三文 享楽 小説・エッセイ等

無料小説 長編2『笑い島』18【三文】

2016年10月15日

秋と言えば、ブタクサ!そうです、花粉で大変な時期なのです。

どうも、重度の花粉症患者の三文享楽です。

理想郷には当然イヤなものはあってほしくないわけで、花粉もないんでしょうね。

そうしないと、植物が繁栄しないかもしれませんが、仕方ありません。

理想郷だから、仕方ないのです。


『笑い島』18

7の続き

一握りほどの果実を四つほどとったところで一つを齧りだす。

「わしがきた時から村の掟も変わってはいないな。五十年近くもの間ということになるな。掟を守ってみんな毎日毎日生きているよ。そう。生きている。何で生きているのだとか不毛な定義づけは考えないでくれよ。村の掟を守る理由はなんて考えたところで意味はない。笑って過ごせる。それだけでいいんだよ」

採集容器であるただのバケツに木の実がいっぱいとなったため、手を動かすのを止める。目的がなくなった分、動き出す手も良かったのだがその気にもならずぼっとする。

「なんだろ、時には自然災害も来たさ。何度か地震も来たし強い雨風もやってきて、わしらの家を滅茶苦茶に破壊することもあった。でも、ここでも驚かされたことがあったなあ。どれほど前だっただろうかな。初めてわしがここへ来て台風が家を滅茶苦茶にしてしまって倒壊した家の下敷きになって死んでしまった男の人なんだが、自分が確定的な死に臨んでいるにも拘らず、平気で冗談を言っていたんだよ、誰もがその人に確実に訪れる死に心を悼めていたのに、その人は明後日のコントに使えそうないいネタを思いついたと言って死んでいったんだよ。みんなが死に際の最後の相応しい言葉や行動を眉間に皺寄せて選んでいる中、死に向かう本人が笑わせていったんだ。これには驚いたと同時に最初は少し抵抗もあったよ。決して笑うことのできない生から死への移動の際までも笑っていいのかって。ただ――」

口を動かしている髭達磨の目は潤んでいるようい見えた。それを隠そうと必死で口をもごもごさせているようにしか見えない。

「――考えないようにしながらも考えて見てそれでもいい気がしてきた。ここの連中は何があってもユーモアにしようとするのさ。自分のピンチ、人生に必ず訪れるはかばかしさを笑いにしてしまうのを聞くと、何でも笑いにできるような気がしてきた。笑ってしまえば死がひどく陳腐なものに思えてきて、怯えていることがほんとにばかばかしくなった。笑ってしまえば人間の方が死なんかよりもずっと強いものに思えてくるさ」

この男は四十八年間ここで生きてきたのである。

何よりも達観しているようであった。

決して諦観ではない。生きていく上の達観なのだ。

「ピンチこそ笑っていこうぜっていうさ。その力があるとないでは全く違うよ」

目が合うと、髭達磨は今までで最も崩した顔で笑っている。目尻にはたくさんの小皺が浮かび髭の上からでも蓬莱線がくっきりと出ているのが見てとれた。それを見て僕までそれ以上に破顔してしまう。

この島に僕がやってくる前の九十九人か百二人の中で今この髭達磨が最も目が笑っている気がした。

「よし、せっかくだ」

声を張りながら髭達磨は空を見上げる。

つられて僕も見上げると太陽は既に傾いている。

「わしらも一緒に舞台に立っておくか。うん。笑いをいっちょとりにいこう」

「たしか、髭達磨さんはマジックと音楽系統を得意としていましたよね」

「んんう。まあ、割合そうかなあ」

覚えのある姿は笛を吹く姿、声を張る姿、マジックで観客をあっと言わせる姿である。

「やっぱり、本気でやって面白いって思われたいのもあるし、コントでいきましょう」

「ズコーッ」

左手のひらを僕側へ向けて、顔の前へかざし、右手を同様にノット僕側へかざしその前へ出した状態で体を後ろに傾けた。

なんでこの古典的なズッコケポーズを知っているのだ。

髭達磨が立ち上がると向こうから木の幹を大量に持った太郎―Nや芋をもった(あさ)治療(ちりょう)という背の高い男らがやってきた。もう今宵の大宴会準備を始める頃になってきたのである。

そのままじゃれあいつつ、広場に戻り大宴会を迎える。

今日は舞台に立つ日でもなかったため、酒をたしなむこととする。酒を注いだグラスを手にしたまま舞台を眺めて、久々に昨日ダダスベリをしたことを思い出した。たった一日にしか経っていないのに、その忌々しい記憶すらもいい思い出で片づけられそうな気持であった。

酒は毎日焼酎を二杯ほど飲んだ。勿論、水割りにする。大学の友達と飲むときは自分が酒に強い弱いなどとは意識したこともなかったが少なくともここにいる限り弱めと自覚せざるを得なかった。男女問わず皆酒は多めに飲んでいた。僕より飲まない人もいたのだが島民の平均値はおそらく僕の平均飲酒量を上回っているようである。だが、飲むことを煽る姿を見たことはなかった。飲みたいものは勝手に飲んで酔っていた。

三杯飲むと早くに目が覚めたり、翌日頭に響いたりなどの症状が出たため体が痺れ始める程度の二杯が適量であった。

朝治療と同じ机で飲んで食って眺めていた僕が家に戻ると、一番のりであった。昔は鍵をかけて生活していたことをこの前不意に思い出したが、全く異次元の世界での話のようだ。物を奪いに侵入されるようなところで僕は住んでいたのである。

家に戻ってさっさと真ん中に布団を敷いてしまうと一人大の字で堂々と寝そべった。酒は適度に入り、なんとなく視覚が揺れるくらいの心地よさである。

「あー、寝てる。ふふんふん」

僕の次にやってきたのはピンハネ嬢である。

ウヒョーなどと数回奇声を発しながらばぶうや尻丸、春雨が帰ってきているのかを探すのかぐるりを見回して誰もいないことをおそらく確認すると、積んである布団のところへ行った。

僕の隣に敷き始める。

頭は真上を向いているのだが、動くものを追ってしまうほぼ反射的な気持ちでその姿が視界に映っている。シーツがくっついた敷布団の上に薄毛の毛布や机をセットしている。

後ろ向きになって、かがんでこちら側に背を向け、というより、尻を向けて。尻尻尻、丸い尻を向けている。特に見る気もないのだが、パンツが見えそうなくらい裾がめくれあがって白い腿が見える。見えてしまっている。久々に違う痺れが来るようであった。

視線に気づいてか、ピンハネ嬢は後ろを向いてきたので、下手に頭を逆向きにするなんてことはせず、眼球の向きだけ関係のない天井方向へとやり興味も全くなさそうな顔をした。

しばらく関係ない方に目をやっていてそれでも視線を感じたのでピンハネ嬢の方へと初めて気付いたような視線を向け直すと、親指と人差し指を立てたての銃で「ばあーん」と言ってきた。まさか尻を凝視していたのが気付かれたわけではないだろうな。

すかさず、僕は右手を胸に当て、「ぐあうあ」と呻いたが、視界真上に尻丸や春雨が入ってくるところが見えたので、中断する。ピンハネ嬢はまだこちらを見ていたような気もしたが、呻きからあくびによる雄叫びに転換させつつ、目を瞑って眠ろうとした。

なんとなく動悸が速くなったのである。

 

もはや、労働という感じがしない。

我慢することが良く生きることと大多数が思い込む風潮の中で社会人という型にはまっていくあの感覚が、全くない。反抗したところで何にも得することはないことを不良は知り、やらされる勉強だけをして緩やかに全体主義に傾いていっているような。義務も強制もなく完全な自由を与えられたこの感覚。

やっていることは同じとはいえ自己実現のため高い意識をもってこの感覚を抜きんでるような覚悟でやる食器洗いよりも、より笑い溢れる生活のため常に相手を笑わせる意識を以て他人を驚かせてやるような覚悟でやる食器洗いの方が単純に楽しかった。村の掟「あせるな、ねたむな、おこるな、おちるな」の理性をもってさえいれば、何も考えず笑いだけを求めて「生きる」の人生を謳歌しているように思えた。

大学四年という身分であれば僕のような人間でも共産主義という概念を何度かは噛み砕いていた。競争して高めあう資本主義に対して、私有財産を否定し共有財産を理想とする共産主義には競争がない。貧富の差がなくなるとは言えど、それは平等を齎し平和世界に行き着くのではなく、進化の停滞と悪しき堕落を招くだけだと学校では教えられた。

アメリカや西欧にくっついた日本と言うお国の施策だから押し付けられているのだという疑いを以て色眼鏡を外しても実際の共産主義国家を見ればそれが平和や平等を実現することの難しいことは明らかであった。

だが、ここではなんとなくそれが成り立っているような気がした。勿論、ここは日本(……らしい)のだから資本主義国家なのだが、およそ生活面にがつがつした競争心は見受けられなかった。貨幣がなく物々交換、いや、そもそも共有財産制なのだ。

こんな地域が今頃日本にあったのだろうか。

当初は何度も戸籍が保存してある役場や所属都道府県を聞きたかったが、深く考える気も消失していた。後から考えれば村の掟、深く考え込むなの影響を直接受けていたのかもしれないが、少なくともここにいる限り自治体がどうこうといったことはどうでもよかった。

堕落することなく誰もが生活を楽しみ、笑いの実力者になろうとしているのだ。決して停滞した俗習社会には思えなかった。

午前の労働は農業で、また雑談をしつつ、畑を耕すことで終わった。

目標は経てない方がいいとも言われたが、その日自分なりのやってみたいことを定めてチャレンジし、気張ることなくだめなら駄目で雑談で過ごすということが何よりも楽しかった。何年も縛られない解放感が何よりも気が休まった。午前に農業漁業畜産業という取り決めや夜の宴会という慣習はあったが、何一つ僕の神経を擦り減らしはしなかった。

午後には野菜洗い場で髭達磨を見つける。

三日に一回くらいは調理関係に拘っていてなんだか割合が多すぎる気もしたが、何せ食事や衣類関係は毎日こなすことであるから仕方ない。九十九人か百二人、いや、もう違うな。百人か百三人の島民の午後の仕事を見ても、調理や洗濯に携わる者が何よりも多い。直接の調理ではなくても、調理のための薪割りや食器洗いなど食事関連活動は多々あるものだ。あとは定期的に作り続けることが決まっている衣服や寝具を裁縫したり足らなくなってきた作業服や漁業用投網、釣具バケツ、食器のようなものを生産したりするものだった。こちらはその都度柔軟に生産していくだけだ。

その野菜洗い場にて昨日大いに語り合った髭面の男を見つけたのである。昨日も昨日、あのノリで舞台に出ることを即断したために、今日の朝にMCのズック(ずっく)ぽけ(ぽけ)(ぼう)に高らかと今日のステージに立つと宣言してしまった。

言うまでもなくネタ合わせなどこれっぽっちもしていない。

まともに話しかけていくのもなんだか癪、というより物足りなかったので、落ちていた小石や小枝を手にする。当然、投げるためでもつつくためでもない。

「おおっ、ん?」

たらいに入れた根菜の泥を落としていた今日の相方である髭面のすぐ目の前に小石の乗った掌を差し出し、次の言葉を出そうとした顔に無言暗示の無言圧力をかけた。

小石から僕の目に視点を移した相方に右手で小枝を見せつける。

ほぼ無計画である。この二つの小道具を使うマジックなど僕はひとつしか知らない。左手に小石をもち、右手で木の棒を首後付近からふりかざす。一、二の三と三で大きく振りかぶり、石が消えるかと思わせ、首の裾に木の棒をひっかけて木の棒を消すという塩梅だ。そして、木の棒が襟にあることを示しながら左手はこっそり小石を隠し再度一、二の三と枝を振って、小石も消したと思わせるのだ。小物マジックとしては多くの最初に覚える初歩的なマジックである。

マジックに関して、適度に評判高い髭達磨がこれで驚くとも思えなかった。無言で小枝を振りかざしつつも最後まで知られているこの一連の動作のオチを考えていたが、小枝を隠すふりして、結局あくびのふりで小石を口の中に入れてそこから出した。

「ね、スゴいでしょ?いいんでしょ、ね、ね?」

「え、いやいや、スゴいってか、バレバレだよ」

口から出すだけでも斬新な気はしたが、それだけでは確実に拍手も笑いも起きない気がしたので、徹底的に自分から。自分から沈黙を潰しにかかった。あまりやってはならないが力技で笑いを獲りにいくものである。考えはしたが野菜を洗って切って炒めながらネタが思いつくこともなく結果的にマジック漫談をすることにした。コントをやるならばやはり腰を据えてネタを考えた後、ある程度動きや表情を通しでやらなければならない。

スタイルとしては髭達磨が先にマジックをして、次に僕が似たことをするが全然スゴくないというものだ。髭達磨が左手のこぶしの中に入ったものを右手に移動するのに対し、僕が左手のこぶしの中から左手に移し、そのまますぐに左手へ戻すといった具合に。

髭達磨は常にマジックに使えそうな道具を作り続けているらしく僕はそのマジックの内容を事前に教わってからそれにかぶせるボケの言い回しとやり方を覚えるだけであった。

結果的に髭達磨と血液検査のコンビ流れ(ながれ)チーノ(ちーの)のマジック漫談は笑いをとれた。初めての大トリであったが、酔いと飽きが出てくる最後に客席を巻き込む芸を出せたのが好評であった。

百人か百三人の島民の中でこの島外部の出身である二人がステージに立つということは島民たちに何か別の感情を起こさせてしまっただろうか。あいつらはやはり余所者同士でくっつくべくして、くっついてしまったなどと思われただろうか。気になっておいてなんだが特別の感情など起きてはいないであろう。そうであって欲しかった。邪推などせず純粋に笑えるときに笑ってくれるのがここの島民なのだ。この意識をもつこと自体ひねくれているかもしれない。もう外部出身という意識はないのだ。

酔ってはいないが興奮も冷めない状態にて今宵の宴会は終わった。舞台を降りて近くに立っていたばぶうにも無言で指を差され笑われる。

共に舞台で晒した戦友とも別れて寝床へ向かう。

「血液」

振り返ると、顔面を両手で覆いつつ指の隙間からこちらを覗いている尻丸がいた。

「ちょっちいと」

隙間から目が合うと、急半回転して逆側に歩いていった。

ちょっちいと……まあ、音感で意味も何となく分かるのだが、

ちょっと来い、ということか。

いつも宴会が終わるころに陽が沈み始めるが、今日も既に太陽の姿はなくその存在していたことを窺わせる光の力によって世界は照らして出されているのみである。

電気のない島だから夜の光源は太陽の光を反射する月のみで、海岸に行けばさらにその月の反射光を反射する海の輝きがあるばかりだ。もし曇り夜であったならば海に光を与える月光さえ組まれるのだから闇夜となる。

尻丸の後をついていくと、まさにその海岸に向かっているようであった。幸いにして雲はなく月の光が道順を照らし出す。尤も雲が出た日などほとんどなかったのだが。

昨日の午前に来たぶりの海岸である。不気味なくらいに夜の海は朝とは違って海らしい。辺り一面が夕闇に深く染まる中でいち早く紺の身支度を整えて水嵩の増加がいっそう幻想性を纏うことになる。

思えば夜の散歩自体がこの島へ来て初めてのことだ。月の下を歩き夜風に当たるなど、トイレに向かう何メートルかの距離だけである。夜から朝にかけての時間帯でいえば僕はばぶうの一家四人の世界、秩序しか知らないわけだが、少なくとも知っている限りにおいては夜の散歩という文化は存在していなかった。みな同じ時間帯に布団に入って朝になるまで眠っている。だからいまだに僕の中ではこの島の人はよく眠るという認識である。短時間睡眠といった眠りを操作することなど一切関係なく夜が来たら眠る、という。

夜の散歩などしているのだろうか。

夜の宴会後に出歩いているのだろうか。

うっすら酔いが回り痺れる体の下でサンダルに砂が侵入するという感覚もまた新鮮であった。足元もおぼつかない中、波の打ち寄せ際まで到達する。サンダルに入った砂が不意に打ち寄せてきた波に持っていかれた。

「よし、早速帰ろう」

「いやいや。来たばかりでしょ」

 月光に反射した尻丸の頭上がつるりと光る。

「ん……そっか」

尻丸は呟きながら空に向かって体を伸ばすと雄叫びを上げた。

改めて見る海の広さに心のどこかにある恐怖が刺激されつつもやはりこの壮大さには虚無と感慨が募らされるばかりだ。体内へ入ってくる新しい海風に海中時代の生物であったことを問いかけられているような気分になる。

この海が世界中のどこへでも繋がっているのだ。

敷居なんてなく。

 視界で月光に照らしだされた何かが動く。尻丸はか細くなりつつもまだ雄叫びの残滓をあげていたらしくその無意味な声帯から出てくる音と共に僕をじっと見た。音が止まる。

「昨日さ、ピンハネの尻を見て、欲情しただろ」

「ぷへっ、あ、いや?」

いきなり何を訊いてくるのだ、この下ネタダンディは。

し、尻?

頭の中が白くなっていく。

見ているはずもない気もするが、いや、思い切り見ていたような。そう、あれが昨日のことなら僕は確実に見ていたような気がする。尻を

許容しつつあった海への大らかな心情が突然全く別の角度から済し崩されていくようであった。そう、全く関係ないことでもその衝撃具合によってはそれまでの思考を完全に止めてしまうものだ。腹から下の神経全てが急降下し、地面に根付いてしまうような感覚がやってきた。

なんだこれは……中学生の頃、自慰行為をしているということを親に勘付かれてしまったようなこっぱずかしさ、罪悪感である。まだ大人の世界があれほど性に染まり性で成り立っているということを知らずに己一人がおかしくなってしまったのではないかと不安になってしまった少年の心。この不安。いや、待て。そうはいっても何一つ行動に移したわけではないではないか。そもそも昨夜に関しては自分の股間に指一本当てていないではないか。僕にはしらを切る権利がある、はず

「あの、そんなことは」

悪いことをしていないではないかと開き直りつつも次の言葉が出てこない。

「いや、いいんだ、いいんだ。人間だし性には誰だって目覚めるものだ。尤も、君は何年も前に開眼はしているだろうがな、異界の地へ来てしばらくは慣れることに精一杯だったけれども体もここの生活に慣れて忘れていた人間的衝動が呼び戻された感覚であろう」

かつて男相手に下ネタの話をしてここまでドキドキした感覚があっただろうか。神聖区域に入っていくような変な感覚。実は原因は何となく分かっている。自分が頭の中で散々犯した娘の父親だからだろう。

僕の考えていることをすべて読んでいるかの如く尻丸は僕を見ている。

「別に自分の娘をいやらしい目で見たからって父親として怒っているわけじゃないよ。相手を不快な気持ちにさせない程度だったらそこにいつ誰だってしっかり目に焼き付けて頭の中で乳繰り回してもいいと思っているさ。あんなことをさせて、こんなことをしてもらって。妄想が自由にできるのが人類の特権だろう? 我ながら要所要所に肉付きのいい娘だと思うよ。尤もこんなことを言えるのも君が常識と理性が備わっていると判断したからだがな。うん。ここへ来て何回ヌ○た?」

「あや、あ」

なんで毎度いきなり踏み込んで聞いてくるのだ。

相変わらず浩々と広がる海から目を離さない尻丸を僕が怯えながら一方的にちらちら見ているだけだから目が合うこともないというのに、

言葉が出なくなる。

「あ、いや、あの、まだ」

「一回もか?」

初めて目を合わせてきた尻丸の驚き顔に言葉を失い、頭だけ振ることができた。

「はい、あ、でも――」

――に、二回夢精しました。

何も言うのだ、何を。言ったところで、何も得しないではないか。DNAのどこかにある性に関することの負けず嫌い精神かここで培った笑いを取りたい精神かである。

「ふうーん、悪くはないわな」

尻丸は腕を組み大きく頷く。

「きつくはないか? まあ、夢精の方が気持ちいいって態々夢精を狙いにいくというプロも世界にゃ、いるようだがな。確かあれは日本の埼玉県北部に住んでいるという変態だった」

再び海の方へ向き直る。

「ヌけ、ヌくんだ。自らの手で」

「え?」

「ここでは太陽が沈んだのち、実は多くの者が自慰行為に耽る。ほぼ全員が、だ。女だろうと男だろうと、若かろうと古かろうと勃ち気味だろうと萎れ気味だろうと湿りやすかろうと乾きやすかろうと感じやすかろうとインポかろうと赤ん坊から年寄りに至るまで誰もが。誰もが太陽さんの地球真逆へ行った頃を見計らってここぞとばかりに寝床を這い出して、黙々、沈々、満々と声も出さずにそれに耽るのだ」

そうなのか。

「たとえ、お互いに躰を求めあっている相手が見つかろうと私のように相手が保障されていようと所帯持ちから独身に至るまで誰もが自分で自分の性器をごしごしすこすこにゅめにゅめいじくりひねくりひっかき回すのだよ。村の掟一つ。性は慎め、自分で処理しろだ」

海からやってくる風に潮の臭いが混じっている。

記憶に直接働きかけるその気体は乗せた風に波うつ音も絡まって僕らを包み込む。

まさか……

「……そんな掟が」

 

(続く)

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