ」

「いや、でも、もうちょっといけそうな」

「ホラ」

東変朴は左手で体支えの杖を持ったまま右手を顔の前から平泳ぎのように聞いた。

「土は全く逃げちゃないしさ。まあ、ばぶうはどおおんどん逃げてくかあ」

「ああ、はあ」

いや、この隙にもいってしまうではないか。

どんどんなどと嫌味のようにゆっくり言って僕を見定める。

第一、僕は結構耕しながら進んだが、この老人は随分前からここにいたではないか。その間ずっとここで休んでいるだけだったとでもいうのか。屈託ない半笑いで僕を見ているが……ああ……

違うのだ。嫌味なんかではない。

よく見ると老人、いや東変朴は瞳が動いている。僕と目はずっと合っているのに黒目は何かを語りかけるように滞ることなく情報を発して。単に疲れて休んでいたら前を通過した僕を呼び止め無作法にじろじろ見ているのではない。考えすぎか。

あせるな、あせるなと目は訴えている。

もし目がその語りかけをしようとしなくても、この場から漂ってくる東変朴波長が空気によって流れ込み僕の神経がいかに反応するにも構わず僕の神経を無神経に撫で回す。いきりたちから出るやる気の副産物、焦りまでもろともそぎ落としていくような。

瞳はなおも動いている。

あせりは執拗に神経を逆撫でる。早くしなければという負けず嫌いの性格が自己に尚早感を齎し、自分の中で思い通りになせなかった部分の穴埋めをしようと更に鞭打ち怒りを芽生えさせる。この時点では気づかない程度の微々たる怒りではあるが徐々にねたみ、そねみに変わって更に満たせない自分へ怒りを齎すぞ。

ここまできて、自身を客観的に観察できなければ泥沼にはまっていくことであろう。もし、いつまでも冷静さを取り戻せなければ、あせりから、いかり、うらみ、そねみの無限ループを繰り返すかもしれない。その感情を認識できていなければどんどん邪が心の中で発達していっていくだろう。見方を変えればこれが負けていられないという競争の原動力となっていくのかもしれないがここまで理解して動かない限り自分自身を見失いかねない。

あせるな、おこるな、ねたむなの禁止格言はその意味で、三重に感情の泥沼行きを防いでいるようであった。笑い中心に生きようとしているここに人間たちにとっては邪が最も似合わない感情であって、こうでありたいという現段階で僕が感じ取ったこの島で暮らす人たちの目指す生き方の対極にあるよう思えた。

お互いがお互いを呼び合い朽ちていく。確かにあせりはときにプラス方面の働きがあるにしろ、大きくマイナス方面へ人身を誘うような気がした。いや、でも――

――それならば、あせらなければいい。邪な感情へ誘う頑強の感情があせるならばずっとあせらず、休んで、のんびり、……と、……あ。

そうなのだ。

おちるな。あせってはならないが、おちていてもならない。現に同じように列挙されて今、考えているのではないか。あせるな、おこるな、ねたむな、おちるな。この四原則禁止事項が村の掟一のつと言っていた。

東変朴と再び目が合った。再びというからにはさっきは確実に合っていたのだから、掟について考える過程で僕は考え込み、視線を落としてしまったのかもしれない。いまだ滞ることなく、微動し、僕を捕らえている。酔っ払っているときに泳いでいるといったものではない。流れる水のような……大きく捉えすぎてはいないだろうか。いや。

 

(続く)

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