昔やっていたゲームの音楽を聴く。
ハイレゾじゃなくてもいい。あのアナログちっくで汚い音質の音楽でいい。
ああ、世界の果てが見えていたゲームの世界、見えない壁に向かって走っても無意味、バグで暗い世界に迷い込んだ時に不思議と興奮を覚えたあの世界。
どうも、ゲームの申し子、三文享楽です。
笑い島ゲームでも作ろうかな。
これまでの『笑い島』→『笑い島』1、『笑い島』2、『笑い島』3、『笑い島』4、『笑い島』5、『笑い島』6、『笑い島』7、『笑い島』8、『笑い島』9、『笑い島』10
この小説は全20回の連載予定です。
気が向いたころに来ていただければ幸いです。
『笑い島』11
3の続き
聞き覚えのある声に顔を上げると、昼間薪を割っていた少女が同じ机にいた。たしか、遠井最寄。その隣には見たことのないまた若い女がいる。名乗ろうとも思ったが、周りの雰囲気が乾杯モードとなり食事前の喧騒に呑まれた。周りを見るとさっきまで机のステージ側の丸椅子に座った誰もがステージ側を向いていたのだがいつの間にか皆机側に向き直っていて料理を囲んでいたので僕も机に向かって腰を落ち着ける。
「それじゃあ、乾杯――」
誰が仕切るでもなく自然と方々から同じ台詞の声があがり酒入りコップを当てる音が響いてきた。ばぶう、遠井最寄、名も知らぬその隣の少女とコップをあてる。ばぶう、最寄とコップを当てて気付いたのだがこの少女もまた常識をもってすればあってもなくてもいいような名前なのだろうということに思い当たり、そんな知らなくても関係ないような気がしてきた。
コップの中身には少し口をつけたのだが、案の定、焼酎である。しかも、うめていない、おそらくストレートの焼酎である。見ると、最寄も隣の少女も一口飲むと、野菜炒めに手がいっていたので、僕も慌ててコップから手を離し野菜炒めに箸を伸ばす。
四つ並んだ焼き魚も皿に取る。
自分以外の誰もがすでに知り合いであるし、一方的に食事を提供してもらっていてひょこひょこ出てきた身分なのであるから僕の方から進んで自己紹介したほうがいい気もしつつ、周囲からはうまいなどの声と箸と皿の当たる音や野菜や魚を噛み潰す音しか聞こえないために余計なことなど考えないようにして黙々と食べる。斜めに座る名も知らない女と目が合うと、微笑みかけられたので僕も慌ててぎこちなく笑いおいしいとだけ言った。
それと同時にばぶうから脇腹をつつかれたので別にいい気になっているわけではないぞと言う非難の目を込めてその顔を見ると、取り皿を手にしたまま箸を右手に後ろを向けとの合図をとってきていた。見ると、ちょうどステージの上に一人の男が出てきてくるとことであった。半袖に七部くらいの半ズボンだ。これが芸人かと心の中で感動してそれを感じとったという反応をばぶうに示すよりも前に遠井最寄の隣に座る少女が僕を見て微笑みかけたのではなくて舞台の方を見て微笑みかけたことに思い当たりはたまた後ろに知り合いがいるのに僕が手を振りかえしてしまった気持に陥り顔が熱くなってきた。おまけに僕は無駄に恥ずかしげもなくおいしいとまで台詞付きで返していたではないか。ああ、ああ、恥ずかしい。だからこういった真ん中の席は嫌なのだ。向こうにも悪気も何もないから余計に恥ずかしいのだ。ええい、ええい、ダメだ、はずかっし
「今、一番MCに定評がある男だよ――」
――僕の中でね、と続いた。
炒められたキャベツの芯をかじりながらばぶうが耳元で囁いてきた。
舞台の男がこちら側を無言で見まわしている。僕は何か言いたかったが周囲が急激に鎮まっていったので断念する。
「さあ、始まりました。今宵のMCを務めさせていただきますことになりました。街の気取り屋、太郎(たろう)―N(えぬ)です。どうぞ、よろしくぅ」
一斉に拍手があがる。慌てて僕もしようとしたが危うく取り皿の焼き魚を落としそうになり恥ずかしさのあまり皿を置くのも忘れてこちらを振り向いたのかと最寄も隣の少女もこちらを向いている中で目を伏せて振り返り皿を置こうとしたところばぶうの方が視界に入り皿を机に置くことなく手にしたままステージを見ていることに気付いて慌てて置こうとした手に対しておかなくてもいいという電気信号を脳から送って振り戻り拍手に加わったが一連の無意味な動作を思い出してまた恥かしくなった。ええい、考えるな。考えることを中断できるようにまた一層拍手を強めて、意識を集中させた。拍手の中には歓声も交わっていて、「いいぞ」だとか「気取り屋」というのが聞こえるのだが、その中にはどういうわけだか「うんち」という言葉まであった気がした。だが、もちろん無視することにした。いや、聞こえたところでせざるを得ない。
「はい。ということでね。昨日からまた復活したこの大宴会ですが、なんと。ああ、今日からもう来てくれて……いる……との、あ、いた、そこだ」
皿の隅に寄せていた骨から実を少しとって口に入れながら顔を上げると、いや、え、目が合っている。
「はい、血液検査君」
あ、いや、は、あ
隣にいたおそらくばぶうが服を上に引っ張ったので立ち上がった。
ど、どうすればいい。いいい、頭が真っ白になりながら、その場でくるくる回ると、分離した魚の頭を地面に落とした。
い、一周して、ステージらしきものが目に入ると、すぐに急降下した。その反動で今度は食べる部分の身の方まで落としそうになる。「負けないで」や「かわいいぞ」の言葉にいっそう顔から日が出そうになる。心臓の鼓動、いや破裂音が何度も聞こえるようであった。のどの水分が急に干上がっていく。ムリだ。ムリムリムリムリムリ。そもそも僕は急に人前に立つことになると、言葉を失ってしまうのだ。唯一、僕を平常時の理性に戻したのは、歓声や野次に紛れて再び聞こえた「うんち」という野次だけである。
あ、あわあわあわあわあわ。
「ちょうど、こう、この私の真ん中ですね、そこに座っちゃってますよね、果たして、今後、どんな芸が見られるのでしょうか、期待できますね。はい、さて。さてさてさて、ではまず私の一発芸から行きますかね」
はやし立てるような口笛が響く。
「ええ、まず、もしも歩いていたトンチン坊(とんちんぼう)さんにいきなり牛のべー助(べーすけ)が宿ってしまったら」
周囲が鎮まる。
「もーう、もーう。咲かせられないよ」
一斉に笑いが起きた。数秒は笑いのみであったが間もなく拍手へと変わり、ステージの上の太郎―Nは大腕を上げた。
「いやあ、ハズさないな」
隣のばぶうが呟く。
ていうか、どういうことだったの? 何が面白いのかは分からなかったが、きっとここでどんなものか聞いても面白くはない類の“ありそうなあるあるネタ”なのであろう。
左の視界で何かが動いたが恥ずかしそうにした男が頭を掻いて立っている。きっとあれがトンチン坊なのであろう。見るに還暦を越えているくらいの老人である。目尻に皺を寄せて、口を開けたり閉めたりしている。読唇術などまったく持っていないけれども、いいや持っていないからこそ、あれはいやあとしか発音していないと読めた気がした。かえって何も知識がない方が分かりやすかった気がする。だが、違う。あれはこういうときになれた芸人がしそうな恥ずかしい演技であって何も言っていないのかもしれない。あわあわあわ。急にさっきの自分を思い出してまた恥かしくなる。
「はい。では早速ネタのほうに参りましょうかね。今宵もスゴいですよ。総勢二十二組、合計、あ、ちょうどですね。ちょうど五十一名の方が名乗りをあげています。え、ちょうどじゃないって? ははは。さ、果たして、今回はどういった笑いを見せてくれるでしょうか。では、最初のコンビ、け(け)いと(いと)マスターズ(ますたーず)です、どうぞ」
太郎―Nが右にはけると、左から勢いをつけて、拍手をした二人がやってくる。
「どおもー」
早くも笑いは起きている。いや、いやいやいやいや
「どおも、けいとマスターズです」
「ウホオイ」
若い男に続いて出てきたのが、膝くらいまでの十二単ワンピースみたいな服を着た割合おばあさんである。おそらく先程のトンチン坊より年齢はいっている。いっているか? 前屈姿勢で何のためらいも恥じらいもなく胸を叩いているご婦人である。
「いやあ、今日も調子でいいですね。やもちゃん」
「ふおい」
鼻の下を伸ばすだけ伸ばして、上唇を下に入れた状態で再びこちらを見て、また拍手があがる。
いや、よくやるな。あんな顔。
「それにしても最近、卵焼きをうまくつくりたいなと思いまして」
「はいはい」
「どうも、僕がやるとぐしゃぐしゃとなっちゃうからここは、ね、大先輩、やもかもめ(やもかもめ)ちゃんの料理捌きを教えてください」
「任せんしゃい」
コントの入りだ。二、三秒の間があってやもかもめと言われたおばあさんと言った方の二人が後ろに下がる。
「さあ、今日もいい卵が産まれとるかなあ」
「そっからあー?」
足踏みをしていたやもかもめの腕を押さえてツッコミが入る。しずまっていた会場が吹く。なかなかツッコミはうまい。微妙に高い声がちょうどいいタイミングで入る。
「僕、卵焼きが作りたいんだよ。卵はあるとこから、もっとこう」
「うるさいわい」
笑い。
「いい卵焼きを作るにはやっぱり卵からが大事なんだから朝一のとるところからでしょ」
「えええ? まあ、いいやいいや、じゃあ、いいのをとってよ」
「あいよ」
やもかもめは左右の斜めに下を見ながら歩いていたが、突然、立ち止まると、空中の何かを掴み、左手の拳をかかげた。
「まてまてー」
「なによ」
「い、今よ。鶏を殴ったよね? 卵見つからないからってそこにいた鶏をつかみあげて、殴ったよね?」
「うん」
「うんじゃなくてさあ、だめだよ。そんな恐怖を与えたら産めるもんも産めないでしょ?」
いや、結構本格的だぞ。お笑いマニアとまではいかないが、結構、お笑い番組は見ながら育ってきた。ネタ番組を見続けていたからある程度までならば分析できる。
結局、卵焼きを作るところまでいかずに卵を見つけるところで終ってしまった。きっとプロだとかが見ればさすがに作りに問題があると言っただろう。漫才的な評価は低いかもしれないが、見ていて普通に面白かった。こちら側から「卵焼き作んないの?」という野次が入り、そこにまた笑いが起きた。さすがに人のネタ中は「うんち」は入らない。
会場はいい具合にあたたまっただろう。
ほぐした魚の身を食べるとのどが渇いたので、水を飲んだが、咽る。焼酎じゃん、これ。
けいとマスターズがはけていく。
「続きましてこのお二人のコントです。東変(とうへん)朴(ぼく)、伊東春雨で引出(ひきだし)ゴッコ(ごっこ)」
舞台袖から太郎―Nが叫びおじいさんが一人出てくる。
ん、いや、聞き間違いではないよな? え、ええ?
「いやあ、港で呼び出しを受けたけどどういうことなんだろうな」
「お待たせえ」
「おうおう、え、てか、なによそんなに牛連れてきて」
え、ええ?
いや、間違いない。
昨日、今日、いやここへ来てからというもの毎日見ている伊東春雨の顔だ。昨日、寝床を共に、いや、いやらしい意味とかではなく本当に近距離で眠っていた。あの春雨である。
周りもキャベツの芯を咀嚼する音さえ、大きくならないよう控えていたので気も引けたが、つい隣にいたばぶうを小突いてステージを指差し反応を求めた。逆にこれが滅多にないそれこそネタ的な演出だとすれば、そう。例えば、僕がやってきたという記念で絶対にお笑いなんかしないがサービスだとするのならば反応をするのが礼儀であってこうやった確認をとらないと悪い、はず。
「どうしたのよ?」
「ああ、ああ」
ぼくの指の先を目で追う。
「ああ、あれ? 東変朴さん。この島じゃあ二番目に歳いってるんだけど、お笑いの総合力じゃ島一番の実力者だと思うよ。最初に会ったでしょ」
「あ、そういえば」
たしか、えんぴつ魔人が僕とばぶうを海辺に置いていき、島の助けを呼んできて三番目に声を聞いた顔であった。いや、違う違う、
「隣だよ、となり」
声を出すのもはばかられたので、指差しジェスチャーで春雨を指す。
「え? 忘れちゃったの? ひどいじゃない。あれは僕の一応母親でね、伊東春雨妃殿下というね、とっても偉い」
そうじゃなくて、いや、よく分からないボケもしているけど、
「だから、あの、芸人だったの?」
「ああ、そうだよ。ここでは誰もが芸人だよ」
嘘でしょ、誰でも? この島に何人かの芸人がいるとかじゃねえの?
「村の掟、一つ、笑って生きよう。この島では笑って生きることが第一さ。笑いを求める島の人はみんなコメディアンだよ」
ステージでの台詞もあまりないところのであったので、山ほど浮かんだ反応の台詞を控えた。
衝撃が大きくて、ネタの笑いでところどころあまり内容が入ってこない。ええ? 誰もがコメディアン……全員がステージに立つというのか。
前を見ると、春雨が横たわってその初期の段階で見かけていた東変朴といわれる老人が奇声をあげている。確かに、二人ともここで今芸をしていて周りの者を笑わせていた。台詞と動きによって確実に笑いを得ているのだ。
全員コメディアン……ばぶうやえんぴつ魔人が舞台に立つというのはなんとなくも想像できるが、例えばピンハネ嬢もか? 昼間に出会った、そう、後ろでおそらくこちらを見ている少女も芸人だというのか。いやいや、現に老人と中年の女が舞台に立っているので明らかではないか。
港で待ち合わせをされた東変朴が後ろから牛を連れてやってきた春雨に牛を泳がせたいと言われて、できる限りやってみようと右往左往する内容であったがなかなか面白かった気がする。全員芸人のショックでどうも集中できなかったが、耳に残った台詞を反芻するだけでも笑いが確実にこみ上げる。設定もさることながらこの年代の組み合わせが新鮮で興味深かった。普通ならば嫁、姑の関係で介護の関係でも当てはまりそうなのだが、春雨のゆったりしたボケに東変朴のツッコミが冴えわたり、かつ抜群の演技力で嫁姑や親娘以上の斬新さをもっていた。
三組目は中年のギター演奏に若い男が合わせて歌った。観客側からは手拍子や時々、ハモリたがりの合わせようとした声が飛ぶ。
その後、即興のラップ対決があった。後に太郎―Nが再び登場し、MCと物真似が入る。この時間でみんな食べ物を摂って、また酒を飲んだ。ばぶうが他のテーブルからとってきた野菜の煮物を食べる。休憩を挟みつつ、その宴会は確かに最初に言った二十二組が出てきた気がする。全部が全部記憶にあるわけではないが、相当数、この島の全人口半分といわれてもおかしくないくらいの人数出ていた。
えんぴつ魔人も漫才をしていた。最寄やもう一人の相席女性ではなかったが若い女も確かに出場している。ばぶうの誰もがコメディアン説が間違いない事実に思えてくる。
「さあて、忙しいぞ。明日は僕らの番だ」
卒倒までいかなかったが、この日数時間ぶりの立ちくらみに襲われた。
4
翌日から働きに出ることになった。
散歩にも出られるようになっていたし普通に食べることも酒を飲むこともできるようになっていたのだから、決して働くということが困難というわけではなくなっていた。働くということは困難でしょうがないがしかしというよりも一日中寝ていることへ飽きてきたという簡単な理由に加えて昨日の夜の大宴会というものに出席してみて早くここに住んでいる島の人たちと共に過ごしてみたく生活の状況を知りたいという強い気持ちがあったため、働くことを自ら進んで願い出たという状態でもあった。
また、
何日か前に気付いたことではあるが、この島に住んでいる人々は太陽と共に生活をしている。日が昇れば起床と共に活動を開始して日が沈めば床に就きその日の活動を終了する。日の出によって動き始めるのは早すぎて睡眠不足に陥りはしないかと思ってしまったが太陽が沈めば床に就いて暗い闇夜の間はずっと眠っているのだから充分すぎるくらいの睡眠量はとっているのだ。生活リズムとしてはこれ以上ないくらいに理想的であった。
太陽がその燦々たる姿を全て登場させ終える前にはばぶう一家全員がもう起きているようで姿さえ見られればいつでも飛び出せるといったような雰囲気が伝わってきていた。昨日にしても一昨日にしてもそのまた前の日にしても十分な睡眠をとり終えて再度の睡眠にありつけない持て余した時間からくる退屈で僕自身体を満たしていたしその雰囲気がありありと感じられていざ動き出せる兆しとして台頭がその姿を見せると、全員が待っていましたとばかりに起きあがり駆け出した。眠っていると見せかけて急に起き上がって笑いだすまでびっくりさせてくるのだから、どこにこれだけの体を張って笑いをとろうとするパワーが眠っていたのかが気になってくる。
昨日はまあ僕が初めて大宴会に参加して楽しかったことなどを語らいながらその流れで特にふざけることもなく普通に布団を並べて眠った。そして今朝になればばぶうや春雨が起き始めたから僕も起きることにして布団を畳んでいるところへ何事もなさそうに寝ていた尻丸が急に起き上がり僕を尻丸自身が寝ていた布団に寝かしつけてきた。そして、朝の頭の回転の悪さからツッコミの言葉も思いつかずに何も言えないでいる僕へ向かって、血液検査もう朝だぞ、などと言って体を揺らしてくるのだから僕としても理不尽な笑いを受け入れつつもうまい返しが思いつかなかったもどかしさに目覚めが悪くない状態でいられたものではない。
昨日までは働きに出ることもできずに布団の中でからただ茫然と見ていたように尻丸、春雨、ピンハネ嬢が今日も出て行ったので、その後に僕とばぶうも続いて外に出た。まさに眠り飽きて動き出したい状態であったのだ。
広場に出ると、既に島民の半分くらいは揃っているようである。
昨日大宴会で使われた木の机だけが出しっぱなしになっていて、そこへおにぎりが大量に乗った皿が運ばれてくる。そのおにぎり配分地帯まで五人で向かっていくと自然に春雨もピンハネ嬢も散っていた。それに対して僕はすぐに机の上に待ち構えている食物を手にとりたいという欲望が出てくるでもなく、ばぶうに促されてトイレに行くことにした。トイレといっても結局は立小便ではあるのだが。
尻丸はいつの間にか消えてどこかに紛れている。
朝はどこでも同じく皆思い思いに一日の活動の準備を始めるようである。トイレに行き台所で顔を洗い、脳の状態を戻して昨日のうちに準備されていたおにぎりを食べるのだ。
トイレに行くにしろおにぎりをとりに行くにしろ、すれ違うときは誰彼構わずみんな挨拶をする。僕もばぶうの脇について様子を窺いつつ挨拶を共にした。大体、血液検査君ねと言ってから自己紹介をしていくのだが、とても現段階で全ての島民の顔と名前を一致させるのは不可能だった。むしろ、昨日のステージを思い出して、そこでの芸風を思い出すという方が多かった。
でも、確固として感じていることはある。
僕は健康診断で血液検査をした際、まさかこんな便宜的につけられた名称の一つが自分の名前として使われるようになるとはこれっぽっちも思ってもいなかったということだ。確固としている。もはや、血液検査と声をかけられて振り向く自分がここにいるのである。
椅子は昨日のうちには片付けられていたので机にある皿の握り飯を立ち食いすることになる。片付けられていたといっても翌日の動きを後片付けから始めるのがめんどくさいだろうということで一人一つの椅子を持って片付けたか僕自身やったことなのである。立ったまま机に乗った皿からおにぎりをとっていくのだが塩、梅干、佃煮、柴漬けの四種類がある噂を耳にしつつ僕は三つのおにぎりを食べてどういうことだか全て塩だった。隣で食べていたばぶうも途中でやってきたえんぴつ魔人も全部塩だったらしく、共通点を探すにみんな同じ皿からとっているのである。皿ごとに種類が決まっているのではないかと、二人ともわざとらしく納得するのであった。
いや、絶対こいつら知っていただろう。
他の味を食べたいであろう欲望を抑えてわざとらしく笑いの雰囲気を作っているのだ。
まあ。朝から皆して割合元気であるとはいってもやはり夜よりかは静かであった。昨日の夜大宴会が終わってから疲れたというわけでもなさそうなのでやはり朝だから静かという最も考えやすい理由なのであろう。
午前は午後よりも天気か空気のせいか分からないがどうも静かな気がする。
昨日の大宴会で見たくらいのこの島全人口にあたりそうな人数が広場に集まってきて隠しきれない朝らしいテンションで握り飯を食べていると、その昨夜の大宴会において何人もの芸人が持ちネタを披露してきたステージに一人出てきた。
「ハーイ、ではみなさん、おはようございます」
時間差を以てあちらこちらから朝の挨拶が届く。
「では、今日MCを担当させていただきますスープ(すーぷ)魔女(まじょ)です。よろしくお願いします」
拍手が続く。
中年になるくらいの女性であるがしっかりとその声は通っている。よくこんな細身な身体からしっかりした音を出せるなと感心するが誰もがこの島では子供の頃から芸人として育ってきているとなれば納得できる気もする。
「MCは毎日変わるのよ、自由に」
隣にいたばぶうがぼそりといった。珍しくまともなことを言われても事実か疑いたくなる。疑いの目をじっと向けていると笑顔を返してきた。